84話 互いを愛し、互いに誓い
白銀のメイスが光った。天賦は足を引き、姿勢を低くする。完全な戦闘態勢である。
カローラ・フェンは腕を震わせる。
僅かな震えはそのうち大きくなり、手のひらの中から指輪が飛んだ。それは天賦の足元まで床を滑り、つま先に当たった。天賦は姿勢を崩さない。
がくがくとカローラ・フェンが揺れる。ヴェールの先が逆立ち、ドレスの身体がふわりと浮いた。
天賦が指輪を受け取らなかったことに対するショックを、そのまま体現しているようで。天賦はいつでも全方向に動けるように、目をぐっと凝らしている。
ドレスが形を変える。フリルのボリュームが増して、ゆっくりと膨らんでいく。風なんて吹いていないのに、全身の布が揺れて——
——天賦目掛けて光が飛んだ。
天賦は閃光のような動きで2階に飛び、それを回避する。壁に激突した衝撃で、建物全体が振動した。
ギリギリで回避した、というわけではないのに身体全体に高温の熱を感じる。壁はカローラ・フェンによる力が働いているのか、直撃してなお無傷だった。
戦闘が始まったことを実感して、天賦のからだがばくばくと鼓動する。それとは反対に、頭の中は明瞭だ。
室内の戦いには慣れていない。かと言って、外は雪山の頂上だ。どこに行っても地に足をつける天賦には不利な状況になる。
加えて、ここに再生師はいない。無茶な戦いはできないし、負傷をした時点で天賦の負けだ。呪源相手に無傷で耐えろだなんて、どこの馬鹿でも夢物語だと理解できる。
カローラ・フェンはゆっくり、頭部を動かして天賦を見る。そして、丸い光を作り出して、それを容赦なく天賦に向けて発射した。
「くっ……」
格段に速い。ルチカナイトの鉱石のスピードと同じか、それ以上だ。一つ一つに気を配らないといけないから、体力の消費が激しい。
これが続けば、持って5時間と言ったところだろう。一般人からしてみれば大した時間だが、天賦にとってはそうではない。元より、一日かけた戦いも覚悟していたのだから。
一歩進めば光が飛んで、天賦を二歩下がらせる。
横に踏み込めば光が飛んで、天賦を三歩下がらせる。
牛歩、なんて言葉も不十分だ。天賦は避けて、後退するしかない。鉱石のように砕くこともできない以上、天賦は耐え忍ぶしかなかった。
——しかし、天賦はこの状況を「最悪」とは捉えていなかった。
そのうち、カルメたちがやって来るはず。
そうすれば【再生】が使える再生師に、遠距離から攻撃できる炎砲も参戦してくれる。時間を稼いでおけばいい。
そうすれば、ニーデックがカローラ・フェンに挑んだ時以上の手札を獲得することができるのだ。
……それにしても、ニーデックはどうやってカローラ・フェンの眼前にまで迫ったのか。速度が出せないというわけではないが、どうやっても熱の弾が道を塞ぐ。よっぽど運が良かったのか、はたまた。
3連続で飛ばしてきた光を避けて、柱の影に隠れる。ここの建物はカローラ・フェンの光の球で傷つかないようだから、自然と安全な場所になるのだ。
メイスをしまい、代わりに奥から鎖を引っ張り出す。この地形ではこっちの武器の方が移動に便利そうだ。今必要なのは打撃力ではなく、機動力。
近づいて来る気配がして、すぐに天賦は柱の影から移動した。——吊るされたシャンデリアにモーニングスターの鎖を引っ掛け、宙を飛んでカローラ・フェンの爪による刺突を避ける。
そのまま壁を走り、カローラ・フェンに向き直る。熱が天賦の頬のすぐそばを横切った。
感情的な攻撃の嵐はサマルエルムとは似ても似つかない。むしろ、これが正しい姿だったのか、それとも呪源となって歪められたに過ぎないのか。
一つ避ける。
二つ避ける。
四つ避ける。
単調だが、緊迫した動きの繰り返し。
足取りのリズムが崩れればモロに食らう。トン、トトンと拍がズレないように光を見極める。眩しさに目が眩んでしまいそうになるが、必死に瞼をこじ開けた。
——そのリズムが、少しずつ速くなってきている。
一歩で済んでいた所を二歩で。一度首を振れば良かった動きに肩も追加して。
明らかに、光の密度が増していた。痛む瞼もそれを証明している。
カローラ・フェンは、完全なる物量で天賦を殺そうとしているのだ。それほどまで、天賦——"勇者"に拒絶されたのが耐えられなかったのか。
このままでは時間稼ぎなんてできない。
一か八か、と天賦は祭壇の方を目指して、鎖を天井に引っ掛けて振り子のように移動した。
当然、カローラ・フェンはこちらに攻撃しようとする。天賦は落ちた布——白いローブを口で引っ張り上げ、"相棒"をかけた腰をひねらせてそれを強調した。
——カローラ・フェンの指がぴくりと跳ねる。
"勇者"の姿をカローラ・フェンに連想させる。
あまり良い気分ではなかったが、それでも、この攻撃の手を緩めさせないと死んでしまう。
カローラ・フェンのヴェールがぶるりと震える。天賦はサマルエルムの尻尾が揺れる様を連想した。
「サマルエルム!」
やはり、カローラ・フェンは名前に反応しない。
腕を揺らし、再び光を飛ばす。天賦は歯を食いしばった。
白いフードをカローラ・フェン目掛けて投げる。その瞬間、天賦に真っ直ぐ飛んだ光が離散した。まるで、白のそれを傷つけないようにするかのような。
彼女はそれを掴み、じっとそれを眺めている。その間も光は止まない。
天賦はあの光景を思い出していた。
英雄たちが火を囲み、同じスープを飲むあの夜を。
「——サミー!」
もしや、サマルエルムは"勇者"にそう呼ばれていたのではないか、と思った。
「カローラ・フェン」という名が誰につけられたのかは分からない。少なくとも、彼女はそれが自身の名だとは思っていないはずだ。
カローラ・フェンが、はっとこちらを見る。
——反応した。きょろきょろ、何かを探して。
光が止む。
そして、ようやくカローラ・フェンは天賦にそう呼ばれたことに気がついたようだった。
彼女は頭を抱える。白のフードをしわくちゃにして、その巨体をかがめた。
天賦の心を何かがちくりと刺す。それでも、天賦は行動しなければならない。何より、"相棒"のために。
腕をしならせ、鎖をぐんと前に出す。
棘がついた鉄球が風を切って飛んだ。
それはカローラ・フェンに向かって、彼女の光に負けない速度で走った。そして、黒い球が——
——カローラ・フェンの手によって、受け止められた。
「う、そっ」
凄まじい力で引っ張られる。
鎖が軋み、天賦の骨が悲鳴を上げた。絶対に防ぐことができない攻撃だと思ったのに。
これ以上は無茶だ、と天賦は鎖の先から手を離した。カローラ・フェンは鎖をチャラチャラと鳴らして、それを壁に向かって投げた。熱の光ではないその球は教会の壁にめり込む。
天賦は急いで拡張袋に手を伸ばした。
ぐっと一度つっかえて、それから取っ手が伸びる。出てきたのはナイフだ。最悪ではないし、最高でもない。
攻撃が目的ではない以上、武器を所持しなくてもいいかもしれないという考えも過ぎったが、物理での攻撃が飛んできた時に対処しようがないので持つことにした。天賦は武器がないと思うように動けない。
その考えは正しかったようで、カローラ・フェンは動きを変えた。無の空間が歪み、宙から何かが発現する。
——それは、黄金の剣だった。"相棒"とも、ガラスで描かれたあの剣にも似ていない、粗悪なもの。
大量の剣は天賦に向かって飛ぶ。
膝を曲げ、一つは体に滑らせて避ける。
顔を貫こうとした一つをナイフで弾く。ずっと重い一撃だったが、天賦は根性でそれを振った。
隙間を見極め、体をひねって剣の間を通り抜ける。黄金が天賦を襲っている中でも、光は別に飛んできていた。
「もう……っ!」
天賦は思わず声を漏らした。きっと、まだ1時間も経っていない。剣の形を模した塊を蹴る。
休憩時間なんてない。頭も、足も、動かすのを止めたら剣が貫通する。一つの剣先が天賦の髪留めを裂いた。
はらりと、天賦の長い髪が広がる。ぐるりと髪の先が風に巻かれて邪魔だが、新たに結び直す時間などない。
どれだけ逃げても終わりは見えない。光も、剣も無尽蔵なのだ。もしこれが闘技場での戦いなら、試合に動きが見られないと観客に飽きられている頃だろう。
光が飛ぶ。そして、天賦はしくじったと思った。
この光を避けた先にあるのは剣の嵐。しかし、このまま直撃するわけにもいかない。煌々としたそれに目眩がして、戦況を把握できていなかった。
天賦は覚悟を決めて、自ら剣の中に身を投じる。
弾く。避ける。弾く。
限界まで目を見開く。唇にぬるい液体が垂れた。
「うっ!」
一つ。角度を変えて飛んできたそれを避けることができなかった。黄金の剣はナイフを持ち上げて、天賦の手から銀の刃を奪っていった。
カローラ・フェンは第二射を用意している。まずい、今からじゃ拡張袋に手を入れる時間がない。
すう、と天賦は息を吸った。
——放たれる。
天賦は、前に踏み込んだ。
一番最初に射出された剣目掛けて、手を伸ばす。間に合え、間に合えと祈り、走る。
そして——熱いグリップを掴んだ。
「っし——!」
その感触を確認すると、天賦はすぐに足を止めて横に跳んだ。大量の剣が背後の壁に刺さる。
普段なら、"相棒"以外のブロードソードなんて選択しないだろう。だが、今は別だ。武器ならなんでもいい。心の中で"相棒"に謝りながら、その金の剣を構えた。
カローラ・フェンはヴェールを一際大きく揺らした。聖剣のレプリカを構える天賦を、誰かに重ねているのか。
それから——金の壁ができた。
……いや、それは壁ではない。無数の剣先だ。今までと比にならないくらいの物量は、天賦の喉を鳴らした。
壁が、天賦に迫る。
避ける隙間なんてない。真正面から受け止めるしか。
——甲高い音が響いた。
それが連続して、凄まじい轟音が天賦の耳を殴りつける。無造作に、それでいて正確にブロードソードを振った。
肩の布が裂ける。脛のシルクが破ける。
それでも、天賦に大きな裂傷はない。
天賦は嵐の中、待っていたのだ。
瞳孔を異常な速度で動かし、角度を確認して。
そして、それはやってきた。
「こ、れっ……!」
僅かに、剣先が上を向いた黄金。
天賦はそれのブレイドを滑らせて、グリップに来た所で自身が持つレプリカを曲げた。
すると、天賦に向けて飛んできたそれは真逆を向き、速度を殺さずに反対に飛んだ。その先は勿論、純白の花嫁。
——剣がカローラ・フェンのヴェールを貫いた。
惜しい。もう少しずれていれば顔に突き刺さったのに。
しかし、突破口は見えた。眼球の血管が切れないうちに、もう一度剣を弾き返さないと。
ぐっと、強く柄を握る。
油断するな、気圧されるな。
"相棒"を救えるのは自分しかいない。
カローラ・フェンを——サマルエルムを救えるのも、自分しかいない。
カローラ・フェンを凝視する。
次は何だ。光か? それとも剣か?
彼女は、貫かれたヴェールを一度掴み、そして——
——ドレスが開かれた。
「え」
花のように、フリルが咲く。
その中から出てきたのは——獣の脚だ。
爪は金色に輝き、そこから黄金の液を垂れ流している。
ああ、そうだ。
なぜ私は忘れていた?
だって、カローラ・フェンの体液は——
カローラ・フェンがその脚を使って走り出した。
正真正銘、獣のようにそれを激しく動かす。同時に、黄金のそれも宙に撒き散らされた。
天賦はカローラ・フェンの衝突を避けた。速い動きだが、避けるのが無理というわけではない。——それよりも、問題がある。
「いっ……!」
天賦の腕に黄金の飛沫が飛んだ。一滴、ただ一滴である。それはじゅう、と音を立てて、天賦の腕の中に溶けていった。
神経が焼ける。血が溢れる。
「サマルエルムの涙」がどんなものか知っていたのに。これがどれだけの効果を発揮するか、身をもって知ったのはこの瞬間が初めてだった。
視界の外から液が襲いかかる。こんなもの、誰が避けられるというんだ。天賦はとにかく、カローラ・フェンから距離を取るしかない。
「……うそ」
獣の花嫁の背後から、丸い光が浮かぶ。
白いヴェールの隙間から、金色の剣が具現する。
彼女は、全てを使い出したのだ。
天賦がしなくてはいけないのは次のこと。
光を避ける。
剣を弾く。
体当たりを回避する。
黄金の液を見極める。
天賦は、妙にはっきりとした意識で考えた。
——そんなの、不可能だ。
一斉に、全てが飛んできた。
足を無理くり動かす。頭を逸らせて光を避ける。体を回転させて飛沫を遠ざける。
しかし、3つが限界だった。
「あ」
天賦の襟に、金のグリップが引っかかった。
それは天賦を急速に掴んでもっていく。ぐん、と衝撃が首の骨に伝わった。飛んで、飛んで、風が天賦の髪を靡かせて——
——天賦は、柱に衝突した。
「がっ、あ……っ」
後頭部を思いっきりぶつけた。
視界が歪む。目眩が襲う。
まずい、動けない。
獣の足がこちらを向いた、気がした。
駄目だ、駄目だ、動かさないと。
足を動かした、つもりだった。
なのに、実際には膝をがくがく揺らしただけ。
痛い。気持ち悪い。立てない。
床を引っ掻く音が遠くで聞こえる。視界の端が虹色に歪んで、まともに頭を動かせない。
天賦は経験豊富な戦士だ。だから、理解した。
この状況では、どうすることもできない。
ごめんね、相棒。
これ、無理だ。
——突如。
カローラ・フェンが叫び出した。
「あ、え……?」
その場で悶え、獣の脚を無造作に動かしている。
剣を杖に、天賦はふらりと膝をついて立ち上がった。一体、急にどうして——
甲高い、物が割れる音。
天賦はそちらに意識が持ってかれた。
ガラスが、割れている。黄金の剣が砕かれている。
外から寒い空気がやってくる。
明るい空が見える。
——そして、それを覆う黒い羽。
黄金の剣のガラスの代わりに、巨大な鳥が姿を現した。
「——迎えに来たぜェ、嬢ちゃん!」




