69話 祝福
――鐘の音が聞こえて、天賦はこれが夢だと理解した。
カン、カン、と、真っ白な建物のてっぺんに取り付けられている大きな金の鐘が揺れている。青い空に鳥が羽ばたいた。庭師が整えたであろう草木が美しい。
天賦は、その建物の前に突っ立っている。
このような建物は初めて見た。なにか、特別なことをする場所、ということしか分からない。
天賦は長旅に飽きて、いつも通り"相棒"を抱えて寝たはずだ。こんなところに、一人で訪れるはずがないから。
目覚めようと意識しても、この建物が消えていく様子は見られない。現実と変わらず、そこにそびえていた。
この感覚を、天賦はよく知っている。
「これが明人の結婚式か」
低い女の声がする。
庭の脇から姿を現す。大きな大きな尻尾が揺れていた。
綺麗な銀色の毛並みを持つ、背の高い獣人。強い意志が宿った黒の瞳が、天賦を一直線に見つめていた。
「……あなたは誰」
彼女の耳がピクリと揺れる。獣人なので表情がわかりづらいが、いい顔はしていなかった。
「どうした? 「サマルエルム」という、唯一であるワガハイの名を忘れたと?」
やはりな、と天賦は思う。この現実のような夢は、決まって200年前の英雄が現れるのだ。そして、彼らは天賦がまるで"勇者"であるかのように振る舞う。
天賦はここで初めて、「サマルエルム」と言う名が女のものだということを知った。
「……嘘。なんでもない」
「冗談を言うようなヤツではないだろう、オマエは」
サマルエルムは笑ったように見えた。
どうやら今は結婚式が行われている最中のようだ。きっと、白い建物の中で式が進められているのだろう。誰と誰が結婚しているのかは分からない。
「誰が結婚してるの」
「知らん。この街の誰かだ。ワガハイたちにもぜひ参列してほしいと言われてな、中に他の4人がいる」
他の4人と言うと、シュルトカ、オーガン、白魔術師アベン、魔術師チュリマーだ。
ではなぜ、サマルエルムはここにいるのだろうか。
「行かないの」
「フン。ワガハイたちには関係のない話だ」
尻尾が弧を描いた。彼女は少し冷たい人物なのかも。
「魔王がいるこの時代で、あんなものは一時の幸せに過ぎん」
「魔王……」
「魔王」と告げるサマルエルムの顔が険しくなる。そこには確かな憎悪が感じられた。カルメの姿が浮かび、天賦の中に複雑な感情が渦巻く。
「だろう? それにオマエも、あのようなものに興味はないように見える」
「……わかんない」
天賦には当分関係のない儀式だ。"相棒"よりも大事に思える人が作れるイメージが湧かないので、一生、かもしれない。
サマルエルムは鼻を鳴らす。静寂が訪れて、天賦は少しでも彼ら英雄のことを探ろうとした。あとで仲間たちにこのことを話せば何かわかるかもしれない。
例えば、呪源の弱点とか。
「え、えっと……嫌いな物とか、ある?」
「いきなり何だ。今更そんな幼稚なことを聞くのか?」
彼女は怒ったかもしれないし、笑ったかもしれない。
「勿論、魔王が嫌いだ」
「そ、そっか」
天賦は必死に記憶を洗い出す。ガフタの呪源は一体どんな存在だと再生師は言っていたのだっけ。
腕を組み、彼女の長い話を頭の中の棚から引っ張り出そうとした。再生師の元気な声が記憶を辿り――
――通称「花嫁」とも言われている!
そういえば。
いくらか前に、そんな話を聞いた気がする。
まだ決まったわけではないが、獣人の国の呪源となれば、正体は獣人の英雄であるサマルエルムだと考えるのが自然だろう。事実、今天賦は彼女の夢を見ている。
結婚に微塵も興味がなさそうな彼女が、「花嫁」と言われていることが繋がらない。
「えっと」
「何だ? まだ何かあるのか?」
「お嫁さんってどう思う」
サマルエルムの口がわずかに開いた。獣人の表情はよく分からない。
「……一概には言えないが、幸福な人間なのではないか」
尻尾がくるんと回る。彼女のマズルが横を向いた。
「愛する者と生涯を共にする。「互いを愛し、互いに誓い」、だったか? 間違いなく尊いものだろう」
「……私、それ知らない」
「明人の誓いの言葉ではないか」
お決まりの台詞的なものだろうか。獣人の彼女の方が詳しそうだ。
「まあ、消えてなくなってしまうことには変わりないがな。どれだけ愛し合っていても、120年後には虚無に変わる。……ああ、明人は70だったな」
遠くで拍手が聞こえる。銀の毛に埋もれて、彼女の瞳が捉えられなくなった。
「……愛してる人、いる?」
「…………フン」
サマルエルムは鼻を鳴らして、鋭い爪がついた指を立てた。そして、その刃を頬に当て、線を描く。
「えっ」
当然、血が流れる。
その液体を、彼女は無表情で見つめていた。
「こんな身体のイキモノを愛する人間などいるか」
彼女の血は、金色だった。
――――――――――――――――――――――――――
「――賦、天賦?」
遠く、近い場所から声をかけられて、天賦は頭を打った。痛くはないが、かなり大きな音が響く。
咄嗟に炎砲が天賦の頭を押さえた。
「うわ、大丈夫か!?」
「……だいじょうぶ」
夢から覚めた、というより、別の世界から帰ってきた、と言った感じだ。見慣れた車内である。肌寒い。
「ぐっすりだったなァ。姉ちゃんのクシャミで起きなかったワケ?」
「くしゃみ?」
「いや、ここは案外寒くてな——えっくしゅ!」
言った側から再生師のくしゃみが響いた。
「さっきからそんな感じィ」
「もう数えるのをやめたぞ!」
「なんで数えてたんだ?」
天賦が寝ていた間も、相変わらず車内は賑やかだったようだ。天賦は輝く"相棒"の鞘を見て、優しく撫でた。
「ねえ」
「ンだよ」
「獣人の血って何色?」
それを聞くと、全員が顔を合わせて微妙な表情をした。何かまずいことを聞いてしまったことは分かる。
「そりゃ……赤だろう。」
「その、ガフタでそういうこと聞くのはやめろよ?」
「流石に失礼だわ」
勘違いをされている。天賦は慌てて"相棒"を掲げた。
「違う、夢見た。サマルエルム」
「やっとかよ」
「おお! 本当か!」
再生師は狭い車内で尻尾を振った。いい加減にしなさい。
「血が金色だった」
「血が? 涙じゃねェのかよ」
カルメは羽の中から楽園教のポーション、「サマルエルムの涙」を取り出した。
「どういうことだ? 身体自体が英雄の武器ということか?」
「どうだろうな、ここで俺たちが考えて分かるようなことなのか?」
「十中八九、答えは出ないでしょうね」
そもそも「英雄の黄金」がどのようなものなのか分かっていないのだ。「サマルエルムの涙」の正体はこの車の中では分かるまい。
「天賦、ずっと寝てみたらどうだ? 英雄の夢がもっと見られるかもしれん。」
「それは、俺たちが困っちゃうなあ」
「というか、そんな凄い夢をぽんぽん見られるのがまずありえないですけど……」
天賦は最初こそ否定していたものの、"相棒"に特別な力があることを薄々感じていた。"相棒"が"勇者"の聖剣だとは思っていないが、それでも。
「あ、そうだ。なんで起こしたの」
「そろそろガフタに着くんだよ」
「ほんと!」
天賦はそれを聞き、すぐさま天窓を開いた。そして、頬にあたる寒風を覚悟する。しかし、風は思ったよりも天賦の肌に刺さらなかった。
「あ、なんか楽」
「ガフタの辺りは比較的温暖なんですよ。比較的、ですけど」
「天賦、早めに閉めてくれよ! っくしゅ!」
また再生師がくしゃみをした。
一面の銀世界ではなく、尖った葉の木が生える森があちこちに見える。どれも雪を被っていた。
「カルメ、あれなんの木」
「どれどれ……あー、あれはダ……針葉樹だよ」
「ふーん」
カルメが何かを言いかけた気がしたが、多分気のせいだろう。一通り眺めた後、再生師の言う通り窓を閉めた。
「カルメ、ずっと中にいたら窮屈じゃないか? 飛んできてもいいんだぞ」
「や、今はいいわ。ちょっと外がいい景色すぎるっつうかね」
「どういうことだ? さっぱりわからん!」
再生師が笑う。カルメの言葉は真に受けすぎない方がいい。床に座り、そしてまたあの匂いが漂ってきた。
「ねえ、これやだ」
天賦はあの箱を指す。天賦が匂い草を取ったせいで大惨事になった箱だ。中には調味料が入っているらしいが、なぜそんなものが魔獣をあんなに引き付けるのか。
「そうだ、結局中には何が入っているんだ?」
「ガフタで困らないように持ってきたとっておきです」
「その前に困ったけどな」
「それは流石に予測してませんでしたよ」
ファティは運転しながら話す。
「まあとにかく、それがあれば路頭に迷うことはないですから。必要になったら出しますよ」
「勿体ぶるよなァ」
「教えてくれよー」
天賦も頷く。お預けはせっかちな天賦の嫌いなものだ。
「勿体ぶりたいんですよ。今回は」
ファティの声色は軽い。自慢げというか、得意げというか。そんなに凄いものが入っているようには見えないのだけれど。
「あ、ほら! ガフタが見えてきましたよ」
「え!」
「遂にか!」
天賦はまた天窓を押し上げた。身を天井に乗り出した横で、再生師も同じように顔を出す。くしゃみがさらに一回追加された。
「おー!」
「国だ!」
そこに映ったのは、大きな大きな雪山と、その麓に栄えている国だ。まだ遠いが、焦茶の木々で作られたであろう家々が見える。今走っている道も特に整備されていた。
「ふう、やっと着いた」
「お疲れファティ。温かい飲み物でも用意しておくよ」
「炎砲くんは優しいなぁ……」
煙が立ち上っているのも見える。人の営みがここからでも感じられた。
「リンゴーン、リンゴーン、響けよ遠く〜」
「それ、また歌うの」
「私の好きな歌だからな!」
再生師の美声が響く。くしゃみも少し。好きな歌が結婚の歌なんて不思議なものだ。
結婚。
——愛する者と生涯を共にする。
——「互いを愛し、互いに誓い」、だったか?
先ほど見たばかりの、サマルエルムの姿を思い出す。あの夢で初めて彼女の姿を、声を知ったはずなのに、なぜだか馴染みがあった。昔、似た獣人でも見ていたのかもしれない。
「天賦! 雪合戦をしよう!」
「なにそれ」
「雪を丸めて投げるやつだ!」
再生師が赤い瞳を輝かせて笑う。大きく揺れそうな尻尾を掴んでおいた。
「ハハ、結局ソレかよ」
「色々落ち着いてからにしような」
「把握した!」
元気のいい返事だ。天賦も微笑む。
とうとう近づいてきたガフタを、天賦はさまざまな気持ちを胸に抱きながら見つめていた。




