81話 純白
「いただきます」
天賦の意識が覚醒した。
スープの匂いがする。音がする。
辺りは暗い。夜だ。
ここはどこだ。見る限り、ガフタ周辺のような気がするが、見覚えのある山ではない。
「どうかしましたか?」
ふと、柔らかい声がかかった。天賦はそれを聞き、衝撃で体が跳ねる。だって、この声はもう聞くはずがないものだったから。
「……オーガン」
茶色い髪を伸ばした青年は、微笑みながら首を傾げている。
「食べないんですか? 冷めちゃいますよ」
「……あ」
いつの間にか、天賦はスープが入った器を持っていた。スプーンもしっかり握られている。これは、一体何だ。
それになぜここにオーガンがいる。あの時、「キシャ」として斃したはずなのに。
錯乱した彼の姿を思い出す。全く似ても似つかないほど、オーガンの所作は穏やかだった。
今、どういう状況だ。
……その疑問を、天賦が口にすることはなかった。できなかった。その前に、新たな声がかかったから。
「食欲無いんすか? めっずらし」
その声は天賦にとって懐かしいものだった。軽い口調で、年季のいっていないつややかなそれは、天賦に数々のことを想起させる。
「シュル、トカ」
彼は丸太に腰掛けて、足をぶらぶらとさせていた。木のスプーンが彼の口に運ばれる。
そこでようやく理解した。
今の天賦は"勇者"であると。
「そんなら自分が食べてやってもいいっすけどね」
「シュルトカくん、まだまだたくさんありますよ?」
「や、別に食い意地張ってるわけじゃないっすよ!」
天賦は、彼らが会話をしている姿を初めて見た。いつも天賦と誰か1人で対話をするばかりだったから。
「ふふ、気遣ってくれたんでしょう?」
「……あ」
上品に笑う声。
そこにいたのは、紫の髪を揺らす、金眼の美しい女性だった。いつか、「天賦」と話した、あの明人。
「ほーら。チュリマーさんはちゃーんと自分の心遣いを分かってくれてるじゃないっすか」
「チュリマー?」
「あら、私の名前を忘れちゃったの?」
チュリマー。確か、英雄の魔術師の名前だ。それが彼女の名前。しかし、チュリマーもやはり、今は天賦のことを"勇者"としてでしか見えていないようだった。天賦に指輪を託す言葉をかけた彼女ではない。
「……なんでもない」
「今日は少し疲れたものね」
「まさか、黒竜が現れるとはな」
そして。少し低い女性の声。
天賦はようやく、彼女と再会することができた。
——英雄の武闘家、サマルエルム。
「アベンとチュリマーのワイバーンが見張りをしているが、新たにドラゴンが現れる気配は無さそうだな」
「もう、あの子にはちゃんと名前があるのよ?」
今、ここには白魔術師のアベンと、チュリマーが使役しているというワイバーンはいないそうだ。ちゃんとアベンさんの分も残しておきましょう、とオーガンが言う。
「それにしても、自分ら結構強くなったっすよね?」
「はい。みなさん、とても格好いいですよ」
「ふふ、オーガンもよ」
英雄たちは笑う。そこに怪物の影は見られなかった。
「黒竜の爪を弾く自分の姿なんて見たら、母さんどんな顔するかな。きっと尻餅つくっすね」
「それぐらい防げなくては魔王討伐など夢物語だ」
「サミーったら、相変わらず厳しいんだから」
サミー、というのはサマルエルムの愛称のようなものだろう。天賦が彼女に目を向けると、サマルエルムの尻尾が一度大きく揺れた。
「我々は、オマエと同じ領域を目指さなくてはならないのだ」
「私と?」
「あなたの強さは驚異的ですからね。僕たちの中でも頭ひとつ抜けている」
"勇者"は英雄たちのリーダーだ。それほどの強さを持っていても何ら不思議じゃない。
そんな"勇者"が呪源になったら、やはりドラゴンの姿をしているのだろうか。ロジャヴェルズの嵐を思い出す。
「アベンに軽く【活化】をかけてもらってトントンって感じっすからねー」
「僕の【保存】も全く当たりませんし」
彼らの話を聞いて、天賦は思い出した。
英雄たち本人から話を聞けるのはここだけなのだ。なら、今のうちにサマルエルムの弱点らしきものを探らないと。
「ねえ」
「どうした」
「結婚って、どう思う」
サマルエルムは、目に見えて驚愕していた。しかし、それは他の英雄たちも同じだったようだ。
「え、い、いきなりですね」
「結婚……あなたから聞くのは珍しいわね」
確かに唐突だった。しかし、天賦は自然な会話の流れを作ることなんて慣れていない。再生師と同じだ。
「あ、あれっすか? 将来のハニーのことを幸せにできるか不安になっちゃったりしてるんすか?」
「え? 将来?」
シュルトカは、スプーンを動かす手を止めて、天賦の言葉に首を傾げた。
「何言ってんすか。あんた、魔王を斃したら姫様と結婚するんでしょ?」
「えっ、そうなの」
シュルトカたちは呆れた顔をした。彼らからしてみれば、天賦の方が変なことを言っているのだろう。
魔王を斃して姫と結婚。なんとなく、クェンターレで見た演劇を思い出した。
「王様がおっしゃってたもの。お姫様ったら、顔が真っ赤で可愛かったわ」
「頼りにしてますよ、花婿さん」
なるほど、では"勇者"は——どこかの国の——姫と結婚する予定だったのだ。それが本当に叶ったかは天賦には分からないが。
「結婚」という言葉にサマルエルムがどう反応するのか、彼女の方を見ると——
「フン。斃せたら、の話だ。まずは魔王のことを考えてもらはなくては困る」
言ったのはそれだけで、サマルエルムはスープを啜った。心の底から興味が無さそうに見える。天賦はカローラ・フェンの姿と重ねることができず、混乱した。
「まあ、サミーはそうっすよね。良い獣人とかいないんすかー?」
「いるか。我々は世界の命運がかかった重要な命を受けたのだ。そのような事にうつつをぬかすことなど無い」
サマルエルムはそう言い切った。木の器の中身が空になる。彼女は新たに注ぐことはしなかった。
「もしもの話っすよ、もしも」
「どうであれ、私たちが頑張らないといけない事には変わりないわね。みんなを幸せにすること、それが私たちの役割だもの」
「……フン」
彼女たちは、"勇者"たちは魔王を封印した。その役割を果たす事はできている。……だが、その後の彼らは。
「——さん?」
オーガンに名前を呼ばれた気がした。しかし、やはりその音は聞こえない。雑音に混じったようで、空白が埋め込まれたようで、天賦の耳には名前は届かない。
「やっぱり、疲れてますか?」
「……ううん、大丈夫」
スープをすくう。
匂いも確かにする。温かさも感じる。
「サマルエルム」
「今度は何だ」
「ごめんね」
彼女の今の姿を知っている。それは、どうやっても逆巻きに戻すことはできない。天賦は、これから彼女を殺すのだから。他の何でもない、"相棒"のために。
「……それは」
サマルエルムの尻尾が少しだけ揺れて、止まった。
「なあ、——。オマエは」
世界が壊れた。
スープの匂いがしない。音もしない。
英雄たちは渦巻くように形を変えて、まるでスープを混ぜるみたいに。鉱石が生える。青の液体が波打つ。
「殺しておくべきだった」。その声の主はきっとルチカナイトだ。そして、混沌が波に流される。
「――うはし――だね」
「――がつ――ったんだよ」
「かく――じは——なにか――」
目を回した天賦は、顔を上げた。
上から、下から、黄金が迫ってくる。
とろりと溶けて、
そして、それが降ってきた。
これは、彼女の——
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天賦は床に横たわっていた。
白い床。ひんやりとしていて、体の先が冷える。冷寒に痛む自らの頬は、これが現実であると告げていた。
「……あ」
天賦はすぐさま起き上がった。そうだった、天賦はカローラ・フェンの光に連れ去られたのだ。
"相棒"の鞘を撫でる。意識が完全に覚醒すると、天賦はすぐに周りの環境がおかしい事に気がついた。
雪山を凄まじい速度で上がっていった。だというのに、天賦は建物の中にいる。あんな雪山を登ってきたのに、体の感覚が「薄寒い」で済んでいることもおかしかった。
「ここ……教会?」
天賦は教会に入ったことがないので、それがどんな内装をしているのかは知らない。ただ、事前に聞いていた「ホツァイト山の頂上にある巨大な教会」という情報から、ここがどこであるか推測した。
その考えが合っているのなら、ここはカローラ・フェンの住処だ。それに気がついて、天賦はすぐに拡張袋に手をかけ、槌を取り出した。
見回しても、カローラ・フェンの姿は見えない。殺すのではなく、連れ去ったのには呪源であろうとも理由があるはずだ。警戒を解くことはできないが、天賦は教会を歩くことにした。
内装は美しい彫刻が飾られていたり、高すぎる天井には煌びやかなシャンデリアが吊るされていたりしていて、上品な印象を受ける。長椅子が所々壁を向いているのが不自然に思えたが、教会とはこういうものなのだろうか。
吹き抜けの先の2階には、何やらたくさんのパイプが取り付けられた装置のようなものがある。オルガンを知らない天賦には、その正体は分からなかった。
とても、呪源が創り出した環境とは思えない。人の文明そのものに見える。サマルエルムが理知的だったことの表れ、なのだろうか。
「……カルメ」
あの時、ちゃんと捉えることはできなかったが、ギリギリまでカルメは天賦を追いかけてくれていた。今頃、彼らはどうしているだろう。無事なことを祈る。
さらに歩くと、教会の突き当たりに着いた。
壁一面に飾られた色とりどりのガラスは、天賦の目には新しく映った。そして、それが何かの形を模している事に気がついて、天賦は一歩下がって全体像を眺める。
「あっ」
そして、形が見えた。
「剣……」
ガラスで表現されたそれは、一本の剣だ。
金色のガラスをふんだんに使われたそれは、まるで光っているようで。
天賦は思わず、自らの腰にささった"相棒"と見比べる。何度も首を動かして、それを察知した。
「……ちょっと、違う?」
——その時。
天賦の背後で、すうと空気が揺れた。
温度が急激に下がったようで、頭が痛くなる。
すぐさま振り返って、距離を取った。槌を構え、その姿を両の目でしかと捉える。
「……カローラ・フェン」
純白のドレスのような体。透き通った大きなヴェール、に見える頭部。細く、折れてしまいそうな左腕。右腕があったであろう場所は、黒い布で覆われていた。
巨大な、異形の花嫁。
カローラ・フェン、サマルエルムだった呪源。
天賦の手に汗が滲む。
ここには天賦1人。どうにかできる相手ではない。
……いや、どうにかしないといけない。
カルメたちが来るまで、あるいは1人で、この怪物を斃さなくてはいけないのだ。それが、天賦の使命だから。
動き出すのを待つ。カウンター狙いだ。
光を見逃さまいと、天賦は瞼に力を込めて極限まで集中した。何をされても、反応できる自信があった。
そして、カローラ・フェンが取った行動は——
——振り返って去っていく、だった。
「え」
天賦を見て満足した、というように遠ざかっていく。攻撃の準備、というわけでもなさそうだった。カローラ・フェンは本当に、天賦を攻撃しようとしなかったのだ。
「ま、待って、待ってよ」
この呪源に言葉が通じるかなんて分からなかったのに、天賦は声に出していた。相手は"相棒"を拘束する敵だというのに。しかし、敵対する様子を見せない相手に攻撃することは、天賦にとって無益な行為に感じた。
そこには何かしらの意味があるはず。隙を見せたから戦う、なんてことを企むほど、天賦は考えなしじゃない。
カローラ・フェンは一度、足——足があるかどうかは不明だが——を止めて、顔らしき場所を天賦に向けた。
ゆっくり、それは近づいてくる。「キシャ」のことを思い出して、天賦は少し後ずさった。
カローラ・フェンはその細く長い、武闘家にはとても見えない腕を伸ばして——天賦の頬を撫でた。
「……え」
それから、"相棒"に触れようとする。天賦ははっきりした意識を持っていたので、それを拒否した。"相棒"のグリップを掴み、カローラ・フェンを睨む。
すると、カローラ・フェンは腕を止め、それを引っ込めた。まるで、天賦の意思が分かっているかのように。
もしや、カローラ・フェンはこんな異形の姿をしているが、意識が残っているのではないか。ルチカナイトとは違う、「キシャ」と似たような感じで。
カローラ・フェン——サマルエルムは再び天賦から離れ、どこかを目指して移動する。
「どういうこと……」
天賦は槌を一度拡張袋の中にしまい、カローラ・フェンの後をついて行くことにした。




