73話 厳粛な皿
——その羊獣人の女は、芯の通った美しい所作で天賦たちの元に歩いてくる。ただ者ではないな、と感じるくらいに一歩一歩が完成されていた。
「あー、お前さんどちらの……デッカ!?」
彼女との距離が縮まり、カルメがその想像以上の長身に飛び退いた。カルメもかなりの高身長なのに、それを遥かに凌駕する超高身長。炎砲の2倍ありそうだ。
「こら、失礼だろ」
「すみません、あの、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
彼女は眼鏡をあげて、丁寧にお辞儀をした。
「申し遅れました。ワタクシ、呪解者の秘書をしております、タムチルーナと申します」
不思議な名前だな、と天賦は思った。サマルエルムもそうだが、獣人の名前は特徴的である。
「おお、呪解者のか!」
「ホラな、すぐ見つかると思った」
あれだけ騒いだのだから当然だ。話すのが好きそうな住民たちだったから、噂はすぐに広まるだろう。
「先生は呪源および呪いの研究をしておりまして、ぜひ、お話をお聞かせていただきたく存じます」
「モチロン。オレらも呪解者サンに色々聞きたかったところだからよォ」
「ちょ、カルメさん、言葉遣いが……!」
カルメは格式ばった話し方をしない。誰にでもこんなフランクな喋り口調だ。今更そんなことを気にしなくてもいいだろうに、と天賦は思う。自分も敬語なんて使えない。
「ああ、大丈夫なのか? こんな朝早くに……。」
「問題ありません。先生は早起きですから」
くす、とタムチルーナがほんのわすがに微笑んだ。
「そういえば、朝食はまだでしょうか」
「うん。まだ」
「でしたら、ワタクシが皆様のお食事をご用意いたしましょうか?」
天賦にとって願ってもない提案だ。喜んでそれを受け入れる。彼女はきっと上品な料理を作るに違いない。
天賦と再生師の元気のいい返事に頷き、タムチルーナは天賦たちを誘導した。
「では、こちらへ。呪解者の屋敷はこの先です」
「や、屋敷……」
天賦が今まで上がることのなかった建物だ。今更自身の服装を気にしてしまう。彼女は「問題ない」と言ったけれど。
そういえば、タムチルーナは他の獣人のような訛りがない。天賦よりも遥かに流暢に、丁寧な共通語を話している。小さい声でカルメに聞いた。
「この人、あの喋り方じゃないね」
「共通語を話す機会が多いんだろ」
それに加え、簡単に楽園教の首を折った腕力。かなりできる人だな、と天賦はその後ろ姿をしげしげと見つめた。
「楽園教……黒いローブはいつからここにいるんですか」
「あれはつい先日、ガフタを大勢でうろつくようになりまして。以前は少ない数だったのですが」
「それは……被害が出てないといいけど」
カルメは黒ローブにバツが描かれた張り紙をパリッと破いて、一度振るった。
「「黒ローブの明人お断り!」か。勘違いされなくて良かったァ」
「真っ黒だしな!」
「そのお召し物では羽人の特徴が出ませんからね」
やはり、彼女もカルメが羽人——実際は違うけれど——だということを知っている。呪解者はどこまで天賦たちのことを知っているのだろうか。
「しかし、あまつさえ「サマルエルムの涙」さえ所持しているなんて」
「え、知ってるの」
天賦たちはウィルヒムに教えられて初めて知ったのに、タムチルーナはそれをいとも容易く口にした。
彼女は目——らしき場所を細め、眼鏡を上げた。
「詳しい話は中でしましょうか」
そう言って、タムチルーナが見た先は——荘厳な、一際大きい黒い木の屋敷だった。親しみやすい他の家々とは違い、近寄り難い雰囲気を醸し出している。
ファティは襟を正し、カルメは頭の後ろを掻いた。
「あ、その前にこちらにご署名を。屋敷に出入りした人間を記録しろと先生に言われておりますので」
「……私は?」
「通称名でも構いません」
なら安心だ、と思った矢先、天賦は自分が字が書けないことに気がついた。「天賦」ってどうやって書くのだろうか。ペンも持ったことないのに。
「天賦のは俺が書くよ」
「ありがとう」
こういう時、炎砲は気が利く。単に世話焼きなだけかもしれないが。
全員分の筆記が終わる。再生師の字は天賦でも分かるほど綺麗だ。ファティの字が雑に見えて、天賦は意外に思う。——彼女は筆記体を知らない。
「ありがとうございます。では、こちらへ」
黒い扉がゆっくりと開けられる。暖かい空気が天賦の顔に伝わった。
「おお……」
見るからに富豪の家だが、中は煌びやかではない。落ち着いた装飾が飾られていて、重たく静かな空気が漂っていた。争いの絵画がいくつか壁にかけられている。天井もタムチルーナに合わせたのかと思うくらいに高い。
扉が閉められて、天賦たちは静寂に包まれた。風の音も、雪が崩れる音も聞こえない。人の気配さえ感じなかった。
「では、まずはお食事にいたしましょう」
「本当にありがとうございます」
「かの呪源を斃した方々ですから、当然のことです」
天賦たちは屋敷の中を見回しながらタムチルーナに着いて行く。あんまりじろじろ見るもんじゃない、とファティに怒られてしまった。
辿り着いた先は、大きな長方形のテーブルが中央に置かれた部屋。10人以上座れそうだ。こんなに丁重なおもてなしなんて受けたことがないから、天賦は緊張して再生師の方を見た。彼女は特に顔色を変えていない。
「何かご要望はありますか?」
「クリームシチュー」
「はやっ」
天賦はただクリームシチューを一度食べてみたいだけなのに、毎回その願いが満足に叶わない。こんな凄そうな料理が出てきそうな場所なら、きっと特別美味しいシチューが出てくるはずだ。……天賦は普通のクリームシチューさえ食べたことがないので、味の基準は存在しないが。
「あ、オレはいいや。今腹一杯だから」
「承知しました。では、シチューですね。すぐにご用意できるのでこちらで少々お待ちください」
タムチルーナはぺこりと頭を下げて部屋を後にした。彼女がいなくなって数秒した後、ファティはふうと息をついた。
「ま、まさか呪解者さんの秘書の方に料理を作ってもらえるなんて……」
「秘書が料理を作るとは、明人とは少し違うな。」
「なんか、緊張してお腹膨れてきちゃったよ」
あまりに静かなので、各々の声量もいつもより控えめだ。天賦もここで騒ぎたいとは思わない。
「あーヤベェ。聞くコトも話すコトもバカほど多くて頭こんがらがる」
「私は覚えているぞ!」
「再生師さんほどの記憶力があれば苦労しないんですけどね……」
天賦は正直、何も考えていなかった。その場その場で聞きたいことを見つけるほうが楽だ。ほとんどは再生師に任せるつもりでいる。
間違いなく情報過多でついていけなくなる。天賦は呪源関連の情報さえ聞き逃さなければいい。
「まずガフタの呪源だろう? そして他の呪源の情報、あと「サマルエルムの涙」のことも聞きたい。加えて英雄のことも——」
「つまり全部だ。ちゃんと覚えてくれよ姉ちゃん」
把握した!と彼女は少し控えめな返事をした。
「そういえばさ、天賦の夢のことは説明するか?」
「ああ。英雄の、な。」
"相棒"の力、かもしれない、過去の追体験。英雄のことも研究している呪解者にとっては大きな情報となるだろう。
ただ、それを教えて「じゃあ見せてみろ」なんて言って"相棒"を要求されたらたまったものじゃない。
「今はいい。聞かれたら言う」
「ま、それがいいかもなァ」
どうしてルチカナイトを、弟を斃せたんだ、とか聞かれたら答えるしかないかもしれない。
そうこうしているうちに、扉が開いてそこからタムチルーナが現れた。その後から使用人が何人か入室してくる。
「お待たせいたしました」
「す、すごく早いですね……」
こう言う場での料理は、なんとなく時間がかかりそうだと思っていたが、思っていたよりもずっと早く到着した。天賦は椅子から身を乗り出して皿の中を確認しようとした。座っていなさいと炎砲に注意される。
一つ一つ、皿が天賦たちの前に丁重に置かれる。配膳し終わると使用人たちはすぐに部屋から出て行ってしまった。
「どうぞ、召し上がってください」
「ありがとうございます」
天賦はわくわくしながら皿に目を落とす。その中身は——天賦の顔だ。
「……あれ」
正しくは、天賦の顔が反射したスープだ。具も何も入っておらず、少し白く濁った半透明の液体が入れられているだけ。本当にそれだけだった。
「これ、シチュー?」
「はい、シチューです」
天賦はウィルヒムたちから聞いた話は記憶違いだったかな、と他の仲間を見回した。しかし、そのスープに納得している人間は誰一人としていなさそうだった。
「……いただきます」
「どうぞ」
ここで「シチューじゃない」なんて言える人間はいない。ファティはともかくとして、料理に詳しくない人間がそっちのエキスパートに文句を言うなんておこがましい。
これが獣人の国のシチューなのか、と天賦はスープをスプーンですくって一口飲んだ。
天賦は、思わず声にした。
「なにこれ!」
ただの水にしか見えないのに、色々な味がする。にんじんの味とか、クリームの味とか。今まで食べてきた料理と全く違った。
「す、すご、どうやって……」
ファティはかなりの衝撃を受けていた。一口食べて、何やら悩んでを繰り返している。再生師は静かに飲み進め、炎砲はきょろきょろ天賦たちの顔を見ていた。
確かに、おいしい。かなりおいしい。
……ただ、一つ問題がある。
このシチュー、味が薄い。
「水? スープ? うーん」
「声に出すなよなァ」
水っぽいスープなのか、スープっぽい水なのか。味がたくさんすることは確かだが、どれも主張が薄い。スープが少し余っている容器に水を入れたみたいな感じだ。
ただ一つ言えるのは、間違いなく、これはシチューではない。
「ん? 皆様どうかなさいまし……あっ!」
「どうしました?」
何かに気がついたタムチルーナは、天賦たちの前に来て急いで頭を下げた。
「申し訳ありません、ワタクシとしたことが、先生への料理と同じ味付けのものを皆様にお出ししていました」
「呪解者と?」
味が薄いことには理由があったようでなんとなく安心した。なんと、呪解者はこのくらい薄い味のスープを好むらしい。
「先生は自宅では濃い味の料理を好まないので、調味料の量を調節しているのです」
「超薄味のシチューが好きなんて、センセーは変わりモンだなァ」
「ちょっと、カルメさん!」
ファティは、呪解者の秘書の前でも失礼な物言いのカルメにかなり焦っている。怒っても彼は訂正しないだろう。
「ええ、先生は本当に変わった方です」
「なるほどな、面白い!」
機嫌を損ねてしまうかと思ったが、むしろ場が和んだ気がする。
それにしても、濃い味が好きじゃないからと言ってここまで薄くする必要はあるのだろうか。舌が敏感すぎるからこうせざるを得ない、のかもしれない。
「そうでした、今すぐ作り直します」
「いいや、大丈夫ですよ。おいしいです」
皿を持っていこうとするタムチルーナを炎砲が止めた。天賦も特別不満があるわけじゃないし、これはこれで美味しいから良しとした。
「申し訳ございません。感謝いたします」
「それにしても、どうやって作ったんだ?」
「それは秘密です」
具が入っていないのに具の味がするなんて不思議だ。どろっとしていない、透き通ったスープなのに。
腹がふくれた、とは言い難いが、天賦たちはタムチルーナのシチューを完食した。
「ごちそうさまでした。ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
タムチルーナは頭を下げる。それでも誰より背が高い。すると、彼女の元に1人の使用人がやってきて、羊の耳に耳打ちをした。
タムチルーナは何度か頷いた後、使用人を下がらせて天賦たちに向き直る。
「では皆様、先生の用意ができたようですので、今から先生の部屋にご案内いたします」
「おお、ついに……」
「ついに、とか言わないの」
今度はカルメに叱られた。呪解者の屋敷で天賦はどれだけ怒られることになるのだろうか。
「こちらです」
タムチルーナが案内した場所は、階段を上がったところの中央にある両開きの扉だった。ドアノブが照明に照らされて金色に光っており、他の部屋よりもずっと重い雰囲気を感じる。
天賦は"相棒"のグリップを握った。
タムチルーナがノックをして、扉の先と短い会話をする。「入れ」と低い声が耳に届いて、思わず天賦の肩が揺れた。
「では、どうぞ」
「……失礼します」
礼儀を心得ていそうなファティに先に行かせる。再生師とカルメの背の隙間から、艶めいた木製の黒い机が目に入った。
前の尻尾が横に避けて、天賦は部屋の全貌を目の当たりにする。書類が積み上がっていて、かつきちんと整頓された部屋は主人の性格を物語っていた。
「来たか」
背の大きな椅子に座る、1人の狼の獣人。
黒や白、灰色が混じった毛並みを持ち、左目には細やかな細工が施されたモノクルをかけている。右と左で色が違う瞳は、天賦には目新しく映った。
「ガフタへようこそ、呪源を斃す者達よ」
暖炉の火が、小さく音を立てていた。




