105話 底で眠る厄災
天賦は慎重にロープを降りる。もしこの下に針の山でもあったら大変だから、飛び降りることはしない。
暗闇の中でひたすらロープを掴んだ。
そして、ずっと長い時間降りた後——
「ん?」
足元に、ふわふわとしたものが当たった。よく目を凝らしてみると、それは大量の干し草だった。かなり高く積み上がっていて、上から飛び降りても助かりそうなくらいにこんもりとしていた。
「どうですかー!」
上から、よく見えないが、ファティの声が聞こえてくる。天賦はすうと息を吸って、限界まで大きな声を出した。
「いーよー! 降りてー!」
伝わったかな、と干し草の上に座って待機する。しばらく待った後、炎砲が軽い動きでするすると降りてきた。
「お、クッションみたいなのがある」
「暗くてよくわかんない」
炎砲は上に向かって大声を出す。またしばらくして、ファティが慎重にロープをゆっくり下ってきた。だから妙に遅かったのか、と天賦は納得する。
「うわ、暗っ……」
「ファティ、大丈夫か? 俺と天賦はここにいるぞ」
「あ、ここか」
ファティには暗闇の中の様子があまり分かっていないようである。そんな目をしているから仕方ない、とも言える。
さて、と天賦は上を見上げた。
再生師は尻尾が重くてロープを下れない。一体どうするのだろう、と思いながら声をかけた。すると、
「皆、そこから離れてくれー!」
という声が聞こえてきた。天賦たちは不思議に思いながらもその場から離れ、合図を出す。
それから、待つ——暇もなく、再生師が干し草の中に落ちてきた。
「うわっ!?」
「ちょ、大丈夫か!?」
干し草をかき分けて再生師の姿を探す。かなりの量をどかして、やっと彼女の頭を見つけることができた。
「ははは! 成功だな!」
「成功って、何してるんですか!?」
「私の身体能力なら落下死はほぼありえん! だから落ちてきたのだ! どうだ、賢いアイデアだろう?」
再生師の言葉には概ね同意するが、賢いアイデアだとは思わなかった。むしろ、強行突破である。
「それにしても、こんな緩衝材があったとはな。伯爵が助かったのも納得だ。」
「死んだっていう兵士の人は落ちどころが悪かったのかな」
「多分、そうでしょうね」
再生師を干し草から救出して、彼女に【灯光】を灯してもらう。
辺りを見回すと——それは洞窟だった。全く整備されていない、ただの土の壁。天井には家の骨組みのようなものが見える。
「ここは家々の下だろうな。」
「この草、何」
「使わなくなった素材か何かだったんじゃないか?」
再生師が飛び込んだせいで体にくっついた干し草を払う。途中から面倒になったので炎砲に取ってもらった。
「えっと……どっちに進む?」
「あ、多分こっちじゃないですか?」
ファティは右の道を指差す。その壁には、何かで斬りつけられたような跡がずっと続いていた。
「きっと目印ですよ。進むための」
「おお! ファティは賢いな!」
「じゃあ伯爵はこっちに行ったのか」
反対の方の壁には何もついていない。ファティの推測は正しいはずだ。
「じゃ、進む」
「気をつけろよ」
再生師を先頭に、暗い道を進む。じめじめとしていて、上の都市のような美しさはどこにもなかった。
「この感じ……何かが隠されてるとか、建造物があるとか、そういう雰囲気じゃないですよね。ただの地下だ」
「もしかしたら、その……本。それがたまたま落ちてただけって可能性もあるよな」
本が置かれそうな場所なんてない。炎砲の言う通り、伯爵たちと同じように、狂った原因である——かもしれない——本も床板から落ちてきたのかも。
天賦たちはひたすら地下を進む。
途中で魔獣に何度か出会したが、それらは問題なく天賦が討伐した。ハプニングを強いて言うならば、死体のせいで帰りは面倒になりそう、というくらいである。
「ここは暗いから魔獣が溜まっているのだろうな。」
「ああ、本当にびっくりするからやめてほしいなぁ……」
「ファティ、頑張って」
旅の途中で何度も魔獣には遭遇しているのだからそろそろ慣れてもいい気がする。そう言うと、彼は外で会うのと閉鎖空間で会うのとでは別だ、と抗議した。
「……ん?」
「どうした?」
「皆、あれを見てみろ。」
そう言って、再生師は先を指差した。そこには、壁から地面まで黒いシミが不自然にへばりついていた。妖精の影か、と思ったが、あれらとは違ってくっきりとした人の形をとっていない。
「あ、この先壁を斬った跡がないぞ」
「じゃあここで見つけたってことですね」
シミがある以外、特に何の変哲もない洞窟の途中の道である。何か変わったものはないかな、と思っていると、
「あ、これ」
天賦は、シミの近くに落ちていたガラスを手に取った。これには見覚えがある。あの、妖精が作ったと言う「記録の鏡」だ。
「記録の鏡? こんなところに落ちているとはな。」
「何か記録されてたりするか?」
「ええと……わっ」
鏡のあちこちを触っていると、いきなり鏡に光景が映った。暗くてよく見えないが、それは壁にもたれかかる人間の下半身だった。今まで見た妖精たちの光景とは全く違う。
「これ、まさにここじゃないか?」
「あ、本当だ」
鏡に映るアングルから考えて、これはシミがあるところから撮った映像だ。ちょうど、シミの位置に人間がいる。
『……あー。これ、ほんとに撮れてんのか……? 使い方わかんねー……』
気だるげな男の声。
急に聞こえてきたその声に驚いて、天賦たちは話すのをやめた。大きな手がひらひらと振られて、男はため息をつく。
『俺は、多分助からない。10分せずに死ぬ。だから、これを見てくれた誰か。頼むから、伯爵のことを止めてほしい』
「……伯爵のことを?」
彼は恐らく、伯爵と共に落ちたという兵士だ。一体、この地下で伯爵に何があったというのか。
『俺たちは、探索中になんか落ちた。下の何かがクッションになって助かったけどな』
それを聞いて、天賦は疑問に思った。
てっきり、この男は高所からの落下によって致命傷を負ったのだと思っていたが、彼は「クッションがあって助かった」と言った。ならば、なぜこの男は死にかけているのだろう。
男はさらに言葉を続ける。
『それからこの地下を探索して、ある物を見つけた』
『あれは、紫の表紙の本……いや、本の形をした呪源だ』
——本の形をした、呪源?
衝撃的な言葉だったが、天賦は自然とそれを事実として捉えていた。今までの事柄が、楽園教は呪源と関係がある人間だと告げていたから。
『呪源なんて見たことなかったけど、一目見て分かった。あれは呪源だ。なんでこんなとこにぽっと落ちてたのか知らないけどな。しかも、なぜだか封印されてる』
「封印……」
ルチカナイトや、カローラ・フェンのように暴れるわけではなかったということか。文字通り、それは「本」だったのかもしれない。なぜ封印されているのか、という疑問が晴れることはなさそうである。
『伯爵はそれを読み込んでた。でも、絶対危険だって分かってたから、俺は呪解者にでも渡しに行こうって提案したんだ。……でも、伯爵はそれをじっと読んで聞く耳を持たなかった』
げほ、と男が咳き込む。
『だから、無理やり呪源から引き剥がそうとしたんだ。こんな危険なモン、伯爵様の前に置くわけにはいかないってな』
『そしたら、アイツ……俺のこと刺しやがった。刺しやがったんだぞ!? マジでビビったわ。……クソ、何遍もグサグサしやがって』
不貞腐れたように、靴を地面に叩きつける。
伯爵が、呪源から引き剥がそうとした兵士を刺した?
まさに狂っているとしか言えない行動である。
『んで、伯爵は色々ブツブツ呟いてた。あー、要約すると、呪源を「約束の地」とやらで復活させなきゃ、って内容だったな。ゔあー、痛ぇ……』
約束の地。手帳にも書かれていた、伯爵が呟いていた言葉だ。そして——呪源の復活。それこそが、伯爵の、楽園教の目的なのか。
『とにかく、伯爵はその本のせいで狂ってる。呪源の封印なんて解いたらどうなるか、そんなん分かるだろ? これ誰が見てるのか知んないけど。だから、オレンジ髪のイカれ野郎を見つけたらすぐ殺せ。でなきゃ呪源が復活するぞ』
オレンジ髪、と聞いて、天賦は本格的に「伯爵」がマーマレードの父であると確信した。
本——呪源のせいで狂い、呪われた彼。伯爵の現在の姿を思い出し、天賦はいたたまれない気持ちになる。
しばらく無言が続く。
それから男は咳き込んで、乾いた声で浅く笑った。
『あーやば、元気無くなってきた……もう、俺こんなんで死ぬのかよ……マジかぁ……』
ふ、と息の漏れる音。
『ええと、これどうやって止めんだ……?』
それから、しばらく力のない指が鏡をぺたぺたと触って映像が途切れた。
天賦たちは顔を見合わせた。それから、もう一度映像を再生する。当然、語られる内容は全く同じだった。
「……なるほど。」
再生師は顎に手を当てる。
「つまり、怪しげな本というものの正体は呪源だったわけか。」
「ただの本じゃないとは思ってたけど……呪源とは思ってなかったな……」
もしかしたら、その本の呪源というものもオーガンのように精神をおかしくする能力を持っていたのかもしれない。でなくては、伯爵の行動に説明がつかない。
「じゃあ、楽園教が色々集めてるの、呪源の封印のため?」
「多分そうだろうな。英雄の武器に、金眼。それが呪源の封印を解くのに必要なんだろ」
彼ら——彼は「楽園」に行くために「王」である金眼、そして英雄の武器を集めていた。楽園なんて回りくどい言い方をせずに、分かりやすく「私たちは呪源の復活のためにものを集めています」と言ってくれたらよかったのに。
「では、その本の呪源——恐らく、金眼のチュリマーは妖精の島で呪源と化したのか。それを妖精が封印したのか?」
「いや、それはありえない。妖精が滅んだのは英雄が呪源になるより前だ」
そうだった、と再生師は自分のイヤリングを触った。では、こんなところにほっぽかれていた呪源は誰が封印したのだろう。
「それよりも、大事なのは「約束の地」だろ。多分、そこが楽園教の本拠地だ。そこで封印を解くための儀式をしてるんだと思う」
「私、そんな場所知らない」
「私も知らないぞ。」
ここまで、「約束の地」なんて場所の手がかりは掴めていない。伯爵が「楽園にふさわしい」と言う場所——それしかヒントがないのだから。
「でも、これで目的達成」
「……ああ、本当だな!」
天賦たちの目的は、「なぜマーマレードの父が狂ったのか」を探ることだった。ならば、それを知った今、ここに残る理由はない。
「……この人には感謝だな。たくさん残してくれた」
炎砲は壁のシミを見る。きっと、ここに亡くなった兵士がいたのだろう。炎砲はシミに頭を下げた。天賦もそれを真似する。
「……戻るか?」
「そうだな。カルメたちのところに帰ろう。」
元の道に戻ろうとする。振り返ろうとした時、天賦はその場から動かないファティが目についた。
「ファティ?」
「……あ、あの、本当に帰ります?」
「え?」
再生師の【灯光】が離れてしまったから、彼の顔がよく見えない。彼のつま先は天賦から少し離れた。
「ま、まだ調べてないことがあるかもしれないし……その、本の呪源というものの情報ももっと探れるかもしれませんよ?」
「いや、実物がない以上調べようがないと思う。妖精の都市に直接的に関係するものでもないし」
「そうだな。それよりも、早く帰ってこのことを報告しなくては。」
「でも……!」
ファティの声が止まる。
少しの静寂。
「……そ、そう……そう、ですね。……すみません」
「ファティ、どうしたの」
「いえ……なんでも、ないんです」
ファティはその場から動き、光源の中に入った。彼はいつも通りの顔をしている。
天賦は彼の様子が少し気になったが、特に気に留めることはせずに元の道を進んだ。
天賦たちはロープを上がり、妖精の都市に戻った。地下とは違い、ここはとても明るい。
「昇降機って帰りも動く?」
「そりゃ、登って降りる装置だからな」
天賦たちは橋を渡り、中心の丘に移動した。改めて周りを見渡す。外の海は少し暗くなり始めていた。
「にしても、ここは貴重な場所だったな! 日を改めてまた探索に行きたいところだ。」
「明かりがついたし、魔獣も近寄らなくなるからこれからの探索はかなり楽になるだろうな」
ラステリアからたくさんの研究家がここに来るかもしれない。呪解者も興味がありそうな場所である。尻尾が揺れるところを見られるかもしれない。
「ああ、そうだ天賦!」
「なに?」
「ひとつ「記録の鏡」を持ち帰っていたよな? あれでここの景色を記録してもいいか? ここのことを教えてくれたあの男に礼をしようと思ってな!」
天賦も思い出した。
あの、ラステリアの料理屋で妖精の島への憧れを語っていた男である。この光景を見たら感激で気を失うかもしれない。
「いいよ」
「感謝する!」
天賦は拡張袋から記録の鏡を取り出す。そしてどうやって記録を始めるのかな、とそれをいじろうとした時——気がついた。
「あれ」
「どうした? ……え、なんだこれ」
鏡が、真っ黒だった。
天賦の姿も何も反射していない。ただの漆黒が、ガラスを染めていた。黒曜石よりもずっと暗い。
「……あれ、ない」
天賦は拡張袋を漁って、カルメの羽がないことに気がついた。確かに妖精の都市に明かりがついた後、この中にしまったはずなのに。
「……ど、どういうことだ? 壊れたのか?」
「いや、なんか……変だぞ」
まさか、カルメの羽の消失と関係があるのか。
なんだか嫌な予感がして、それを手放そうとした時——
——鏡から、黒い羽が溢れた。
「え」
それは嵐のように、一枚一枚の分たれた羽が組み合わさり、離れて、螺旋を描く。
空中で、それがある一つの形を成そうとしていた。
羽の翼。
羽の体。
羽の頭。
そして——光る左眼。
黒鳥の形を模した羽が、巨大な影となって天賦たちを鋭く睨んでいた。




