103話 灯る
——獣のにおいがする。
「……うわ」
暗闇から突如現れた気味の悪い顔面に、天賦は顔を僅かに背けた。よだれが溢れて、バラバラに動く目が天賦を捉えた。
「へっ!?」
パズルを解いていたファティが慄く。彼が声を上げるのと同時に、その魔獣は天賦に飛びかかってきた。
天賦はすぐさま刀を立てる。
刀身を光らせて、魔獣の顔に突き立てて——それを真っ二つに両断した。
二つに分かれた魔獣の体は再生師たちの側に落ちる。まだ蜘蛛の足がうぞうぞと動いていて、ファティは短い悲鳴を上げた。
「見事だな、天賦!」
「いや、待て」
炎砲が天賦を下がらせる。天賦もなお、暗闇を見据えていた。まだ、何かが目の前で動いている。
——生き物を斬った。
体が先に反応して、何を斬ったのかなんて把握していなかった。巨大な頭が宙を飛ぶ。
「まだ来る」
「こ、これ……」
天賦は音で、影で、気配で察知した。
——巨木を中心に、囲まれている。
「え、ちょ、え」
「ファティ、解いてていいよ」
「え、えっ!?」
暗闇からの魔獣は捉えにくいが、それだけである。苦戦するようなことはない。なら、ファティのパズルが終わるまでの暇つぶしだと思えばいい。
「なるほど、私も参戦しよう!」
「ファティ、頑張っててくれ」
「えっ、炎砲くん、嘘」
刀の血を払う。草原に赤の斑点ができた。
息の音が近づいてくる。多勢を相手にするのを覚悟して、天賦は刀から槌に持ち替えた。
狼の鳴き声。
天賦は虚無に向かって大きく銅の色をしたそれを叩きつけた。大きな獣が下敷きになる。
四方からの白く光る爪。槌をくるりと回して、側面を使って殴りつける。反動を利用してもう1匹。
「ほう、本当に立派な魔獣ばかりだな!」
「再生師、しゃがめ」
再生師は言われた通りに身を屈める。その後ろから炎砲が手を伸ばし、【砲撃】を闇に放った。その魔法は光源となって、地下都市を照らしながら鳥のような魔獣に激突する。
今の光で大体の魔獣の位置は分かった。天賦は長く物事を覚えることは苦手だが、戦闘が絡むと記憶力が伸びる。
ある直線を狙い——槌を思い切り投げる。鈍い衝突音に、肉が潰れる音が連続する。こっちの区画の魔獣はあらかた片付いただろう。
「え、ええと、これが……えっと、こうだから」
ファティは頭を抱えながら操作盤をがちゃがちゃと動かしている。そこまで焦らなくてもいいのに、とハルバードを取り出しながら彼を横目で見た。
魔獣の群れとの戦いはクェンターレで慣れている。今更、暗闇だからと言って苦戦するわけがなかった。
前に一歩踏み出そうとした時、天賦の横から凄まじい勢いでものが飛んできた。天賦は少し急いでそれを避ける。
「ああ、すまない!」
「気をつけて」
どうやら、再生師が飛ばした魔獣の肉片がこちらまで飛んできたようだ。顔から肉を被ることには慣れていないから勘弁してほしい。
刃が振るわれる。
尻尾が弧を描く。
光が空を飛ぶ。
草が血を被り、べとべとに濡れている。足元に残骸が転がって足の踏み場がなくなってきた頃——
「……分かった、こうだ!」
円滑にピースが動く音がする。かち、かちと物がはまり、ファティがぶつぶつと言葉をつぶやく。
「よし、これで……重っ!?」
振り返ってファティを見る。彼は木の壁に足をつきながら、全身の力でレバーを下げようとしていた。だが、それはびくともしていない。
向かってくる何かを斬り殺し、再生師に場を預けてファティの元へ飛んでいく。
「どいて! 貸して!」
ファティを軽く突き飛ばし、レバーを持つ。確かに昇降機のものよりも少し硬いが、天賦の力の前ではほぼ前のレバーと変わらない。
片手に力を込め、がしゃんとそれを降ろした。
ばつん、と重い音が頭上で響く。
何が起こるのかと見上げると——巨木の中が光り始めていた。その光はどんどん上に、都市の天井へと高く上がっていき、それから四方に散らばる。
その光はぽつ、ぽつと空間に灯っていく。だんだんと、地下の——街の前後がはっきりして、輪郭が浮き彫りになる。空っぽだったランタンの中に、奇妙な青白い光球が宿っていった。
そして、天賦はそれを見た。
ガラス張りの壁に沿うように、高く、高く積み上がった家々。天賦たちがいる中央の巨木と、草が生える小さな丘を中心に、広大な街が広がっていた。
魚の形が、家の形が、街の形がよく見える。
完全に光が灯ると、天賦たちを襲おうとしていた魔獣たちがたちまち逃げていく。たくさんの死体を残して、他の生き物たちはどこかへと姿を消していった。
天賦は、もはや魔獣のことなんてどうでもよかった。それよりも、今までに全く見たことのない、想像もしたことのない幻想的な妖精の地下都市に目を奪われていた。
「すご」
「綺麗だな……。」
よく見れば確かに廃墟なのだが、全体を見回すと、まだ誰かが住んでいそうな気さえする。そこに、かつて活気があったのが見えた。
「あいたたた……わ、明かりがついてる」
天賦に突き飛ばされたファティは腰をさすりながら、炎砲の助けを借りて立ち上がる。それから、丘に散らばる死体にまた驚いた。この魔獣の死体がなければもっと綺麗に見えただろう。
「凄いな! 凄いな天賦! これ、まさに妖精の都市だ!」
「うん、すごい」
再生師はぴょんぴょんと跳ねながら巨木の周りをぐるりと回って街を見回している。高く積み上がった家は非現実的で、まるで絵画のようだ。
「魚がたくさん見えるぞ! 室内なのに海の中にいるぞ! 面白いな、天賦!」
「うん、すごいすごい」
自分よりはしゃいでいる人がいると、自然と心が落ち着いてくる。天賦はすっかりこの光景に慣れてしまった。
「あ、天賦、ちょっと待って」
「なに?」
炎砲が天賦に近づき、ジャケットの襟から何かを抜き取る。それを見ると——黒い鳥の羽だった。
「これ、カルメの羽じゃないか?」
「ほんとだ」
「もしかして、魔獣があんなに寄ってきたのって……」
……余計なことを考えるのはやめだ。天賦はカルメの羽を拡張袋にしまい、あの魔獣の群れは事故だったと思うことにした。
「というか、あんな魔獣どこから入ってきたんだ?」
「恐らく、他の抜け道があるんでしょうね。昇降機に乗れるはずがありませんから」
落ちた槌を拾い、袋に戻す。手を振るい、ここに来た目的を思い出した。
「探す。えっと、おかしくなった理由」
「ああ、そうだな。ここからだ」
この光景を見ただけでは、マーマレードの父が狂った原因なんて何もないように思える。ただの、美しい街だ。
「どうする!? どこから探す!?」
再生師は尻尾をぶんぶんと振って目を輝かせている。この街は広大で、はっきり言ってあてなんてない。
「そうですね……前の、マーマレードさんのお父さんたちの形跡を探してみましょう。10数年前とは言え、何かしらは残っているはずなので」
「把握した! では向かおう!」
再生師は天賦と炎砲を脇に抱えて、街へと向かう橋を渡ろうとする。ファティは焦って自身の手帳をしまった。
「歩ける、自分で歩ける」
「ああ、すまないな! つい気分が昂ってしまった!」
心なしか、再生師の体温は少し高い。戦いで上気した、というよりは未知への興奮が勝っているのだろう。
「気をつけろよ、何があるか分からないんだから」
「ああ、把握している!」
本当に分かっているか怪しい。彼女の足はうずうずしていた。
「じゃ、まずこっち行く」
「ですね、そうしましょう」
中央から街へ行くための橋は四つある。そのうちの、まず初めに目に入った橋を指差した。どうせ、どこに何があるかなんて分からないのだからこれが1番早い。
天賦たちは木造の、アーチ状になっている橋に向かう。それを渡ろうとした時——ふと、気がついた。
「これ、なんだろ」
「……影、か?」
茶色の橋に、黒い人影のようなものが焼き付いている。天賦より少し小さいくらいの背丈で、ただの人影ではなく、その背には蝶の羽のような影もついていた。
「これは、間違いなく妖精だな。」
「もっと小さいと思ってた」
「大きさはほぼ明人と同じ、らしいですね」
本当に、明人に蝶の羽をくっつけた、みたいな見た目である。影だけなので、肌の色や耳の形で判断することはできないが。
「でも、どうしてこんなものが……」
「あっ、見てください。あれも」
ファティは家の壁を指差す。そこにも、走っているように見える妖精の影が壁に焼き付いていた。
「……なんだか、気味悪いな。模様ってわけじゃなさそうだし」
「ふむ……魔王に滅ぼされた、というのが関係しているのかもしれんな。」
よく観察すると、そこら中に妖精の影がある。どれもこれも、中央から逃げるみたいな、自分を守るみたいなポーズを取っていて、天賦の目に幻想的には映らなかった。
「中央に、何かあったんですかね」
「怪物か、それこそ、魔王? この影とかは壁に逃げようとしてる。それほど焦ってたのかも」
床から壁に焼き付いた影。建物の損傷はあまり見られないのに、まるで人間——妖精だけが消えてしまったかのような光景だった。
「これは、カルメを連れてこなくて正解だったかもしれんな。」
「もし、本当にカルメがここで妖精を滅ぼしたんなら……ああ、ちょっと……」
炎砲は前髪をかき上げた。
妖精の影がどんな顔をしているのかは分からない。だが、苦悶の表情を浮かべているのだろうと容易に想像できる。
「……進む?」
「……そうですね」
天賦たちは妖精の影を避けて橋を渡った。
「これ、上まで続いてるけど階段が見えないな……」
家は高く積み上がっているのに、それを上がるための階段が見当たらない。どこもデッキはあるが、ただそれだけ。
「きっと、妖精は飛べるから必要なかったんですよ」
「どうやって登る?」
「登る必要ってあるかな、マーマレードのお父さんたちが行けるところを探せばいいんじゃ」
確かに、炎砲の言う通りだ。彼らが辿った道のりを進めばいいだけで、妖精都市をくまなく探索する必要はない。再生師は不満だろうけれど。
「その、一度家に入ってみないか? 何か見つかるかもしれん。」
「いいよ」
再生師はとにかく妖精の文化に興味がある様子だった。時間はあるから、少し寄り道しても問題ないはずである。
「では、この家に入ってみよう。少し大きめの家だ。」
「目立つとこだな」
再生師が先導して家に向かう。その扉を開けようとして——すぐに振り返った。
「パズルの鍵がついている!」
「またパズルですか……」
流石に多すぎる。パズル好き、というのは間違っていなかったようだ。
「ということは、前の人たちはここを探索しに来なかったんですね」
「いいから、開けてみてくれ!」
「はい、ちょっと失礼しますね」
天賦は間から鍵を覗く。他のパズルとは違い、南京錠型のパズルだった。迷路のような模様がついている。
これなら、と思い、天賦はファティをどけて——その南京錠を破壊した。
「はあっ!?」
「開いた。入ろう」
「て、天賦……」
3人は何やら微妙な顔をしている。何が問題だったのか、天賦には分かりかねる。早く開いたのだからいいに決まっているのに。
「妖精のパズルはかなり貴重なんですからね。あんまり壊しすぎないようにしてくださいよ。財産なんですから」
「ざいさん?」
「価値があるんだよ、こういうのは」
なんとなく駄目だということを察したので、天賦はこれから壊すことを自重しようと思った。
「まあ、開いたことだし入ろうか。」
「もう……」
再生師は扉を開ける。ずっと前の建物なのに、扉の蝶番はスムーズに開いた。中は——何かの店のようである。
「なんだろう、たくさん鏡が置いてあるけど」
「鏡屋?」
「だが、どれも破片のような見た目だぞ?」
どれも、形が整えられているわけではなく、大きな破片が丁寧に並べられている。天賦が見たことのある鏡はもっと綺麗な形をしていた。
「うーん、分かんない」
「これ、なんか書かれてるぞ」
カウンターに、何かの文字が彫られた台の上に同じような鏡が置かれている。恐らく古字だろうと考えたので、それを再生師に見せた。
「ふむ……「見本 ご自由にお試しください」だそうだ。」
「見本? 触ってどうにかするものなんですかね?」
ファティはそれを手に取る。その瞬間——鏡の中が揺れた。
「うわっ!」
「え、なにこれ」
反射していたファティの姿が消えて、そこに映ったのは——背中に羽がついた、女性の姿だった。
『——こんにちは!』
「え!?」
「うそっ」
今、鏡の中の彼女が、天賦たちに向かって共通語で話しかけた。どういうことだ、と再生師たちの顔を見ると、
「今、クスカル語で話したぞ」
「いや、ムーナウーヴァ語だったぞ?」
「共通語でしたけど……」
どうやら、皆違った言語で聞こえているようである。炎砲にはクスカル語、再生師にはムーナウーヴァ語、ファティと天賦には共通語で聞こえた。
どんな技術だ、と思っていると、再び彼女が話し出した。
『こちらは「記録の鏡」です! このように、映像と音声をはっきりと記録することができます! なんと、持続時間は無期限! 未来永劫、大事な思い出を残すことができますよ! ぜひお買い求めください!』
そう言うと、彼女の姿は消えて再び天賦たちが反射した。あまりに不思議な光景に、思わず固まってしまう。
「……妖精の技術力?」
「そうだな、だが、想像以上だった!」
天賦はそれ以上に、動いて喋っている妖精の姿が衝撃的だった。羽がついている以外はほとんど明人と同じ。羽を隠してしまえば区別はつかないだろう。
「……これ、どうする?」
「とてつもない発見だな! 魔道具師に見せれば凄いことになるだろう!」
ケミタンへの土産になるかもしれない。炎砲の手袋を作ってくれたお礼に持っていこうかな、と一つを手に取る。
「大丈夫ですかね、とんでもないことになりそうですけど……」
「うーん、分かんないけど、とりあえず」
天賦は拡張袋の中にそれを入れた。なんとなく、役に立ちそうではある。
「ここにこれ以上のものはなさそうだな」
「そうだな、既に鍵が開いている家を探そうか。」
天賦たちは「記録の鏡」の店を出る。再び、広大な都市が天賦の目に映った。




