100話 霧
——巨大魚を倒した後も、続けて魔獣に襲われた。魔蛸だったり、白い版の蛸みたいな魔獣だったり、ふくれた魚の魔獣だったり。
あまりにも遭遇するものだから、途中からはもはや流れ作業のように炎砲が処理をした。手袋が勿体無いと言ったが、こんなに襲ってくるなら楽に倒せた方がいい。
「炎砲。」
「また魔獣か?」
「いや、腹が空いたと思ってな。」
炎砲に、再生師が小さなクッキーを持ってきた。彼は感謝を述べて、それをいくつか口にする。
「カルメ、本当にどっか行ってほしい」
「ガチめの顔でそんなコト言うなよォ」
命の危機を感じるわけではないが、面倒くさい。何度も続くものだから船も進みが遅くなっているのだ。マーマレードはかなり辛そうな顔をしている。
「海がこんなに危険な所なんて知りませんでしたわ!」
「いや、今が異常なだけですよ……」
海がいつもこんな場所だったら漁師なんて職業はない。カルメがいない海を経験したことがないので、実際にはどんなものか天賦には分からない。
「今どこらへん?」
「もうすぐ見えてくると思います」
天賦は前の方にぐぐっと身を乗り出して、妖精の島が見えないか目を凝らした。「危ない」と言われてカルメにジャケットの襟を掴まれる。
「まだ見えない」
「嬢ちゃんが見えねェなら、オレも無理だな」
天賦はこの中で1番目がいい。天賦は自分より五感が優れた人間は見たことがない。見えるものは青い景色ばかりだった。
「そろそろなら、改めて俺たちがすることを整理しておいた方がいいよな」
「それがいい。忘れちゃう」
「私は覚えているぞ!」
再生師には聞いていない。彼女が覚えていても天賦が忘れていては意味がないのだ。
「えっと、本探す」
「いや、謎の本はお嬢様のパパが持ってってンだから無いだろ」
「あ、そっか」
しっかりしてくれよ、とカルメに背中を叩かれた。ラステリアで飲食店を回る旅をしていたせいでかなり抜けている。
「マーマレードのお父さんがどうして楽園教の信者なんかになったのかを調べるんだよ」
「そうだな。まず、妖精の地下都市に通じる道を探さなくては。間違いなく関係しているだろうからな。」
妖精が暮らしていた地下都市。その形を天賦は想像する。やはり、地下なら薄暗くじめじめしているのだろうか。
「そンで、確か魔獣とかがたくさんいるっつー話だったよなァ?」
「ああ、正確に、どのような魔獣がいるのかは分からないが……。」
「倒せばいい」
確かにそうだな、と再生師が笑った。
「み、みなさん、本当に気をつけてくださいまし! 私たちはずっと待機していますから、危なくなったらすぐに戻ってくるんですのよ!」
「だァいじょーぶだっての」
過去の話によれば、妖精の島に行った人間たちは全員が無事だったわけではなかったが、ほとんどの人が帰ってきたそうだ。なら、天賦たちがしくじることは考えにくい。
「ファティも大丈夫か?」
「えっ」
ぼーっとしながら海を眺めていたファティは、炎砲に声をかけられてはっと顔をこちらに向けた。
「あ、はい、俺は平気です」
「そっか。……なあカルメ、カルメって呪いから人を守ることってできるのか?」
「おお、なるほど! 炎砲は賢いな!」
カルメは呪いを見ることができる。なら、今まさに呪われそうになっている人間を救うこともできるのではないだろうか。……再生師の反応はズレている気がする。
「あー、どうだろなァ。その瞬間見たコトねェからわかんねェわ」
「カルメなら、できそう」
「できたらやってみるねー」
カルメは寝っ転がって、ふらふらと手を振った。万が一、妖精の島で呪いが降り掛かったらファティを守れるのでは、と思ったが、分からないなら仕方がない。
「呪いから守るって、何の話をしているんですの?」
「あ、あー、ははは」
カルメはわざとらしく笑う。まだカルメが魔王だとは口にしていないからセーフだろう、と天賦は思っている。
「皆様」
「どうした?」
「前方をご覧下さい」
メイド長に言われて、天賦は前を見る。海の遠くには、島の影——ではなく、濃い霧の塊があった。
「なにあれ」
「妖精の島を取り囲んでいる霧です」
「あー、そういやそんな話もあったなァ」
不自然に、そこだけに集中して霧が存在している。それだけで妖精の島の異様さが伝わってきた。
「なんでああなってるの」
「分かりません」
「そういうモンって思っとけ」
ここに妖精か、霧の専門家でもいたら理由が分かったかもしれないが、そんな人はいない。天賦はカルメの言う通り、そういうものだと思うことにした。
「皆様、あの霧の中に入ったら目を瞑り、耳を塞ぐことをお勧めいたします」
「え、どうして」
「あの霧には幻覚を見せる力があるのです」
幻覚。オーガンと戦った時のような感覚だろうか。天賦は霧に良い思い出がない。
「ですが、必ず、というわけではないようです。私も事前に島の海岸まで行ったことがありますが、その時は幻覚は見えませんでした」
「運ってコトね」
「悪夢のような幻覚を見た、という話もありますので、お気をつけ下さい」
実際に起こっているわけではないのだから、どれだけ怖いものでも天賦は耐えられる自信があった。流石に"相棒"が取られる、とかは嫌だが、事前に嘘だと分かっていれば問題ない。
「マーマレード、大丈夫か?」
「私はとっくに覚悟しておりますわ!」
ぶるぶると、かなり大きく足を震えさせながらマーマレードは胸を張った。
「怖くなったら私にしがみつくように言ってありますからね。練習もたくさんいたしましたし」
「そ、それは言わない約束でしたわ!」
マーマレードは顔を赤くして、華奢な手をぶんぶんと振ってメイド長に抗議した。そんなに恥ずかしい話ではなかったように思える。
「目を瞑ってる間に魔獣が襲ってきたりとかは……」
「あの霧には生き物は寄りつきません。ですので心配ないかと」
それを掻い潜ってまでカルメに突撃してきたらどうしよう。とりあえず、その時はその時である。
「……近づいてきたな」
「本当に濃い霧だな、奥が全く見えん。」
ここまで近づいてきたのに島の形を捉えることはできない。不気味なそれを見て、天賦は"相棒"のグリップを握った。
「では、入りますよ」
「ま、待ってくださいまし!」
マーマレードは焦って船の上をぱたぱたと歩き、メイド長の服にしがみついて一息ついた。
「よし、もう大丈夫ですわ!」
「怖がりすぎだろォ」
「そ、そんなにじろじろ見なくても結構ですわ!」
船の先が霧に触れる。それを見て、天賦たちは目を閉じ、耳を手で塞いだ。
辺りが寒くなる。細やかな粒が天賦の肌に触れた。
大きな音は聞こえない。触れられる感覚もない。天賦は幻覚を引かなかったのかな、と思って一安心した。
耳から手を離した——瞬間だった。
「うっ!?」
天賦は床に打ち付けられた。頭に木の板の硬い感触がする。ぎり、と何か柔らかいものが首に巻き付いていた。それはゆっくりと天賦の首を圧迫し、頭に血を上らせていく。
天賦は目を開いた。
そこにいたのは、魔獣——ではなく、銀色の毛。毛先は下を向いていて、全てが天賦を見ているようだった。
英雄、サマルエルムである。
「え」
これは幻覚だ。あるいは夢だ。
だというのに、天賦の首は強く絞められている。命の危険を感じるくらいには、その手は容赦なく握られていた。
天賦は必死になってもがいた。サマルエルムの表情はよく見えない。見ようとも思わない。これが幻だとしても、苦しいことには変わりないのだから。
ぐるる、とサマルエルムが喉を鳴らす。まるで獣のように牙を見せ、爪を鋭くした。肌が切れる感覚がする。
「サ、ミー……」
彼女は反応しない。ただ、力を強くするばかりだ。足をばたつかせて、彼女の体を蹴ろうとする。だが、空振った。確実に当たったはずなのに、すうっと体が透けるようにぼやけたのだ。
ふいに、何か、黄金のものが天賦の前で光った。
それを見て、天賦はすぐさま顔をできるだけ傾けた。顔の横に、黄金の液体がひとつ落ちる。
「……ワガハイが」
彼女が言葉を口にした。天賦は落ちた液体から彼女の顔に目を向ける。サマルエルムは、獣人の表情を読み取りづらい天賦でも分かるほど、顔を歪めていた。
「ワガハイが、間違っていた……!」
サマルエルムのもう片方の手が天賦の首に巻き付く。さらに気管が圧迫されて、天賦は頭を振った。
「間違いだった! オマエなどに、ああ、ワガハイはやはり狂っていたのだ!」
「う、ぐっ……!」
サマルエルムの話が頭に入ってこない。とにかく、彼女の手から抜け出すことばかりを考えた。
「オマエさえいなければ! 全てが正しく進んだというのに! オマエさえ、オマエさえ!」
サマルエルムの爪が上を向く。きらりとそれが光って、ゆらめき、その先が動いて——
——天賦の顔に突き立てられた。
「あ」
死んだ、と思った時、天賦は空を見ていた。
咄嗟に首を確認する。天賦を締め付けた腕は存在しなかった。ただ、自分1人が床に横たわっている。
辺りを見回すと、すでに霧は存在しなかった。やはりあれは幻覚だったのだとうなじを撫でた。切り傷は存在しない。
「大丈夫か?」
後ろから炎砲がやってくる。彼は平然としていた。
「……大丈夫。炎砲は?」
「俺は何もなかったよ」
彼も首を絞められていたら、と思ったが、何事もなかったようだ。ひとまず安心、と思っていると、天賦たちのそばに駆け寄ってくる人がいた。
顔を青くしているファティである。
「ファティ、どうしたんだ?」
「お、俺の……か、顔、どうなってます」
「顔?」
天賦はファティの顔を観察する。いつも通り、目は閉じていて、不安そうな表情をしていた。
「何も」
「あ、ああ、そうですか……」
ふう、とファティは深く息をついた。もしかしたら、幻覚の中で顔を魔獣に引っ掻かれたのかもしれない。
「気分はどうだ? 嫌なものを見たとか……」
「い、いえ、平気です。びっくりしただけで」
幻覚だというのに感覚までしっかりあるとは。そんなものなら事前に言っておいてほしかった。
「再生師は?」
「あ、ああ! 私も、特に問題はない!」
ははは、と再生師は笑う。本人が大丈夫だと言うのなら気にしなくても良いだろう。
「マーマレード、メイド長、大丈夫か?」
「ええ、問題ありません」
「私が聞いた魔獣の鳴き声は幻聴ですの!? みなさん聞こえてないんですの!?」
マーマレードはメイド長の服にたくさんのしわを作りながら天賦たちの顔を見ている。天賦はそんなものを聞いた覚えはない。
「落ち着いて下さい、昨日の昼食の隠し味お嬢様」
「マーマレードですわ! ……え、そうだったんですの?」
皆平気そうである。カルメもどうせ大丈夫だろうな、と彼の姿を探す。しかし、黒い長身を捉えることはできなかった。
「あれ、カルメは?」
「何? ……本当だ、いないな」
全員でカルメを探す。さっきまですぐそこにいたのにどうしたのだろうと、天賦は船の中に入った。
しばらく探して——やっとその姿を見つけた。
「あ、カルメ。……なんでそうなってるの」
カルメは人間の姿ではなく、鳥の形をしている。隅っこの方に縮こまって、黄色い目を隠していた。
「……嬢ちゃん?」
「うん」
「終わったのか?」
「終わってる」
カルメは目を隠すのをやめて、羽をおそるおそるどけた。偽クチバシを忙しく動かし、周囲を確認している。
「なんか見たの」
「……まァ、見た」
カルメは周りに何もないことを把握すると、すぐに人間に変化した。首を鳴らし、肩をぐるぐる回している。
「クッソー、マジで胸糞悪ィ」
「何見たの」
「怖いもの」
カルメが言ったのはそれだけだった。特に気になることでもないので、天賦もそれ以上は聞かない。
天賦はカルメを押して、皆の元まで連れて行った。
「あ、何してたんだよカルメ」
「何もしてねェよ」
カルメは重いため息をついて、それからひさしを作って前方を観察する動作を見せた。
「アレか」
「あれって……あ」
天賦も、初めてその形を見た。
見かけだけでは、ただの島。木がたくさん生い茂っていて、奥地はよく見えない。ただ、言いようもない雰囲気が天賦の体を冷やした。
霧に囲まれた秘境——妖精の島である。
「ついに到着か。」
「なんだろうこれ……変な感じだ」
再生師の尻尾はゆったりと揺れている。天賦は首を一度撫でて、"相棒"のグリップを握った。
「あー気持ち悪ィ。なんでもいいからボコしたい気分」
「八つ当たりか?」
「イライラは適度に発散するのがいいの」
カルメは再生師の尻尾を指でつついた。それが軽く押し返され、カルメは指を引っ込める。
「さて、これからは未知の領域だな。」
「ファティ、危なくなったら大人しく抱えられるんだぞ」
「はい、心得てます……」
天賦は握り拳を作り、それを開く行為を繰り返す。この先にマーマレードの父が狂った理由がきっとある。
「頑張る、ぞ」
「おう、頑張ってくれ」
「私たちもだぞ!」
天賦は大きく息を吸って、妖精の島をよく観察した。




