99話 潮のかおり
——約束の日。天賦たちは港に集まっていた。そこには既にメイド長とマーマレードが待っていて、普段の格好よりも動きやすそうな服を着ていた。
「お待ちしておりました」
「久しぶりだな。」
天賦はてっきり、妖精の島に向かうのは天賦たちとメイド長だけだと思っていたので、オレンジ髪の彼女の姿もあったことを意外に感じていた。
「マーマレードも来るの?」
「私は船で待機するだけですわ」
「私の目の届かないところにお嬢様を置いておくのは危険ですから」
ものじゃありませんことよ、とマーマレードは腕を組んでぷいとそっぽを向く。
「それで、船はどれだ?」
「あちらです」
メイド長が刺した先にあったのは、他のものより少し小型のものだった。天賦たちの人数にちょうどいいくらいの大きさである。
「その……操舵手の方が見当たりませんが」
「私が操縦いたします」
え、と再生師たちと声が被った。彼女はメイドであり、それも戦闘面に振り切った人間だと思っていたから、本当にこれを操縦することができるのか不安だった。
「お任せください。航海術は心得ております」
「そう言うなら信じるけどよォ」
確かに、彼女には意外なこともそつなくこなすイメージもある。それはメイド長の纏っている雰囲気からだろう。
「船に乗るのは2回目だな」
「うん。アマツぶり」
「確かに、2回目ではあるが……。」
アマツへ行く時も船に乗ったが、あの時は広い船にぎゅうぎゅうに押し込まれて景色なんて楽しめる余裕はほとんどなかった。アマツについた後も、帰りのことが憂鬱になってしばらくげんなりするくらいには最悪な環境だった。
「ま、今回は快適だろ。好きなトコで寝れるし」
「あれは、きつかったな……」
前は怒られてできなかったが、今回は知っている人しかいないから、マストの柱の上に登ることができそうだ。天賦は今のうちに準備運動をする。
「食料は十二分に積んでありますので、ご安心を」
「天賦、食べすぎるなよ」
「再生師さん、食べすぎないでくださいね」
炎砲とファティから同じような注意が飛んできた。そこまで食い意地張っているように見えるかな、と天賦は疑問に思った。普段、他人からどのように見えているか自分には分からない。
とりあえず、2人は炎砲とファティにグッドサインを送っておいた。
「では、そろそろ出発いたしましょうか」
「遂にか、楽な旅になるといいなァ」
「大変なのは着いてからだぞ」
メイド長の案内で、天賦たちは順番に船に乗せられる。体を縮めなくていいのは最高だ。アマツに行く時、ファティは毎回あんな思いをしていたのだろうか、と天賦は彼の顔を見て考える。ファティは首を傾げていた。
「マーマレード、船に乗るの初めて?」
「初めてですわ。ちょっと、緊張しますわね……」
僅かに揺れる船上で、マーマレードは両手を横に広げてバランスを取ろうとしている。メイド長は船の準備をしているので、天賦が彼女を支えた。
何かの遊びと勘違いしたのか、天賦の空いた手を再生師が繋ぐ。そしてそのうち3人は輪になった。
「ファティ、大丈夫か?」
「はい、俺は平気です」
深呼吸をするファティを気遣ってか、炎砲が彼の顔を覗いている。カルメは呑気にその辺に寝っ転がっていた。
「では、出ますね」
「うん」
「ああ、頼む!」
船がゆっくりと動き出す。
鳥が鳴く声がして、木がきしみ、波打つ音がして——
「おえぇ……」
——マーマレードは、海に吐いていた。
海に出てしばらく経った頃、マーマレードが急に顔を青くして口を押さえたのだ。何かを察した炎砲が彼女を船の端まで連れて行って、今は彼女を介護している。
「おーい、ダイジョブそーかァ?」
炎砲は苦笑いをした。ずっと彼女の背中をさすっている。
「初めてらしいからな、仕方がない。」
「船は独特の感覚がしますからね……」
マーマレードからしてみれば未知の振動だ。ゆったりと揺れるこの感覚に最初から慣れている人間はいないだろう。
「パンにつけるやつお嬢様、具合はどうですか」
舵輪を握るメイド長がマーマレードに声をかける。マーマレードは咳き込んで甲板に目を向けた。
「マーマレードで……おえ……」
「ああ、よしよし、辛いな」
炎砲がマーマレードに水を差し出す。うがいをして、マーマレードは口を拭った。
「ちょっと楽になりましたわ……」
「よかった」
「無理すんなよォ。寝っ転がっとけ」
カルメはゆらゆら足を揺らして仰向けになっている。彼は長身なので、それだけでかなりスペースを取った。
天賦はマストの柱の上。
意味なく声を発して、海の広さを実感している。もう少し爽やかな風なら良かったのにな、と思ってそこから飛び降りた。着地先はカルメである。
「グエッ」
「カルメ、邪魔」
「今のはどっちかっつーと嬢ちゃんが悪いだろ」
天賦はカルメから降りて伸びをする。まだ妖精の島は見えない。暇だから、再生師を誘って遊ぶことにした。
「再生師、あれやろ」
「ああ、いいぞ!」
「じゃ、オレ審判やるわ」
暇な時間に再生師とやるダンスバトルである。最初、天賦はダンスに全く詳しくなかったが、最近はどうすればかっこよく見えるのかを心得てきた。
「音楽も無しに、よくできますね」
「ん」
天賦はファティに向けて、そこら辺にあった樽を転がした。ファティは慌ててそれを掴む。
「え、俺にリズム取れって言ってるんですか」
「頼む! その方が盛り上がるからな!」
「え、ええ……」
ファティは微妙な顔をしながら樽を叩き出した。先行は再生師である。
「た、楽しそうですわね……」
「気分が良くなったらマーマレードもやるか?」
「私は見てるだけでいいですわ、今は。……うぷ」
炎砲はマーマレードを介護して船内に連れて行く。彼女にアマツの旅は厳しいだろうな、と天賦は思った。
ダンスバトルは天賦の反則負けになった。
——それからしばらくして、船内の雰囲気も落ち着いてきた頃。天賦があくびをして、再生師が船の端にもたれかかり、カルメは相変わらず寝ている。
静かになってうとうととしていた時、天賦の耳に聞き慣れない音が届いた。
「……ん?」
「どうした、天賦?」
「なんか、バシャバシャって音」
水を高速で叩いているような音だ。遠くだが、だんだんと近づいているような気もする。
「……あ、本当だ、聞こえるな。」
「でしょ」
天賦はマストの柱に登り、辺りを見回す。前の方には何も見えない。横にも特になし。後ろには——
「……うわ!」
「天賦様、どうかいたしましたか」
「なんか、来てる!」
後ろから迫ってきているのは——巨大な魚だ。
口を大きく開けて、飛び跳ねながら天賦たちが乗る船めがけて泳いできている。
「うお、ンだアレ!」
「どうした?」
「ほら、サカナだよサカナ!」
カルメは中から出てきた炎砲とマーマレードを持ち上げ、遠くにいる巨大魚を見せた。よく見ると羽らしきものがついている。
「なな、なななな、なんですのあれ!?」
「ほう、見たことのない魔獣だ! 美しい鱗だな!」
「そんなこと言っている場合ですの!?」
明らかに、巨大魚は船を追っている。追いつかれたら面倒なことになるのは目に見えていた。
「この辺りに、そんな魔獣が出るわけが……いたとしても大人しいはずなのに」
天賦たちから特徴を聞いて、メイド長が考え込む。普通なら大人しいはずの魔獣が執拗に追ってくる理由と言ったら——
「もう、カルメ!」
「ワリィってェ!」
魔王の体質は心底役に立たない。それに陸ならまだしも、海の上での戦闘は天賦の専門外である。走って距離を取ることができないからだ。
「ど、どうするんですか!?」
「とりあえず、倒す」
「それしかあるまい!」
あの速度なら振り切ることはできないだろう。追いつかれるのは仕方がない。なら、殺さなくては。
だんだんと巨大魚は速度を上げてくる。既に水音がかなり激しくなっていた。
「よーし」
天賦は左手にモーニングスター、右手に刀を持った。前から試してみたかったフォームである。側から見ればありえない装備。
「おお! 格好いいな!」
「いや、俺が魔法を使えば……」
「手袋がもったいない。私がやる」
炎砲の手袋はたくさんあるが、有限である。こんな魔獣に使うよりも温存しておいた方がいい。……本音は、ただ自分が新しい戦闘スタイルを試したかっただけなのだけれど。
「ホラ、来るぞ!」
「任せて」
上下に飛び跳ねて、海を変形させて——巨大魚が跳んだ。……いや、飛んだ。
「えっ」
透明な羽を広げ、船を飛び越えていったのだ。そのまま大きな影を落とし、飛沫を上げて前方に沈む。海水が天賦の頭に降り注いだ。
「飛びやがった! 卑怯だぞアイツ!」
「カルメ……」
カルメがそれを言うのか、と人間の身体で魚を指差す彼を見た。
「というか、飛び越えたけど……もしかして別に襲いに来たわけじゃなかったのか?」
「いや、確かにこちらを見ていた気がしたが……。」
「あら? あの魔獣、どこに行きましたの?」
マーマレードが海をきょろきょろ見回す。確かに、前にダイブしたはずなのに魚影が見えない。それほど深く潜ったのか、それとも——
「そ、その、俺の勘違いだったらいいんですけど……なんか、揺れてません?」
「海だぜ? そりゃ揺れ……」
天賦も気がついた。ゆったりと揺れているのではなく、小刻みに、カタカタと揺れているのだ。2種類の揺れが混雑し、足元が悪くなる。
「ありゃ、確かにおかしいわ」
その時、飛沫の音と、木が軋む音がした。
そして——天賦たちは、上から押さえつけられるような感覚に陥った。船ごと打ち上げられたのだ。
「うわっ!?」
「マ、ジかよッ!」
海の青が消え、空の水色ばかりの景色になる。ふわっと体が浮いて、足が冷える。
「こ、これっ、大丈夫か!?」
「わかんない! わっ」
重い衝撃が伝わり、ざばんと水が弾ける。空から落ちたのだろう、床ばかり見ていて感覚で把握するしかないけれど。
やっと収まったと思ったら——また押さえつけられた。何回も船が打ち上げられて、何度も空を飛ぶ。
「わ、すごっ、ふふふ」
「炎砲くん、何笑ってるんですか!?」
マーマレードを支えているファティがぎょっとした顔で炎砲を見た。こんな状況だが、上げ下げが激しい乗り物だから炎砲が好きだろうと思った。
「こ、これ、船が危ないんじゃないか!」
「それは、困る」
「でもこれっ、どうやって倒せば」
船の底が崩れる前になんとかしないと。しかし、海の下にいる巨大魚になんて触れられない。一体どうしたものか、と頭を悩ませた。
「カ、カルメ様!」
「おう、どうした!」
「鳥になることはできないのですか!」
鳥になる、と言われて、カルメは一瞬動きを止めた後にわたわたと手を動かした。
「え、は!? ちょ、なんで知ってんの!?」
「クェンターレで空を飛んでいたではないですか!」
「……あ」
カルメが手を打った。そういえば、カルメはクェンターレでメイド長を乗せて飛んだことがある。あの時は呪源との戦いで必死だったからすっかり飛んでいた。
「そうだ! オレもうやってンだから隠さなくていいじゃん!」
「ちょっと、カルメ」
「オレ行ってくるわ! よっしゃー!」
カルメは跳躍し、巨大な鳥の姿に変わる。メイド長は彼の姿が見えないので特に反応はなかったが、マーマレードは初めて見るから「ゔえっ!?」なんて声を上げていた。
船が激しく揺れる。マーマレードにこの揺れは耐えられないのではないかと顔を伺ったが、やはり辛そうだった。メイド長は声を頼りにマーマレードの元まで這って移動している。
いつになったら終わるんだ、と苛立ちが登ってきた頃——揺れが収まった。
「あ、何が……?」
「ほら、あれ!」
炎砲が指差した先には——鉤爪を鋭くしたカルメが、巨大魚をがっしりと掴んで飛び上がっていた。びちびちと跳ねて、爪が食い込み血が流れている。
「コイツ、意外と力強えわ! 離しそう!」
「な、何が? 起こっているんですの?」
「凄い絵面だな! ははは!」
強い力で抵抗しているのが分かる。メイド長にあの光景を見せてやれないのが残念だ。それほど面白い景色だから。
「あ、ヤベッ!」
「あ」
巨大魚の背がもげて、カルメの爪に背中の肉を残して巨大魚が船に向かって落ちてきた。
「うっそ……」
「任せて」
天賦はすぐに体勢を立て直し、モーニングスターをマストの柱に巻きつけた。ここで本気の跳躍をしたら船が壊れるから、遠心力で高く飛ぶことにした。
ぐるんと天賦の身が回り、巨大魚めがけて飛ぶ。それから左手を離し、刀に手をかけて——
——巨大魚の身を両断した。
「マジか!」
真っ二つになった巨大魚は船の両側に落ちて、凄まじい水飛沫を上げた。船にそれが覆い被さり、全員に大量の水がかかる。
天賦は軽やかに着地して、刀についた血を払った。
「天賦、凄いな! 今のは美しかった!」
「ありがとう」
「あんなのを2つに……流石天賦だ」
カルメが鳥から人間に変わり、どかっと船に着地した。天賦とは正反対である。
「ふいー、びっくりしたねェ」
「カルメ、魔獣に嫌われるのやめて」
「やめてェよ、オレも」
マーマレードは口をあんぐりと開いたまま動かなくなっていた。衝撃に当てられて思考が停止しているのだろう。メイド長は彼女を立たせて、手探りで服を整えた。
「びっちょびちょだ」
「ですね、海水臭くなっちゃうな、これ……」
ファティはため息を吐いた。天賦も濡れた服を改めて見て、これからカピカピに乾くことを想像してうんざりした。
「着替え持ってきてよかった」
「え、着替え?」
首を傾げた天賦に、炎砲はさらりと答える。
「濡れるかなと思って、着替えを多めに持ってきたんだ。一応、全員分の」
息を呑む音が聞こえた。誰の声かな、と探る前に、ファティが炎砲の手を握った。
「炎砲くん、あなたは偉大です。本当に」
「備えがいいなァ」
「ほら、みなさんもちゃんと感謝して!」
ファティの言う通り、天賦たちは揃って炎砲に頭を下げた。炎砲は恥ずかしそうに泣きぼくろを掻く。
メイド長は黙って船の確認をする。マーマレードはどうしていいのか分からなくなったのか、なぜか炎砲の感謝の儀に参加していた。




