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57話 「???」

 ――天賦は色水が溢れた瞬間、終わりを覚悟した。

 この水――呪源に触れれば、炎砲のように記憶を失ってしまうのでは、と。"相棒"を抱きしめ、息を完全に止める。


 炎砲の家が崩れ、外に放り出される。

 失敗を確信するも――天賦の脳は混乱していなかった。全身で触れてしまったというのに、何も変化を感じない。


「げほっ、ごほっ!」


 ファティが咳き込んでいる。口からあの液体を吐いていて、気持ちが悪そうだ。頭を抱えて唸るファティを、カルメが引っ張り上げて雑に抱えた。


「ヤベェぞ、こっちだ!」

「わ、かった!」


 キシャ――だった呪源はぶくぶくと音を立てて広がっていく。空はカルメの翼で覆われているが、地面からは次々に水色の水が噴き出ていた。

 このままここに留まれば溺れて死ぬことは確かである。


 カルメの後を追い、家の瓦礫を足場にして他の家の屋根に登る。何も解決していないが、ひとまず逃れることはできた。


 砂漠の町で、こんな洪水の景色を目にすることになるとは。顔を拭い、髪の水を振るう。


「ファティ、大丈夫か?」

「ありがとうございました、ケミタン。……ケミタン?」


 ファティは、カルメを見て「ケミタン」と言った。2人を言い間違えるわけがない。


「え?」

「あれ、違います。俺はケミタンじゃなくて、天賦さんって言おうとして……あれ」


 頭を力強く押さえ、身を縮めていく。今度はカルメを天賦と言った。


「あ、ああ。ヤバいな。これ、飲んじゃだめです」

「飲むって……呪源をか」


 ファティは力無く頷いた。

 天賦も、再生師もしっかり息を止め、カルメは仮面をかぶっていた。ファティは咄嗟の出来事に反応できず、たくさん飲んでしまったのだろう。


「再生師、ファティを……」


 その時、気がついた。

 再生師は汗をびっしょり流して、震える手で炎砲に触れている。彼女の手から出る光は淡かった。


「な、なんだ、てんぷ」

「あ、いや、大丈夫なの」

「正直、まずいな」


 炎砲は鍵だ。呪源に対しても、液状スライムに対しても。なんとかして意識を取り戻さないといけないのに、再生師の体力が持たなそうだ。

 天賦たちだけではこの海を斃すことはできない。


「私だけでは、少し、無茶かもしれん。誰か【治癒(ヒール)】を使える者を――」


 その時、ざばんと水が波打つ音がした。残骸から、呪源が壁のように持ち上がっている。ぼこぼこと中でいくつも泡が集まって――


「逃げて!」


 ――水が噴射された。

 【水流(アクア)】のような水圧で削り取るようなものではなく、ただ勢いよく水を飛ばしただけ。

 しかし、その狙いは天賦たちの顔だ。ただの水だと侮ると記憶を消されてしまう。


 再生師は炎砲を、カルメはファティをかかえて退避する。天賦は2人の後ろで、誰かが遅れてしまわないように気をつかった。もちろん、充分な余裕があるわけではない。


 水がどんどん上がってくる。足元までだった呪源は、今では家の扉の半分ほどまでの水位になっていた。


「クソ、このニセ弟が……」

「どうしよ、炎砲をどうにかしないと」


 再生師はすでに疲弊している。

 炎砲の処置に体力も魔力も消費する。その上相手から逃げ回らないといけない。彼女を守り、負担を少なくすることが天賦の目下の仕事だ。


「マーマレード、【治癒(ヒール)】つかえる」

「あァ、あの娘っ子か!」


 炎砲を起こすには再生師の他にも治癒魔法を使える人間が必要だ。そして天賦の知る限りでは、クェンターレで【治癒(ヒール)】を使える人間はマーマレードしかいない。


「今どこにいるの」

「拠点だ! 一番上の!」


 この際、巻き込んでしまうとか、彼女には危ないとかは関係なかった。今この状況で、呪源を斃すために必要なことだ。


「うぐっ!」

「うわ、嬢ちゃん!」


 ――顔に水が落ちてきた。


「守って。守って。守って。守って。守って。」


 カルメの翼の天井に、ちょっとした穴があったのだ。

 一瞬、ぐにゃりと視界が歪んだ。頭をいじくられている気分だ。やらかした、飲んではいけないとわかっていたのに。吐きそうになる。


「……あれ、何するって言った?」

「マジすまん! (あん)ちゃん治す、【治癒(ヒール)】が必要、だからマーマレードお嬢様!」

「あ、そうだ、そうだった」


 脳がふわふわする。思考力がぐんと落ちかけた。

 身体に傷がつけられるような戦いではなく、中身をかき混ぜられるような戦い。

 こんなことは初めてだ。自身の経験値が役に立たない。


「はっ……はっ……」


 再生師の荒い息遣いが聞こえる。ルチカナイトの戦いの時も、こんなに早い段階で疲弊していなかったはずだ。


「再生師、一回やめた方がいい」

「駄目だ。と、途中でやめると、危険だ。」


 まだニーデン傭兵団の拠点にはつかない。マーマレードと合流する前にバテて倒れてしまうのでは、とさえ思った。


 先行するカルメが次の屋根に飛び移ると、石の下から噴水のように呪源が溢れ出た。


「うおっ!? ンだよクソが!」

「カルメ、こっち!」


 天賦が迂回しようと思った家も、屋根の下から呪源が飛び出して乗り移れるような状態じゃなくなった。


 急いで辺りを見回す。仕方がないが、かなり迂回するルートを通るしかない。天賦が再生師とカルメを誘導して、青く塗装された土の屋根に飛び移る。6歩分くらい離れていて、足を踏み外すと水に溺れてしまいそうだった。


「ソッチは沈むぞ! 早く移動を――っぶねェ!」

「助かった」


 そうしているうちにも、四方八方から水が飛んでくる。カルメが翼の壁を作るが、弾ける水を全て遮ることはできない。拠点を守って、空からも守っているのだから、自分たちに割けるリソースが少ないのだろう。


 顔を死守しないといけないので、視界がどんどん狭くなってしまう。足を何度も踏み外しそうになった。


「違う……あれ、誰? どこ行くんだっけ」

「コッチだ嬢ちゃん! 口閉じとけ!」

「まずい、【再生(レプロ)】はこれで合って……いや違う、危ない……」


 体内に入れないように気をつけているのに、記憶がじわじわと歪んでいく。内からも外からも道を塞がれている気がした。


「ゔ……す、ずみませ……お゙えぇ……」

「大丈夫だ、もう少しだから頑張れ」


 ファティが呪源を口に含んだ不快感と、カルメの背中で揺られたことが相まってか、ゆっくりと吐き出した。天賦も彼の気持ちはわかる。


 疲弊する再生師、弱ったファティ、気絶した炎砲。

 はっきり言って状況は最悪だ。ルチカナイトの時と違って、事前準備も何もないのだから。


「ああ、もう……」


 自分の頭の悪さが嫌になる。この大馬鹿。町を巻き込んで、勝てる見込みのない戦いに身を投じるなど。


 天賦はこの中で唯一フリーな存在だ。人を抱えているわけでもなく、同時進行で何かをしているわけでもない。

 つまり、自分がこの状況を打破すべきなのだ。


「――みんな、拠点に行ってて」

「……はァ?」


 一つだけ、考えがあった。少なくとも無謀ではないもの。

 ベルトから"相棒"を鞘ごと取り出す。黄金に光るそれを、呪源の海に向けて構えた。


「バッカ、早く来いって!」

「大丈夫、死なないから」


 カルメの片目をじっと見る。死ににいくわけではないと、視線で訴えた。カルメはそれを察したのか、「絶対約束しろよ」と言って再生師を先導して屋根を走っていった。


 それを追って水が飛ぶ。あれを許しては、カルメたちを先に行かせた意味がなくなってしまう。

 "相棒"のグリップをしっかり握り、水滴に向かってそれを振り下ろした。


 ――思い出したことがあったのだ。

 クェンターレの「壁」に行った時、呪源の液状スライムに向けて"相棒"を振った時、物を焼いたような感覚がしたことを。


 剣の鞘が水に当たり――


 ――じゅう。


「よし……っ!」


 考えが的中した。水が鞘に当たって消えたのだ。

 やたらと金の遺物を狙うので、関係があると思ったのだ。この呪源は金の武器で攻撃されると焼けるようだ。


 全てを焼き切れるとは思えないが、時間稼ぎには充分だ。炎砲の意識が戻るまで、ここで持ち堪える。


 水滴が焼かれたと分かると、呪源の壁はカルメたちから天賦の方へとやってきた。黄金の武器も相まって、こちらを処理すべきだと判断したのかもしれない。


 呪源がどんどんと迫ってくる。背筋を冷たい何かがつたった。


 ――水飛沫が視界を覆った。いきなり、広範囲の攻撃である。心の中で悪態をついた。

 剣を横に持ち直し、面の部分で飛沫をたたく。一振りだけでは足りないので、土の床を踏み締めて剣を往復させた。


 その分で、天賦が水を正面から被ることはなくなった。水が吹き抜ける感覚が天賦の髪に伝わる。


 【砲撃(ショット)】のように、複数の弾が天賦に向かって飛んでくる。

 右から2発。左から1発。正面から3発。


 手首を翻し、右と左一つずつ潰す。

 右足で踏み切り、すうと息を吸って残りの右の弾を弾く。

 正面の3発は工夫する必要もない。無造作に剣を構え、トン、トン、トンとリズミカルに水球に触れる。それだけで、呪源はじゅうと溶けた。


 この程度なら幾らでも凌げる。ただ、これだけではないのはルチカナイトとの戦いでとっくに思い知っている。

 ルチカナイトは鉱石だけではなく、鏃や岩、透明などの搦め手も使ってきた。今回の相手もそうであると思って行動すべきだ。


「……きた」


 予想通り、奥の呪源の中が不自然に泡立ち始めた。大きな泡の塊が生き物みたいに渦巻いている。【水流(アクア)】みたいな攻撃が来るかもしれない。自身の前に"相棒"を構えた。


 ――しかし、その予想は外れることになる。


「うそ」


 ぶしゅう、と。その音とともに視界にもやがかかる。

 泡立った箇所から、天賦に向けて霧を出してきたのだ。ただの霧ではなく、呪源の色と同じように水色に染まっている。

 あれも【保存(フリーズ)】の力を持つことは明らかだった。


 口を硬く閉じて、隣の屋根に移る。しかし、霧はかなりの面積を持っている。それで避けられるわけがなかった。


 再生師は、オーガンがどんな英雄だと言っていた?


『オーガンは【保存(フリーズ)】の天才でな、それで敵の動きを止めたり、脳に使って記憶を混濁させる力を持ってたという記述が残っているのだ!』


『呪解者の本によると、剣士の家に生まれたらしいな。それで"勇者"たちに救われたことで僧侶の道を目指した、とのことだ。』


 だめだ。ヒントになりそうな話が無い。この状況を切り抜ける方法があれば、と思ったのだが。


 水色の霧に囚われながらも、呪源は休まずに次々と水を噴射してくる。勢いも、水の量も増している。

 水に濡れた土を踏む。"相棒"を振りかざすには空気を吸う必要がある。

 拒めない毒だった。


「う……なんだ……なんだこれ……」


 剣を振り続けているうちに、なぜ自分がこうしているのか、なぜ水に向かって"相棒"を振り回しているのか分からなくなっていく。

 自分はどこにいて、何のために動いているのか。


 頭がぐるぐるする。腹をひっくり返される。

 気持ち悪い。不快感が募る。


 剣を振り続けないといけないのに、頭に空白が埋め込まれていく。考えが白紙になる。思考がとける。


 天賦は考えることは得意じゃない。感覚で動く方が得意である。――しかし、その感覚でさえも消えていくのだ。


 どれだけの時間、剣を振っていたのか分からない。

 1分、1時間、1日、1年。

 誰かのためにここで波と戦っていた気がする。でも覚えていない。理由があって波を斃さなくてはいけなかった気がする。でも覚えていない。


 誰か、とは誰のことだ。

 カ、カ――なんとかと、なんとか――師と、あと――


 天賦の中で確かなことは、"相棒"が相棒だということ。それ以外のものは霧の中に消えていく。頭痛が酷くなって、肩が落ちていって――


「えっ」


 ――地面が溶けた。

 その時、天賦は新たな知見を得ることになった。

 土の家は、水に弱いと。


 水を吸いすぎた壁は泥のようになり、天賦から足場を奪っていく。他の建物に移動しようとしても、そのために踏み込める土台がなかった。


 左手で"相棒"を抱えながら、どこまでも黒い空に向かって手を伸ばす。しかし、その手はどんどん空から離れていった。


 胸の中がすうっと冷えていって、金色の髪が頬を撫でて

 ――体がさむくなった。


 息ができない。口に空気が入らなくて、空を目指してもがいた。しかし、声が響いて、うるさくて、息をするよりも耳を塞ぐことを優先した。


 知能。とか、守って。とか。

 でたらめな声音の中に、静かで、暖かいものが混じっている。呪源の奥深くまできたからか、それとも"相棒"を持っているからなのか。

 沈んでいくうちにその声が大きくなっていった。


 ――さん、いつもありがとうございます。


 ――さんはすごくかっこいいですね。


 ――さんたちがいれば、僕は幸せだなあ。


 "相棒"が熱を発しているような気がした。

 ルチカナイトと対面した時と、同じような感覚。頭の中がぐちゃぐちゃなのに、その声の主が誰か、天賦の胸にすとんと落ちてきた。

 優しく、賢く、どこにでもついて回る、そんなやつだ。


 水の中で、天賦はその名を呟いた。


「――オーガン」


 茶色の長い髪が揺れた気がした。

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