97話 もう少し
ラステリアへと旅立つ日。天賦たちは出発前の最後の準備を整えていた。
「魔力補給用の魔石は?」
「ある。これ、さっき買ってきた」
炎砲は皮袋に詰められたそれを掲げる。カルメはチェックリストに一つ印をした。
「てか、良かったのかよ姉ちゃん。めちゃめちゃ食料もらっちまったけど」
「ああ! 心配性な人たちだからな!」
再生師の両親に、拡張袋にも入りきらないくらいの食料を分けてもらったのだ。もう旅立つのかと何度も何度も再生師に聞いていたのを見たから、彼女の説明に納得する。
「食べ物にお金使わなくていい。ラッキー」
「ちゃんと感謝しなきゃだぞ」
富豪の力とは偉大である。天賦は再生師の家の方向に向かって感謝の念を込めた。
「クッションも新調できたのはデカいよなァ」
「今までのはくたびれてしまったからな。」
ふかふかのクッションも手に入れた。これで、さらに車内で快適に寝ることができるだろう。
長旅も楽になるかな、と思っていた時、すっと上がるひとつの手があった。
「あの」
そう口にしたのはファティだ。皆の視線が彼に集まる。
「ラステリアに着いた後のこと、なんですけど」
「うん」
「……俺も、妖精の島に着いて行ってもいいですか」
思いがけない話だった。
妖精の島には何があるか分からない。だから戦闘能力のないファティはラステリアで待機するはずだったが、彼は一緒に行きたいと言うのだ。
「なんだよファティ。1人置いてけぼりなのが嫌になったのかァ?」
「そ、そういうことではないですけど」
ファティはうなじを触る。
「……よ、妖精の文献を読み漁って、彼らはパズルや謎かけが大好きだったという話を知ったので」
「ああ、有名な話だな。」
「その……もしそんな仕掛けがあったら、みなさんでは少し不安かな、と」
天賦は一瞬彼が何を言っているのか分からなかったが、一拍おいて理解した。
「ファティ、失礼」
「そんな風に思っていたのか……?」
「い、いや! 決してみなさんを馬鹿にしてるわけじゃないんですよ! す、少し心配になっただけで!」
彼の言いたいことが理解できないわけではない。もし難解なパズルがあったら、天賦と再生師は論外で、カルメも飽き性だから難しく、望みは炎砲くらいだ。
ファティがどれだけパズルができるかは知らないが、少なくとも天賦たちよりは頼りになるだろう。妖精の文献を読んだとも言っていたし。
彼が自ら危険な場所に行きたいというのは不自然な気がしたが、天賦は頷いた。
「いいよ」
「え、いいのか? 危険なんじゃ……」
「まァ、そんな簡単なコトで死ぬようなヤツでねェだろ。そんなんならこれまでに10回は死んでる」
ファティは不幸をなんやかんや乗り越えてきている。天賦も、彼が魔獣に襲われる想像をするのは容易いが、頭から齧られている姿を思い浮かべることはなかなか難しい。しぶとく生きているイメージがある。
ファティはどこか安心したような顔をして、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「危なくなったら、私が担いでく」
「え、俺が天賦さんにですか」
「なに、どうせオレら以外にいねェんだし、恥ずかしがる必要ねェって」
年下の女性に担がれて逃げる様を想像して恥ずかしくなったのか、ファティは前髪を分けていた。天賦はファティ程度重くも何ともないので気にしていない。
「人を抱えることに関しては私が慣れているぞ! 今ここで試してみようか!」
「え、いや、いやいやいや」
再生師は炎砲を抱えて戦闘をする機会が多い。彼が小柄だからという理由もあるが、落とさず器用にくるくる回すことができるのだ。
彼女はじりじりとファティに近づく。ファティはもつれる足で遠ざかろうとした。
「その、大丈夫です。その時になれば……」
「予行練習だ! 酔ってしまっては困るからな!」
「いや、い、いいです、いいですってええ!!」
ファティは抵抗むなしく、再生師の脇に抱えられてしまった。そのまま彼女は尻尾を使って宙を飛び、建物の壁を走っていく。びゅんびゅんと飛び回る様を天賦たちは目で追っていた。
「情けねェ声だなァ」
「俺、側から見たらあんな風に見えてたのか」
「あれは、ちょっと違う」
ファティは再生師にからかわれているのか、わざと落ちそうにさせられたり、宙に投げ出されたりしている。半泣きの声が街に響いた。
「出発になったら起こして」
「え、嬢ちゃん寝るの」
「なんか、眠い」
今日も再生師に朝早くに叩き起こされたから眠いのだ。今になって、ガフタで早々に皆を起こしたのは悪いことだったなと反省している。
「起こしていいんだな?」
「うん」
「おやしみー」
天賦はクッションを集め、自分用の簡易ベッドを作る。ファティの叫び声がだんだんと遠くなっていった。
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——眠気の中、風が頬を撫でる感覚がした。気持ちのいい涼しさが天賦の髪をもっていき、翼がはためく音が頭のどこかで響く。
その音を不思議に思って、天賦は薄く目を開けた。
「——あら、おはよう」
その声を聞いて、天賦はすぐに顔を上げた。
すぐに目に入ったのは——草だ。草原。
自分は術力車で寝ていたはずなのに、なぜか地面に横たわっていたのだ。頬についた一本の草が落ちる。
声がした方には——紫の揺れる長い髪があった。天賦が想像するような、普遍的で、かつアレンジが施された魔術師の格好をした女性。
天賦は、彼女を何度か見たことがあった。
「……チュリマー」
「ふふ、チュリマーよ」
彼女の金の瞳が、天賦を映す。
「とても気持ちよさそうに寝ていたわね。どんな夢を見ていたの?」
「……ない」
「あら、そう?」
彼女の声は不思議だ。聞いていると気分がふわふわとして、また眠りたくなる。
ばさ、と風が叩かれる音。天賦はそれの正体を知った。彼女の傍らに、真っ白な体のワイバーンがいる。その目は落ち着いていて、チュリマーに甘えるように首を下げた。
普通なら危険な部類に入る魔獣だが、天賦はそのワイバーンに警戒心は抱かなかった。そこにいて、なんらおかしくないように思える。
チュリマーはワイバーンの顎を撫で、顔を合わせた。こんなに人に懐いているワイバーンなんて見たことがない。
「ゆうべは楽しかったわね」
彼女は遠くを見て言った。天賦も同じ方を見る。すると、下の方に栄えた街が見えた。どうやら、ここは街外れの丘らしい。
「みんなでおいしいシチューを食べて、みんなの故郷の歌を歌って……私は聞いてばかりだったけど」
シチューを食べて、歌う。天賦が想像する理想の仲間だ。かつて見た、焚き火を囲む英雄たちの姿を思い出す。しかし、天賦はなぜ、彼女が歌に参加しなかったのかが何となく気になった。
「……どうして歌わなかったの」
「あら、言ったことなかった? 私、故郷が無いの」
さらりと彼女は答える。
天賦は良くないことを聞いたかな、と思って一言謝ろうとする。しかし、彼女はくすりと笑って「いいわよ」と目を細めた。そして、また遠くを見る。
「金眼の力なんてみんな知らなかったから、きっと魔法が使えないからって捨てられたんだわ。家族も、育った場所も無くて、あなたたちに会うまではずっとこの子しか頼りじゃなかった」
チュリマーはワイバーンを撫でる。
今の話で、天賦には一つ気になることがあった。
「金眼の力」?
天賦もそんなものは知らない。ただ、楽園教——マーマレードの父に追い回されているもの、とだけしか。
過去に再生師から、金眼は魔力回路が特殊だと聞いたことがあったが、何か特別な力が彼女にはあるというのだろうか。他にも色々話していた気がするが、天賦は覚えていない。
「この街はいいところね」
チュリマーが捨てられた子供、という話は初めて聞いた。彼女の言葉遣いや仕草から、天賦はチュリマーはお金持ちの家で育ったのだと思っていた。
彼女の話や目に気を取られて、天賦はすっかり自分が過去の英雄を見ているのだということを忘れていた。
そうだ、彼女は呪源になったのだ。なら、そのヒントを探らないと。シュルトカも、サマルエルムもそうやって為人を知ってきたのだから。
「え、えっと、チュリマー」
「なあに?」
彼女は子供っぽく首を傾げる。
咄嗟に話しかけたが、何を話せばいいか分からない。天賦は会話の流れを汲み取ることが苦手だ。
「嫌いなものって、ある」
「あら、急にどうしたの?」
チュリマーはくすくすと笑う。
彼女の、あまり良い話とは言えないものを聞いてからこんなことを質問するのは間違っているが、ここで気をつかう必要なんてないのだ。
「ないわよ」
「え?」
「変かしら。でも、すぐには出てこないの」
強いて言うなら苦い物かな、とチュリマーは舌をちらりと出して言う。天賦が聞きたいのはそういうことではない。
「も、もっと、なにか」
「勿論、辛いこととか、悲しいことは嫌いよ」
「う、うーん……」
悩む天賦の何が面白いのか、チュリマーは口に手を当てて笑う。紫色の髪が風にもっていかれた。
「あなたが何を求めているのかは分からないけれどね。それよりも好きなものの話をしない?」
「好きなもの……」
「ふふ、聞くまでもなかったかしら。その剣——あなたの"相棒"よね」
天賦のまつ毛が揺れた。
無意識に天賦は"相棒"のグリップを握る。
「あ、あれ」
「どうしたの?」
「わ、私、天賦?」
天賦、という言葉にチュリマーは首を傾げた。天賦の才は確かにあるわね、と言う。
今の天賦は間違いなく"勇者"の姿をしている。なのに、"相棒"とは。
前に見た"勇者"の記憶を思い出す。あの時も、"勇者"は剣を握って「相棒」と言っていた。
「そ、そう。相棒が大事。でも、「もの」じゃない」
「ああ、そうね。相棒だもの。「もの」なんかじゃなかったわね」
"勇者"は天賦とよく似ている。自分の剣を"相棒"と呼ぶ剣士なんてたくさんいるだろうけれど、なんとなく天賦はそう感じた。
「チュリマーは?」
「私は、そうね……これもまた、違った答えになるけれど、みんなよ」
あなたの"相棒"と同じようにね、とチュリマーは自分の髪を撫でた。人差し指にはめられた黄金の指輪が光っている。
「みんなのことが、何より大好きなの。6人で過ごす時間が何よりも大事」
すると、純白のワイバーンがくるる、と喉を鳴らして、鼻先でチュリマーの肩を突いた。
「あら、ふふ。もちろんあなたもよ。ごめんね」
まるで、そのワイバーンは人間の言葉を理解しているようだった。確かにワイバーンは賢い魔獣ではあるが、人語を司るほどの頭の良さはない。その光景が少し不思議だった。
「だからね、あんなもの無くてもいいと思っているの。みんなが、私の居場所だから」
「あんなもの?」
チュリマーの黄金の目に、天賦の金色の髪が反射する。彼女はまた、遠いところを眺めた。
「私がすごく欲しかったもの。そう——」
「「故郷」」
術力車の中。
天賦はクッションに包まれていた。車内は揺れていて、他の仲間たちが運転席の方を見ながら話している。
「ほう。てっきり実物が欲しいのだと思っていた。」
「い、いや、どうしても欲しいというわけではないですけど、安心するじゃないですか」
どうやら、今は皆が欲しいものの話をしているようだ。天賦は起き上がり、"相棒"の鞘を撫でた。
「帰る場所があるっていいことだと思いません? 誰かが自分の帰りを待ってくれている、みたいな」
「意外とロマンチストだねェ」
「ファティはあちこち回ってるもんな」
天賦が起きたことにまだ気がついていないようだ。
天賦は車内を歩き、カルメの首を掴んだ。なんとなく、自分抜きで話しているのが寂しく感じたから。
「グエッ」
「あ、起きたんだな」
「おはよう、天賦!」
辺りの景色を見る。既にムーナ・ルイスの白い街は見えなかった。
「なんで起こしてくれなかったの」
「気持ちよさそうに寝てたので……」
「中々起きなかったんだよ」
出発前に起こしてほしかった。旅に出る瞬間はわくわくするし、遠くからのムーナ・ルイスも見たかったのに。
「ちゃんと起こしたぜェ。起きなかったのは嬢ちゃんだろ」
「むう」
「ごめんな、ほら、おやつでも食べるか?」
炎砲がクッキーのようなものを差し出してくる。天賦は黙ってそれを炎砲の手から口で抜き取った。
「あ、お行儀悪い」
「行儀とかねェだろ」
「俺も欲しいです。ください」
その言葉を聞いて、再生師が運転中のファティの口にたくさんの菓子を詰めた。何か文句を言っているようだが、もごもごと動くだけで何を言っているのか分からない。
天賦はチュリマーの夢のことを考えていたが、口にはしなかった。決定的な情報は出てこなかったし、今話しても仕方がない気がしたから。
天賦は特に意味もなく、彼女の名前を反芻していた。




