101話 上陸
船が止まる。
揺れが穏やかになり、メイド長が錨を降ろした。
「つ、着いてしまいましたわ」
「凄いな、ここからでも外が見えん!」
再生師は霧の方を見て尻尾を振っている。ここからの景色を見て、眺めがいいと言う人間はいないだろう。
「何かございましたらすぐにお戻り下さい」
「そっちも気をつけるんだぞ。魔獣とか来るかもしれないから」
炎砲の言葉に、メイド長は表情を変えずに答える。
「私がおりますので、お嬢様を危険に晒すことはございません」
「気をつけて、メイド長も」
「ありがとうございます」
メイド長は頭を下げた。
「なるべく早く戻ってくるように善処する。」
「あ、私たちのことは気にしなくても大丈夫ですわ!」
ここからどれだけかかるかは未知数だ。妖精の地下都市が広大なら、それ相応の時間が必要になる。魔獣がどれだけいるのかも影響するだろう。
「じゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
「無事に帰ってきてくださいまし!」
天賦たちはマーマレードとメイド長に見送られて船を降りる。久々の陸の感覚に、天賦は少し眩暈がした。
「さて、ここからどこを探すかだが……。」
「とりあえず、奥を目指すしかないんじゃないかな」
木々が鬱蒼としていて、少しの緊張感が天賦の胸を刺激した。だが、それよりもやっと呪源に近づけるような気がして、からだが鼓動する。
「行こう」
「ファティ、なるべく私の近くに。」
「は、はい」
一歩を踏み出そうとした時、天賦はカルメの声があまり聞こえてこないことが気になって振り返った。
カルメは何やらぼーっとして島を眺めている。
「カルメ?」
「……あ、ワリ」
はっとして、カルメは駆け足で天賦たちに近づく。ここからは何があるか分からないのだからしっかりしてほしい。まだ、霧の中で見たという怖い物に気を取られていたのだろうか。
「気をつけて進もう。」
「ん」
今度こそ、天賦たちは森に足を踏み入れた。
島の中はかなり暗い。葉が太陽の光を遮っていて、内まで灯が届いていないのだ。それでも視界が不明瞭になるほどではない。
「鳴き声は……何も聞こえないな。」
「あまり、何がいるようには思えないよな」
森の中はかなり静かで、虫の鳴き声もしなかった。天賦の耳に羽音さえ届かないのは不自然に思える。
「地下に通じる道がどこにあるかですけど、10年以上前なら痕跡は残ってないですよね……」
「獣道らしきものも見当たらん。」
気をつけないと枝が体に刺さりそうである。大きな葉を避けて、倒木を跨いだ。
「バラバラになって探す?」
「それは危険だな」
「やめておいた方がいいですよ」
この広い島の中、ちまちま探すのは面倒だ。なら分散して探した方がいいと思ったが、あっさりと却下されてしまった。
「地道に探すしかないだろう。」
「土が盛り上がってる洞窟とかあったら分かりやすいんだけどな」
今のところ、それらしきものは見当たらない。手入れがされていない木々が続くだけである。
「まあ、すぐには見つからないか」
「頑張る。そしたら見つかる」
「ははは、その通りだな!」
再び進もうとしたその時、天賦は風が切れる音を察知した。
「来る」
「魔獣か?」
天賦はすぐに拡張袋からナイフを取り出し、それを暗闇に向けて投げた。ファティが驚いた声を上げる。
数秒待ってから、ドス、と何かに刺さる音が聞こえてきた。それと同時に鳴き声と、ものが落ちる音。
「やった」
「す、すごいな……」
「確認しに行こうか。」
音のした方へ向かう。しばらく歩いて、地面に落ちているナイフを見つけた。それが刺さっているのは——大きめのコウモリである。
「なんだこのコウモリ」
「ふむ……魔獣なのは間違いないな。」
再生師も知らないようだった。そのコウモリは羽が奇妙に変化していて、指が異常に多い。少し気味が悪かった。
「なんか、怖い」
「確か、地下は魔力が濃いとか言ってましたよね。それで変異した、とかはありえますか?」
「無い話ではないな。実際、濃い魔力の元で生まれ、他より角が大きく育った魔獣なども存在する。」
魔力には天賦が思ったよりも不思議な力があるようだ。魔力がほとんどない自分が行って大丈夫な場所なのか、少し不安になる。
コウモリからナイフを引き抜き、首を切ってトドメを刺した。
「足跡から地下への道を探せると思ったが……コウモリではどうしようもできんな。」
「うーん……とりあえず、こいつが来た方向に行ってみようか」
深い森を進む。どんどん光が遮られて、ほぼ暗闇の中を進んだ。再生師が【灯光】で明かりを作る。
「結構進んだが、まだ見つからんな。」
「帰り、分かる?」
「もちろん」
同じような景色が続く。手がかりもないので、天賦はだんだんと退屈になってきた。踏み入れた時はあんなにも緊張していたのに、今では闘技場で暮らしていた頃の魔獣退治の方が楽しい。
楽しむものではないということは分かっているが、モチベーションに大きく関わるのだ。
「うーむ……バラバラ、というより、二手に別れて探した方がいいかもしれんな。」
「ほら、私の言った通り」
「炎砲くんがいないところで液状スライムにでも出会したらどうするつもりなんですか」
それは確かに困るが、気にし出したらキリがないようにも思える。ファティは少々心配性だ。
「……ん?」
「どうした?」
「ほら、あそこ」
炎砲は斜め右を指差した。その方向には暗い森の中だというのに、明るい場所がある。気が生えていない場所があったのだ。
「なんだろ、行こう」
「き、気をつけてくださいね!」
天賦は駆け足でその方角に向かう。近づくと、それはかなり広い範囲で、草木が生えていない土地が円状に広がっていた。その中心には大きく盛り上がった土がある。
「あ、これか?」
「いかにも、といった感じだな。」
明らかに何かある。地下に住むくらいだから、その入り口も隠しているものだと思っていたが、意外と分かりやすい位置にあった。まだ、これが地下都市への入り口かは分からないが。
天賦たちはぐるっとその周囲を回る。すると、盛り上がった土は洞窟の入り口だということが分かった。天賦たちが来た方と反対側に穴が広がっている。
「ここ、ですかね」
「たぶん」
再生師が一歩踏み出す。すると、彼女は少しだけ顔をしかめた。
「確かに、魔力が濃いな。」
「本当だ、なんか……溜まってる感じ?」
2人の言うことが天賦には分からない。日常的に魔法を使う2人とは違い、天賦は魔法はからっしきだから。
「ファティ、分かる?」
「ま、まあ……あんまり」
魔法を使えないファティも同様のようで、天賦は同じ人間がいて安心した。
「大丈夫?」
「ああ、少し驚いただけだ。」
魔力が濃いとどんな感覚がするのだろうか。天賦は未知の感覚を想像する。
「では……行くか? 準備はできているか?」
「うん、一応、食料も持ってきてる」
「は、はい、いけます」
ファティは自分の服を掴んで、うなじを軽く指で引っ掻いた。天賦は"相棒"のグリップを握る。
「色々、探す」
「そうだな……カルメ?」
炎砲が振り向いて言った。カルメは——その場に立ち尽くしている。マスクも微動だにしていない。
そういえば、森に入ってからカルメの声をずっと聴いていない。こんなに静かなカルメは見たことがない。
「体調が良くないのか? 少し休んだり……」
「……ねえ、カルメ」
天賦はカルメの裾を引っ張った。それでも、カルメの反応は無い。その異常さに気がついて、再生師も洞窟に向かおうとする足を止めた。
「その、えっと……カルメさん?」
「ねえ、カルメってば」
「……行け」
カルメは、その一言を落とした。
「え?」
「行け、とは……置いて行けということか?」
なぜそんなことを言うのだ。カルメをここに置いていく意味がない。妖精の言葉があるかもしれない以上、どんな言葉も読み取れるカルメがいた方がいいのに。
「無理だ」
「む、無理って」
「行けねェ、オレ、行ったらダメだ」
カルメは天賦の手を振り払った。一歩、二歩と後ずさっていった。
「カルメ、理由を説明してくれ。」
「うん、私たち、分からない」
カルメは僅かにマスクを傾けた。
「……分かるんだよ」
「分かる?」
「——オレ、この先に行くと思い出すぞ」
天賦の瞳が揺れた。
カルメは、魔王の記憶を思い出すと確信を持って口にしたのだ。それがどれだけ危険なことか、天賦たちは理解している。
「そ、れは……」
「確実に、そうなる。今も、頭ン底から出てきそうになってンだよ」
魔王の記憶を思い出したらどうなる。今から、200年前の惨劇がまた繰り返されるのだろうか。それとももっと酷いことになるか。
天賦の体がさあっと冷えて、天賦はカルメを押して洞窟から遠ざけることにした。
「ど、どうしたらいい」
「クソ、クソ、クソ」
カルメは混乱している。頭を抱えて、まるで何かから自分を守っているかのようだった。
「カルメ、船に戻ろう」
「思い出すな、思い出すな、思い出すな、思い出すな、思い出すな、思い出すな……」
ふらりとよろけて、カルメは元の姿に戻った。黄色い目をばくばくと動かし、黒い輪郭が不確かになる。
「ほら、カルメ、俺に掴まれ」
カルメは炎砲の腕の中に収まる。身を縮めて、雛のようになっていた。
「俺、カルメを船まで連れていくよ」
「私も同行しよう。2人とも、少し待っていてくれ。」
カルメは黙ってしまった。何かを思い出さないように、必死になっているのかもしれない。天賦の心を、ざわざわしたものが満たしていった。
2人は森の中に戻り、しばらくして帰ってきた。
そこにカルメの姿はない。
「大丈夫そうでしたか」
「分からんな……。」
「何か、変なことを呟いてたんだ」
変なこと、と聞くと、再生師と炎砲が顔を合わせた。
「同じことを繰り返して言ってたんだ。多分、俺たちの知らない言語で」
「知らない? 再生師も?」
再生師は頷く。彼女も知らないとは意外だった。
「もしかしたら古字かもしれんな。あれは意味は解読できているが、発音は不明なんだ。」
「……少し、不安ですね」
ファティは眉をしかめる。
「本当にカルメさんが魔王の記憶を思い出したら……」
過去に、カルメと「魔王の記憶を思い出しても人間を襲わない」という約束をした。しかし、もし、記憶を思い出して人格まで変わったら、その約束は継続されるのだろうか。
「……分からない、けど、今は妖精の都市」
カルメがなぜ、ここで記憶を取り戻しそうになったのかは分からない。その理由を探るためにも、今天賦たちがすべきことはカルメについての考察ではなく、地下都市に足を踏み入れることだと考えた。
「……そうだな! カルメの分まで探索しよう!」
「魔王についてのことも、何か分かるかもしれないしな」
そもそも、マーマレードの父は魔王と"勇者"のことについて調査するためにこの島に来たのだ。ヒントがあってもなんらおかしくない。
「カルメさんがいない分、少し危険になりますね」
「ああ、気を抜かないようにしよう。」
天賦は巨大な洞窟を見る。
"相棒"のグリップは生暖かくなり始めていた。




