054
季節は進み、再び夏がやってきた。
藤村が仕事の都合上、なかなか身体が空かないという問題や、結納やら親戚への挨拶回りやらの細々と雑多な段取りをクリアし、大安吉日、梅雨明けの快晴の下、藤村家と青柳家の祝言は、つつがなく執り行われた。
「やれやれ。やっと重荷が下りたわ」
東京府の一等地に建つ藤村家の本宅から、人力車に乗って戻ってきたミドリの母は、五つ紋の留袖から普段着に着替え、仏壇に引き出物を供えていた。
そして、そのあと線香を上げて拝みつつ、亡き夫に報告を始める。
「誰かさんに似て、ミドリは理想主義で優しい子になったわ。ちょいと常識はずれで変わり者なところまで、そっくりよ」
そこまでは気丈に振舞っていたミドリの母だったが、ふと、誰も居ない部屋の広さが胸に迫り、目尻から一筋の涙が流れ落ちる。
「おや、変だね。ひと安心したら、涙が出てきたよ」
小袖の端で水滴を拭っていると、玄関先から、ガラス格子を叩く音とアオイの声が聞こえる。
「ごめんくださ~い! ミドリさんから、お届け物です!」
「はいはい。ちょいと待っておくれ」
感慨に耽る暇もないまま、ミドリの母は玄関先へと向かった。
*
「キクヨさんって言うんですね。名前に負けない、楚々とした貴婦人だ」
「よしなさい。三十過ぎた年増に、見え透いたお世辞を言うんじゃないよ」
ミドリの母ことキクヨは、ミドリに頼まれて黄色い夏菊の花束を持ってきたアオイを家に上げ、麦茶と、さきほどの引出物の干菓子でもって歓談している。
仏壇の灰立では、二本目の線香から細い煙がたなびいている。北欧生まれのエルフでも、多少の一般常識をわきまえているようだ。
「話を戻しますけど、そして誰もいなくなった、とでも思ってますか? 長生きすると、ひねびた命の終焉を見送ることになりますけど、その反面、それは新たな命の誕生に立ち会う前段階でもあるんです。去る者は追わず、来る者を拒まず。なすに任せましょう」
「あらあら。若いのに、達観したようなことを言うのね」
「エヘヘ。若いのは、見た目だけなんでね」
「あら、そう」
どうせ、自分を納得させるための他愛も無い嘘だろう、と、キクヨはアオイのカミングアウトを真に受けずにスルーすると、時計を見ながら言う。
「そろそろ汽車に乗らないと、今日中にお屋敷へ戻れなくなるんじゃなくて?」
「おっ、いけない! ついつい、話し込んじゃったみたいだ。それじゃあ、この辺で失礼します」
「はい。気を付けて帰んなさいね」
アオイとキクヨは立ち上がり、客間から玄関へと移動する。
「あのぅ。最後に、ひとつだけお願いしても良いですか?」
「何?」
「迷惑でなければ、時々、こうしてご機嫌伺いに来ようかなぁと思うんですけど、どうでしょう?」
「こんなオバサンの家に来たがるなんて、あんたも物好きね。勝手になさい」
「はぁい、お言葉に甘えて好きにします。じゃあ、また今度!」
最後にニッコリと満面の笑みを浮かべると、カランカランと鈴を鳴らしながら玄関の引き戸を閉め、アオイは駅へと駆けて行った。
「さて。もう使わない二階の掃除でもしようかね」
誰にともなく呟くと、キクヨは客間と居間を通り抜け、階段を上り始めた。




