108話 今更
その後、ファティは「散歩に行く」と言って部屋から出ていってしまった。こんな夜に、一般人の彼が出歩いたら危険だと言ったのに、それでも色々考えたいから、と俯きながら扉の外に姿を消したのだ。
天賦はすっかり目が覚めてしまっていたが、ベッドの中に潜り込んで、"相棒"を抱えながら無理やり目を閉じた。どうして彼が泣いたのか、何を言おうとしたのかが分からなくて、頭の中がごちゃごちゃになったから。
あそこまでファティを追い詰めるものとは一体何なのだろうか。"相棒"に聞いても、当然教えてくれない。
布団の中が暖かくなっていく。天賦の意識が保たれているうちに、再び扉が開く音は聞こえてこなかった。
——次に天賦の意識が戻った時。それはカルメたちの話し声と鳥の囀りが聞こえる頃だった。
「お、起きたか嬢ちゃん」
「おはよう。よく寝てたな」
再生師が伸びをしている。鳥のカルメが毛繕いの真似事をしている。限りなく、いつもの光景だった。——1人いないことを除いて。
「ファティは……」
「さァな。どうせ市場でも見て回ってンだろ」
カルメはファティの行き先を特に気にしていない様子だった。ファティが1人で行動することはそこまで珍しくないからだろう。
「とりあえず、顔を洗ってきたらどうだ? まだ顔が眠そうだぞ」
「うん、そうする」
天賦は"相棒"をベルトに納めて階段を降りる。あくびをしながら洗面台に向かった。
シンクの前に立つ。鏡には長い金色の髪を下ろした少女が写っている。青緑の光と目があった。紛れもなく、自分である。
水を出して、顔を洗う。この宿の水はやけに冷たかった。思わず瞼を強くつむってしまうくらいの。
顔を洗った後、天賦は髪を結ぶ。いつもと同じ高い位置で髪留めを巻いた。
「……ん?」
ふいに、宿の扉が開いた。ベルがからからと鳴る。そこから姿を現したのはファティだった。
「ファティ……」
ファティは天賦に気がつくと、普段と変わらぬ顔で笑った。目元にはうっすらクマが浮かんでいる。
「……おはようございます」
「うん。おはよう」
天賦に昨日のことを追求する気はなかった。あれだけ辛そうに謝罪を繰り返す姿を見て、「何を言いたかったの」なんて追い詰めることはできない。
「あ、あと、おかえり」
「おかえり」と言うと、ファティは一瞬眉をぴくりと揺らして、指を少し丸めた。
「……ただいま、です」
その時のファティの表情を見て、天賦はつい「どうしてそんな顔をするの」と聞きたくなった。だが、そうやって口を動かすことはしない。
「みんな、上いる」
「ありがとうございます」
ファティはすう、と息を吸って何かを言いかけて——それを飲み込み、階段を上がっていった。彼が横切る時、耳飾りをつけた耳が赤くなっているのがふいに目に入った。
しかし、それを聞く前に、ファティは部屋のドアノブを回してしまっていた。
天賦は顔を拭い、彼の後を追いかけて部屋に戻った。
「あ、今素手でクモ捕まえたろ!」
「ああ、目に入ったからな!」
「バッチいだろ。やめとけってェ」
どうやら、再生師が部屋に出たクモを素手で掴んだようだ。彼女の右手は握られている。
「むう、分かった。」
「ちょ、今離すなって!」
「あーほら、逃げちまったじゃんか」
1匹の小さなクモに3人はあれやこれやと言って騒いでいる。炎砲が焦って、逃げたクモを適当な紙で捕まえた。意外と大きい。
「お、ファティおかえり」
「おかえんなさい」
「どこに行っていたんだ?」
ファティはふ、と笑う。
「ちょっと散歩に」
「クマができてるぞ。寝た方がいいんじゃないか?」
「いや、平気です。眠くないので」
ファティはベッドに腰掛けた。クモは無事に外に逃がされたようである。
「ンでよォ、オレらこれからドコ行くの?」
「正直、明確な目的地がないな。」
「あるにはあるけど……場所が分からないしなぁ……」
「約束の地」がどこにあるのか分からない。妖精の島と同じような都市なら、地下にあるから発見も難しいだろう。世界は広大すぎる。
「楽園教、たくさん探す」
「それしかないよな。「約束の地」に帰る人間を見つけるまで粘るか」
「私がシーフなら気配を消して尾行できるのに……。」
今から技術を学ぼうか、と再生師が言う。彼女なら可能かもしれないが、時間がかかりそうなので却下した。
「でも、少し怖いよな。呪源に関する情報がほとんどないんだから」
「読んだ人間を呪うってコトくらいだろ? あと封印されてるトコか」
封印を解く前に斃せれば、呪源がどんな攻撃をしてくるかを気にする必要はない。だが、一応警戒はしておくべきだ。
「呪われる、という点については、私たちは既に皆呪われているから問題はないだろう。」
「何かあったら怖いから読むのはよしておこう。な?」
呪いを上書きする呪いでもあったら困る。天賦にとっては"相棒"を抜けるようになるからいいことかもしれないが、楽園教と同じようになるのはごめんだ。
「あー、めんどくせェ旅になりそ。アイツの顔見たくねェのによォ」
「我慢するしかない」
「しゃーねーなァ」
カルメは羽を広げてベッドに仰向けになった。目がない方向から見ると黒い塊にしか見えない。
「……あの」
「ん?」
話が終わりそうになった時、ファティが自分の指を絡めながら声を上げた。皆の注目が彼に集まる。
「……その「約束の地」のこと、なんですけど」
「おう。どうした?」
ファティは頬を掻き、指を忙しなく動かして話す。
「あ、あの、言ってなかったんですけど……俺が持ってたんです」
ファティは、手の中から割れた鏡の破片を取り出した。
「それは?」
「……や、「約束の地」の場所を記した記録の鏡でした」
それを聞き、天賦たちは一斉に声を上げる。一番の謎だった「約束の地」を記したものがあったというのか。それをなぜ早く言わなかったんだ、と天賦はファティを睨む。
「ンだよ、そんなんあったならもっと早く言えよなァ」
「は、はは、すみません」
ファティは不恰好な苦笑いをして、その破片を握った。とにかく確認しないことには始まらない。天賦はその破片に手を伸ばそうとした。
「見せて」
「あ、ああ、いや……」
すると、ファティは天賦から遠ざかり、そのガラスの破片をしまった。なぜか見せてくれない。
「えっと……お、俺が不注意で割っちゃって。それで、映らなくなっちゃったんですよ」
「はァ?」
「それで言い出しにくくて、えっと、すみません」
そう言って、ファティは頭を下げる。まさか、これがファティが昨日の夜告白しようとしたことだろうか。
……違う。絶対に違う。でなきゃ、こんなあっさり話すはずがない。あれはもっと、彼の核心に関わるようなことだったはずだ。
あまりに辿々しいので、「割って壊した」という彼の主張を天賦は少し疑う。しかし、今ここでそんな嘘をつくはずも、必要もないので、天賦はその言葉を信じることにした。
「……ま、壊したんなら仕方ねェな。で、ドコにあンだよ。その約束の地」
「岩竜山脈辺りです」
「岩竜? ドラゴン?」
まさかドラゴンの住処か、と思った天賦にファティが訂正を入れる。どうやら、巨大な竜が住み着いていたという言い伝えが残っているだけのようだ。
「あの辺りか。確かに、あまり人間は寄り付かないから隠れ場所にはもってこいかもしれん。」
「そこに、楽園教が……」
思いがけず、楽園教のアジトらしき場所を把握できた。ファティが少し俯いているのが気になったが……とにかく、目的地はできた。
「では、どうする? 早速出発するか?」
「待て待て。岩竜山脈ってどの辺りなんだ?」
「ムーナウーヴァからクスカルにかけて広がっている。海の方角だから、西にずっと行く必要があるな。」
ここ、ラステリアはソエルソスの最東だ。長い距離を横断する必要がある。また長旅になりそうだ。
「ファティ、ちゃんと分かる?」
「は、はい。丁寧に記してあったので……」
天賦たちはその記録の鏡を見ることができないのでファティを信用するしかない。彼はこの中で一番地理に詳しいのでなんとかなるはずだ。
「そこも地下都市なのか?」
「はい、そうみたいです」
「ジメジメしたトコが好きなんだろ」
ケッ、とカルメが悪態をついた。相変わらず、妖精のことを嫌っている。今まではそんなことなかったのに、その態度が少しだけ鼻についた。
「本拠地となると……どれぐらいの人数いるんだろう」
「もう、都市を埋め尽くすほどじゃねェの。そこに本体もいるだろうからなァ」
信者の本体。それを倒せば、大勢いる複製も全員消える。だが、そんな簡単にどれがオリジナルなのか判別できるだろうか、と天賦は不安になった。なんせ、全部同じ顔である。
「「サマルエルムの涙」が無いのだから、今までよりは楽になるんじゃないか?」
「基地なら罠とかも仕掛け放題だろ。床踏み抜いて矢にボーンとかいかれないように気をつけろよ」
人間の基地への殴り込みなんてやったことがない。そういうのは賊退治を専門にする冒険者がすることだ。
「大丈夫。死なない」
「ま、そりゃあなァ。オレら何を相手にしてきたと思ってンだよ。人間にやられるようなヘマするワケがない」
信者は数の暴力で攻めてくるだけで、戦闘テクニックははっきり言って未洗練だ。世界最強の呪源と戦ってきた天賦たちにとっては取るに足らない相手、のはずである。
もし規格外の数で襲ってきたら、多少の怪我はするかもしれない。
「それじゃ、いろいろ準備して明日に出発しようか」
「ああ! では、私は彼に話を聞かせてくるぞ!」
再生師が言っているのは、料理屋で妖精の都市のことを教えてくれた男のことだ。どれぐらいの時間がかかるかな、と予想しながら、その背を見送る。
「元気だなァ」
「いいことだよ」
炎砲はにこにこと笑いながら再生師が去った跡を見ていた。
「オレはちょい休憩しとくわ。鳥のままでいさせてくんろ」
カルメは鳥の姿でごろごろと寝っ転がっている。やっぱり、まだ妖精の島にあてられて疲れているのかもしれない。
「じゃ、俺も食料とか色々買いに行こうかな」
「魚買ってね」
「分かったよ」
天賦は肉を取ることは得意だが、魚を捕まえるのはぬめぬめしてめんどくさいので苦手だ。ファティに頼まれた時は渋々川に向かっていた。市場で済むのならそれが一番である。
「ファティはどうする?」
「えっ……あ、じゃあ、俺もついていきます」
ファティはわたわたと立ち上がり、出かける準備をする。何かまた考え事をしていた様子だった。
「大丈夫か?」
「はい、炎砲くんに任せて俺が何もせず休んでいるわけにはいかないので」
「何、オレのコト悪く言ってる?」
「いや、そういうわけではないですよ!」
いつも通りのファティである。天賦はその様子に少し安心した。
「じゃ、私も行く」
「えー、嬢ちゃんもグダグダしてようぜェ」
カルメはぶすくれた声で言う。だが、天賦も何か動きたい気分だったのでやめておいた。
「天賦さんがいれば重い物もたくさん買えるのでありがたいです」
「荷物持つ。任せて」
天賦ならば大きな魚を何匹も一度に持つことができる。そうして脂の乗った美味しい魚をたくさん買ってもらおうと暗に考えていた。
ファティは一歩離れて炎砲と天賦について行っていた。後ろにいるので、彼がどんな顔をしているのかが分かりにくい。天賦はなんだか、炎砲と2人で話しているような気分だった。




