106話 黒い夢
——黒鳥が羽ばたく。
外装だけ作られたそれは、天賦たちのことを禍々しく光る目でじっと見ていた。
あまりに唐突で、不可解で、突拍子もない出来事に天賦は言葉を失った。カルメのようで、カルメじゃないハリボテは、一際大きく羽ばたき——天賦たちめがけて急降下してきた。
「危ない!」
天賦は咄嗟にファティを、再生師は炎砲を抱えてその場から離脱する。地面から衝撃が伝わり、つんのめってこけそうになった。
黒鳥が落ちた場所を見る。そこにあった魔獣の死体はしゅう、と小さな音を立てて、草の上に影となって焼きついていった。あの、妖精の影と同じである。
「天賦! こ、これはどういうことだ!?」
「わ、わかんない!」
そんなの分かるものか。もしや、カルメの羽を「記録の鏡」と共に入れていたのが良くなかったのだろうか。今更考えても答えは出ない。
「あいつに触ったら駄目だ!」
炎砲が声を上げる。
黒鳥の周りの死体はどんどん影となって地面に溶けていく。草は何の変化もないのに、魔獣の死体だけがそうなっていくのだ。
触れるだけでアウトな敵なんて卑怯だ。それが天賦が最初に考えたことだった。
「天賦、どうする!?」
「と、とにかく倒す」
天賦はスリングショットを取り出した。長い間使っていなかったので少し埃っぽい。
「ファティ、自分で掴まってて」
「は、はい……うわっ!?」
天賦は身を翻し、適当な柵を折って破片にする。それをスリングショットに構え、こちらに向かってくる黒鳥めがけてそれを飛ばした。
木片は真っ直ぐ黒鳥に飛び、羽に激突して——そのまま貫通した。
「うわ」
羽で外装だけ作られたその黒鳥に実体は無い。望み薄ではあったが、ここまでダメージがないとは思わなかった。
「ちゃんと掴んでて!」
「ひいっ!?」
黒鳥の衝突から避けるために、少し無茶な動きをして家の壁をよじ登る。再生師も同じように身をよじらせていた。天賦との違いは、抱えられている者がこうして移動することに慣れているか否かである。
黒鳥は壁に勢いを殺さずにぶつかった。羽がべしゃりと潰れて、クッションの中身をぶちまけたように黒が舞う。
そして次の瞬間、羽は黒鳥の形を取り戻した。再び羽ばたいて、狂気すら感じるその目を天賦たちに向けてくる。
「炎砲、魔法を試してみてくれ!」
「わ、分かった!」
炎砲の手袋から光が飛ぶ。
それは黒鳥にぶつかり——やっぱり貫通した。
「これも駄目か……!」
「天賦、どうする!?」
触れたら影にされる以上避けて逃げ回るしかない。だが、攻撃の方法も無いとなるとそれでも最善とは言えないのだ。
次の手を考えている時、黒鳥が姿を変えた。
羽を畳み、クチバシをまっすぐ向けて、まるで槍のような姿に変わる。天賦はすぐに危険を察知した。
思い切り垂直に飛ぶ。その衝撃で床板がめきりと音を立ててひしゃげた。そのすぐ後、天賦がいた位置に槍が突き刺さった。もし一瞬でも判断が遅れていたら、それを想像して寒気がする。
「て、天賦さん!」
「なに!」
「あれ!」
背中から、ファティが何かを指差す。そのずっと先に見えたのは——黒鳥が出てきた「記録の鏡」だ。それは丘の中央あたりに落ちている。
もしかしたら、あれが関係あるかもしれない。それ以外にこの黒鳥をどうにかする手がかりがないのだから、それに頼るしかなかった。
黒鳥をかいくぐり、保険にモーニングスターを手に持ちながら記録の鏡の元へと向かう。
そして、それに手を伸ばそうとした時——再生師に向かって飛んでいた黒鳥が、方向転換して天賦の所へと飛んできたのだ。
天賦は安全を取り、中央の大木の枝に鎖を引っ掛けて突進から避ける。ファティには負担がかかる動きだが、生きるためには仕方がない。
鏡を、まるで自分の雛鳥のように守ろうとした黒鳥の動きを見て、天賦は確信した。
「再生師! 鏡を壊して!」
「把握した!」
相手の動きは激しい。この状況を打破するには、相手の嫌がることを真っ先にするべきだと判断した。
だが、どうやって鏡に近づくべきか。
あの身体にかすることさえ許されない。その瞬間、魔獣の死体や妖精と同じような結果を辿る。
失敗ができない以上確実な手段を用いる必要があるが、避けるので精一杯な天賦にはその方法がとても思いつかなかった。冷静に考える時間さえ無い。
「天賦さん、落ち着いて! スリングショットを!」
ファティの声を聞いて、はっとした。
近づかなくとも、遠距離から鏡を打てばいいだけの話ではないか。焦ってそんなことも考えつかなかった自分に嫌気がさす。
鎖で空を飛ぶ天賦の代わりに、ファティにスリングショットを取り出してもらう。モーニングスターの鎖を口で掴み、自身の歯で体重を支える。天賦なら可能な行動だ。
巨木の適当な枝を折り、それを弾にする。鏡に向けてスリングショットを引き絞り、放った。
それが凄まじい速度で鏡に飛び、命中した——と思った。
「えっ」
黒い影が丘を滑った。それが通過した後、鏡はどこにも落ちていなかった。
黒鳥がその身体の中に鏡を取り込んだのだ。
「もう……!」
小賢しい行動に悪態をつく。さっさとマーマレードたちの元へと帰りたいのに、こんなサプライズは誰も期待していない。
炎砲も再生師の背から黒鳥の腹——記録の鏡に向けて【砲撃】を飛ばしている。だが、風を切って飛ぶ黒鳥に魔法は中々命中しなかった。
あの黒鳥を見ているだけで憎悪が腹の中で渦巻く。これが「魔王」という存在なのか、とカルメとは全く別物のそれを睨んだ。
「天賦! 私たちが囮となる! その間に破壊してくれ!」
再生師が大きな声で言った。天賦は頷き、彼女から離れる。十分に距離を取った後、炎砲は黒鳥の顔に向けて魔法を放った。
想定通り、黒鳥は再生師たちに向かっていく。2人のためにも、手早く鏡を破壊しなくてはと天賦は弾を集めた。
「天賦さん、あれは壁際に人間がいる時は減速せずに向かってきています。その隙に鏡を!」
「分かった」
激しく回る視界の中で、ファティは黒鳥の動きを捉えていたようである。意外とできるファティに感心した。
天賦は黒鳥の動きを遠くから追う。羽に触れそうになる再生師にひやりとしながら機を伺っていた。
目を凝らして、2人と黒鳥を観察する。
尻尾を巧みに使い、避けて、跳ねて、くるりと回り——その時はやってきた。
「再生師、大きく跳んで!」
壁際に追いやられた再生師は天賦の言葉通りに上に飛ぶ。本来なら、次の回避に繋がらないから選択しない行動だ。そう、本来なら。
まっすぐ再生師にぶつかろうとした黒鳥は矢のようになって壁に飛ぶ。
ここだ。
天賦はスリングショットを限界まで引き、手を離した。
木片は黒鳥に追随するかのように宙を飛ぶ。そして、だんたんとその形は天賦の目に小さく映って——
——鏡に衝突した。
小さな鏡が割れたにしては大きすぎる音が、地下都市のそこかしこに響き渡る。思わず耳を塞ぎそうになるほどの轟音だった。
黒鳥は叫ぶ。
生き物から発せられるわけのない音が家々に亀裂を入れた。そして、羽が一枚ずつ弾け飛び、天賦が予想だにしなかった光景が広がった。
羽が、鏡と化したのだ。
「なにこれ……」
その鏡は至る所に広がり、宙に浮く。一体何が始まるのか、とその鏡を見ていると、全ての鏡に同じ人間の姿が映った。
白く長い髪に、蝶の大きく、美しい羽。ある1人の妖精が、天賦のことをまっすぐ見ている、ように感じた。
『——未来の妖精たちのために、この記録を残します』
「え」
凛とした、よく透き通った声だった。
『予言通り、「魔王」が目を覚ましてしまいました。もうすぐ私たちは死んでしまうでしょう』
『それでも、もし生き残った妖精がいたら。もし、生きることができたら。——また、「約束の地」で会いましょう』
——約束の地。
鏡の中の妖精は、その言葉を口にした。
伯爵——マーマレードの父が「行かなくては」と言った場所。楽園教の拠点があるかもしれない場所。そして、彼女たちにとっての——
『同族たちが作り上げた、小さな都市です。そこなら、きっとやり直せる。再び温かい生活を取り戻せる……』
ぎゅっと、彼女は自身の手を握った。その白い手はかすかに揺れていて、映像を見ているだけの天賦にもその震えが伝わってきた。
『きっと大丈夫。この世には勇者様がいらっしゃる。魔王を討ち滅ぼすことができる「聖剣」だってある……。勇者様なら世界を救ってくださると、私たちは、そう信じている』
"勇者"。その名前を出した時、彼女は僅かに微笑んだ。その人物なら世界を救えるはずだと、信じて疑わないような口調だった。それか、自分にそう言い聞かせているだけか。
『……勇者様。あなたに託す形なってしまい、本当にごめんなさい。でも、妖精たちは全員、あなたのことを信じています。魔王の復活を予知したあなたなら、世界を取り戻すことができるはずだから』
彼女は、涙を滲ませながらふっと笑った。
『よろしくお願いします、勇者様。……いえ、私たちの友人——』
彼女が"勇者"の名前を口にしようとした、その瞬間——鏡の中は目を焼くほどの光で包まれた。彼女の輪郭が見えなくなり、そして——
すうっと、鏡が色を無くした。
映像が終わったのだ。
一つ一つ、浮かんだ鏡が割れていく。小さく「ぱりん」と音を立てて、まるで妖精の希望がゆっくりと消えていくように。
妖精の都市には、黒鳥も、鏡も姿を残していなかった。
「て、天賦、今のは……。」
高所から降りてきた再生師と炎砲が衝撃に当てられた顔で天賦を見る。きっと、天賦も同じような顔をしていた。
魔王そのもののような黒鳥から現れた、妖精たちが滅びる前の最後の記録。意図せず目にしたその景色が、天賦の目の裏にしっかりと焼きついている。
天賦はもう一度、自分の拡張袋の中身を確認した。やはりその中にあったはずのカルメの羽がなくなっている。
「もしかして、私たち、見たのかな」
「何を?」
「妖精の記憶」
魔獣の残骸を影にした、あの力。もしや、天賦たちは妖精たちが見た魔王の恐怖そのものに襲われたのではなかろうか。定かではないが、そうでもしないと説明がつかないと思った。
「……「魔王」か」
炎砲は、都市のあちこちにある妖精の影を見渡しながら呟いた。こうやって、妖精たちは死んでいったのか。なんとなく、天賦はカルメが「思い出してしまう」と言った理由が分かった気がした。
妖精の都市に静寂が訪れる。
天賦の耳の中でだけ、黒鳥の叫び声が反響しているようだった。




