111話 と、彼は決意した。
ぐり、と頭蓋骨に思いっきり踵の先を入れる。物を割る感覚がして、天賦はそのまま足を振り下ろした。
「がっ……」
男は天賦に力一杯に蹴られて、祭壇に顔を埋めた。衝撃が伝わり、台座にヒビができる。
これで本体の男を殺した。——そう、思った。
「あれ」
血飛沫が飛ぶはずが、天賦の足に付着したのは黒い液体だった。とても血液には見えない。
これは、複製と同じ中身だ。
「あ!? コイツ本体じゃねェぞ!?」
「え、嘘」
こんなに「他とは違う」見た目をしているのに、これもただの複製の一つだったというのか。やらかした、と思い、急いで飾られている本の呪源を手に取ろうとした。
振り向くと、そこには——何も置かれていなかった。
「え、なに、どういうこと」
「オイ嬢ちゃん、アレ!」
カルメが羽で指した先を見る。呪源は信者が回収して、それをどんどん後ろにいる信者へと手渡しして本を逃そうとしていた。
「やばっ」
焦って、天賦が普段使わないような言葉が出てくる。カルメの口調が移った。
天賦が呪源の元へ向かおうとすると、大勢の信者たちが肉壁となって連なり、天賦の視界を塞いだ。これでは呪源がどこに向かっているか分からない。
背後からも信者が迫ってきている。人数で押し潰される、と早急に拡張袋に手を伸ばした時、上から黒ローブが落ちてきた。その中からは、赤い刃がついた尻尾が覗いている。
その黒ローブ——再生師は、迫り来る信者たちを斬った。まるで、ムーナ・ルイスで再生師と初めて会った時のような光景だった。
「平気か、天賦!」
「うん、ありがとう」
「まずい、呪源が逃げるぞ!」
視界いっぱいに黒い服が広がる。そういう虫みたいで気持ちが悪かった。
ローブを脱ぎ、皆に勘違いされないようにする。拡張袋から出したのは槌だ。
「私と炎砲で後ろをやる! 天賦たちは呪源を!」
「分かった!」
天賦は呪源が逃げた方向に向き直り、槌を構える。カルメと顔を合わせ、前進した。
「邪魔!」
壁となる信者を殴り飛ばす。どこの部位を殴っているかだなんて意識している余裕はなかった。とにかく、道が開かれればいいのだから。
「カルメ、飛んで!」
「あいよォ!」
カルメは天賦の肩から離れ、呪源へと飛ぶ。
しかし、カルメが飛べる隙間なんて空いていない。駄目元でいけるか、と思ったが、宙を飛べるからといって楽に本を奪えるわけではなかった。
カルメに信者が群がる。その光景はとても人間のようには見えなかった。むしろ、大きな化け物のようである。
「クッソ……キモいわ、クソカルト!」
カルメは空中で身を翻し——姿を変えた。
人間の形になったカルメは、天賦の真似をして踵を落とす。圧倒的な硬さを持つカルメの体は凶器そのものだ。
アマツで見た「瓦割り」のように、カルメの下にいた信者たちが割れていく。ある種の美しささえ感じた。
その、カルメの姿を見た信者たちは、声を揃えて鳥のマスクを凝視した。
「ん?」
「ん?」
「ん?」
動きを止めて、カルメを観察している。そういえば、彼らはカルメを「金眼」だと勘違いしていた。
どうせ信者も倒すのだから、カルメが変身する様を見せてもいいと思っていたのだ。
「鳥に変身した?」
「鳥が変身した?」
「たが、あの目は……」
ひそひそと、お互いに話し合う。しばらく会議が続いて——皆、一斉にカルメを指差した。
「金眼じゃない」
「金眼じゃない」
「金眼じゃない」
ようやく——と言っていいのか——カルメの誤解が解けたようだった。カルメの目は金色に光っているだけで、チュリマーのそれとは別だと天賦も分かっていた。
そして、信者たちは次の瞬間、カルメに罵詈雑言を浴びせた。
「騙したな!」
「王の偽物め!」
「このクズ野郎!」
勝手に勘違いした癖に、信者たちは連なってカルメに襲いかかった。カルメはすぐさま鳥になり、飛んで黒ローブの集合体から逃げる。
「あァクソ、やっぱテメェ大嫌い!」
信者はカルメに憤慨している。そのせいで、呪源を逃がしているルートが天賦の目に映った。とても遠いが、呪源の姿を捉えることができた。
「あった!」
天賦は槌を横に構え、槍のように突き出す。そして、信者の山の中を直進した。
天賦の背後では、魔法が物に激突する音が何度も繰り返し響いている。爆発が巻き起こり、天賦の後ろから手を伸ばしてくる信者は誰1人いなかった。
天賦に押されて、互いに押されて、信者たちがどんどんと潰れていく。前に進むに連れて重量が増していくが、天賦にとっては些細な問題だ。腰を入れれば何百人だって押し除けることができる。
まるで猪のように突き進む。目指す先は一直線、紫色の本だ。信者たちが手渡しするスピードよりも、天賦が進む速度の方がずっと速い。あれだけあった距離はすぐに縮まっていった。
「もう……どい、て!」
進むに連れて、視界が悪くなる。横から天賦の体を掴もうとする手が伸びてくるので、それを払いのけるのにも時間を使った。四方八方真っ黒で、どこに呪源がいるか見えない。
「——嬢ちゃん、2時の方向に進め!」
空からカルメの声が落ちてきた。
彼は上から状況を把握できるから、どこに呪源がいるのか見えているのだ。カルメが鳥でよかった、と彼の姿に感謝する。
「2時ってどっち!」
「あ、そうだった。ちょい右斜め前に進め! 右ってのは今嬢ちゃんが前に出してる方の手な!」
「ありがとう! 右は分かる!」
槌を持ち直して、天賦はカルメの指示通りに進む。途中で進む方向が変わるが、天賦はカルメの言葉を信じてひたすら前に突進した。
「もうすぐだ!そのまま前に ……っぶね! 来ンなよ勘違い野郎!」
天賦は信者を押し、殴り、視界を確保しようと努めた。そして、何かの骨を砕いた感覚がした時、見えた。
目の前に、呪源の本がある。
天賦は槌を振り回して回転し、自身の周りに少しの空間を作った。足の踏み場ができて、思い切り前に飛び込む。
呪源を掴める。そう思った時、紫の本が浮いた。
「えっ!」
正確には、投げ飛ばされたのだ。
一体どこへ、とその先に目を見張っていると——
——ギャラリーの上にいた、1人の信者がそれを両手で見事にキャッチした。そして、途端に逃げ出したのだ。
「ああ、もう!」
ギャラリーに人はいない。何にも邪魔されずに走り抜けることができる。
カルメも信者の壁に阻まれてなかなか前に進めない。このままでは逃げられてしまう、そう天賦は焦った。
「——任せろ!」
赤い尻尾が飛ぶ。
大きく跳躍した、炎砲を抱える再生師だ。
彼女は走り去ろうとする信者に向けて、その尻尾を向けた。下の信者たちはそれに勘づき、本を持つ個体のことを守ろうと高い壁を作った。
「炎砲!」
再生師の脇から炎砲が手を出し、【砲撃】を大量に放つ。彼の手袋が破けるのが見えた。
壁に大きな穴ができた。その隙間を縫って、再生師が飛び込み——本を持つ信者を斬った。
「よし……!」
「あ、不味い!」
しかし、信者は斬られる前に本を投げ飛ばしていた。呪源はアーチを描いて宙を飛び、祭壇の元へと落ちる。
「私がやる」
「行け、嬢ちゃん!」
天賦は槌で信者たちを潰し、広間の壁を駆け上がった。他の信者に取られる前に、と耳が痛くなるほど速く走る。
1人の黒ローブが祭壇に手を伸ばすのと、天賦が祭壇の真横に辿り着くのは同時だった。
——しかし、スタートラインが同じなら、勝つのは断然天賦の方である。
「天賦、頼む!」
「ん!」
天賦は跳ぶ。信者が手を伸ばすが、届かない。
槌を捨て、刀を取り出す。刃が光り、天賦の視界が僅かに明るくなった。
封印が解かれる前に、ここで殺してしまえばいい。金眼はここにはいないのだから。
落ちる。
まっすぐ、呪源に向かって急降下する。これで、残る呪源は2体だけになるのだ。
呪源の姿が近づいてきて、その表紙が大きく映る。
ここだ。
このタイミングだ。
天賦は刃を突き立て、表紙を突き破ろう——と、した。
「えっ」
がきん、と。
天賦が呪源を刺す前に、何かに阻まれた。刀がその何かを滑り、天賦は前に転倒した。まるで、壁に突き当たったような。
天賦はすぐに体勢を立て直して、再び呪源に斬りかかる。しかし、やはりまた弾かれた。
刀で空間をなぞる。何か、透明なドームのようなものが呪源の周りを囲んでいる。触れようとするとそのドームは消えるのに、攻撃しようとするとまた壁ができるのだ。
天賦は困惑した。これでは呪源を斃せない。
頭の中を疑問が埋め尽くした時——笑い声が響いた。
「それは不可能だ!」
「不可能だ!」
「不可能だ!」
信者たちが笑っている。天賦を見て、指を刺して声を上げた。じり、と再生師が近づき、その尻尾の先を向ける。
「おい、これはどういうことだ!」
信者は笑うのをやめない。そのうちの1人が再生師に斬り殺されても微動だにしなかった。
「——愚かだな」
1人がそう嘲笑した。
皆の視線がその信者に向く。何の変哲もない、同じような黒いローブを着ていた。
「我らが楽園は封印されている。その封印がある限り、楽園は何人たりとも傷つけることは叶わない」
「……は?」
信者が言っている意味が分からなかった。天賦は思わず刀を構える手を下ろしてしまう。
「呪源を殺したいのか? ならば、封印を解かなければいけない。お前たちの行為は無意味だ」
「……嘘だろ? なァ」
「嘘だと思うなら、再び斬りかかればいい」
天賦は刀を捨て、メイスで呪源を殴りつけようとした。しかし、阻まれる。弾かれる。どれだけ叩いても、その結界が壊れる様子はなかった。
「なんで、なんで」
笑い声が大きくなる。天賦は、自分の体がだんだんと小さくなるような錯覚に陥った。
「……どうしたら」
「金眼の王を連れてくるのです!」
「金眼の王!」
「金眼の王!」
「金眼の王!」
このままでは呪源を斃せない。しかし、復活させてしまえば当然戦うことになる。そして、その封印を解くための金眼はここにはいない。
天賦の頭の中に、どこまでも高い壁が積み上がっていくようだった。
「じゃ、じゃあ……え?」
「オイ、インチキも大概にしろよ……」
解決策があるとしたら。
それは、天賦たちがこの世界のどこかにいるかもしれない金眼を連れてくることだ。その、金の瞳を持つ人間に生贄になってもらうこと。それが、唯一の突破口。
……だが、その行為は楽園教の肩を持つことになる。狂ったマーマレードの父を肯定することになる。果たして、それは正しい行いなのか?
呪源を斃すことは天賦にとって何より優先されることだ。しかし、その過程で直接的に人間を犠牲にするなんて、天賦は今まで一度も考えたことがなかった。
「我々と共に、金眼の王を探すのです!」
「金眼の王!」
「金眼の王!」
「金眼の王!」
信者たちが増えていく。
天賦は、天賦たちは呆然とその場に立っていた。
こんなの、どうしていいのか分からない。信者たちと共に「王」となり得る人間を探すしかないのか?
「カルメ……」
「クソ、クソ、クソ」
"相棒"のグリップを握り……いや、駄目だ。
それ以外に、道がない。
果てしない旅を、始めるしかない。
天賦のからだに穴が空き、信者がフードの中でその口を三日月形に曲げた時——それはやってきた。
「あります」
——広いホールに届く、声。
天賦は顔を上げる。
その先には、黒ローブがいた。
しかし、他の信者たちと背丈が違う。靴も、ローブの中から覗く服も違う。
その手が、フードを脱ぐ。
そこから現れた顔を——天賦たちは、よく知っていた。
「——ファティ?」
黒髪の、いつも目を瞑っている、天賦たちの旅仲間。
不幸な料理人、ファティその人だった。
「なんで、ここに」
ファティの足は震えている。しかし、それとは反対に、彼の顔つきは覚悟した者のそれだった。
彼は、自身の耳飾りに手を伸ばす。やはり、その腕は大きく、がくがくと、異常なほど揺れている。
しかし、彼はぎゅっと握り拳を作り、
——両の耳にかけられた飾りを、引きちぎった。
「え」
天賦は思わず目を見開く。ファティの肩が落ちた。
銀色のそれは床に落ちる。そして、ギャラリーから落ち、天賦の足元まで転がってきた。赤い色が付着していて、床に微かな跡を作っている。
ファティの息は荒い。彼の耳からぽたりと液体が落ちて、黒いローブに溶けていく。
彼は目を手のひらで抑えて、ふらりとよろけている。そして、一つ大きな深呼吸を挟み、顔を上げた。
「俺が——持ってきました」
ファティはその手を、ゆっくり、震えながら、外す。指の間から見えたのは——瞼ではない。
彼の目の色は、金色だった。




