執事さんのお嫁さん
もういくつ寝るとお正月……
やっぱり新年はコタツにみかんで紅白を見て、迎えたいもんですね。
いや、裏番組のバラエティも気にはなるんですけどね。我が家は毎年家族でコタツみかんで紅白派。なんとなく親世代と一緒だと、紅白って無難じゃないですか。
今年はどっちが勝つかなーなんて、パパと予想しあって、紅白が終わったらママがお蕎麦を用意してくれて三人でズズズッと豪快にすするわけですよ。その頃にはテレビの中ではどこぞの有名なお寺なんかで除夜の鐘が鳴っていてね。風情がありますよね。これぞ日本のお正月ってなもんですよ。
「ああ……お蕎麦食べたい……後乗せサクサク」
「オソバ?」
不思議なイントネーションで聞き返され、あたしの意識は現在地、ジュエル王国の宮殿のサロンに戻った。
おおっと。今日はセルジュさんのおじいさまにお呼ばれしてランチに来たんだった。
目の前にはナントカのナントカ風ナントカ……ああ、何一つ覚えてない。とにかく大きな白い綺麗なお皿の中央にちまっと綺麗な食べ物がある。ええと……なんだっけコレ。
そう、もうすぐ新年だというのに、あたしはまだジュエル王国に居る。
何でも重要な仕事があるらしく、セルジュさんが帰ろうとしないのだ。ならあたしだけ帰してくれたっていいのにさー。
「ああ、お蕎麦ですか。なるほど、日本では新年を迎える深夜に食べるのだとか……面白い趣向ですね。では用意させましょう」
セルジュさんのお兄さんのその言葉に思わず苦笑した。
って事は、ここで新年迎えるの確定じゃん。でもここ除夜の鐘無いじゃん。サ・お正月のお琴の曲も無いじゃん!そもそもコタツみかんできないじゃん!
でもそれを言ったらそれすらある程度聞き入れられそうなので、それはグッとこらえた。
「それも面白い。来年は新しい家族を迎える記念すべき年。ならばその国の風習も取り入れてみるべきじゃろう」
「あらあら。おじいさまったら少し気が早いですわよ」
おじいさんの言葉にセルジュさんのお姉さんがコロコロと上品に笑う。
だけどあたしは笑ってなどいられなかった。何か気になる言葉がありましたよね?
「あのぅ……来年から家族って、何の事ですか?」
すると全員の顔がこちらに向けられた。
美男美女の視線が集中する。なんだか居心地が悪い。
「えっ……もしかして、断るの?」
「何の事ですか?」
「セルジュとの本契約よ。私はてっきり……ねぇ?」
「そうそう。今試用期間じゃない?」
うん? 試用期間? 本契約? 一体何の事でしょう。
本気で意味が分からないという事がやっと皆に伝わったらしい。
「おばあさまの遺言の事は知っているね?」
「はぁ……ええと、最大株主である航空会社のフリー搭乗権と、パリのアパートメント、それと……セルジュさんを専属の執事にする事、ですよね?」
「なんだ。知ってるじゃない。そのセルジュの執事試用期間がもうすぐ終わるから、どうするのって話よ。てっきり、本契約を結ぶんだと……」
「えっ!? 今試用期間なんですか!?」
「そうよ。だってフリーの搭乗権利やアパートメントはともかく、専属執事ともなると人間対人間だもの。主従関係にあるとは言っても性格が合わなかったら一緒に居るのも辛いでしょう」
「――知らなかったの? だって書類にちゃんと……ねえ、ちゃんと読んだ?」
「読みましたよ! ちゃんと一文一文セルジュさんが説明してくれて……して、くれて……」
あたしは必死に思い出した。
そうそう、ちゃんと説明してくれて……優しそうに見えるんだけど冷たくて、家族の皆にも一歩引いたところから接してる気がして、家族仲がいいあたしにはそれが気になって……。
……うわの空じゃん!
「……聞いて、なかったかも……」
ランチの空気が一気に重くなる。
皆が顔を曇らせ、お互い顔を見合わせる。わー! いたたまれないよう! ごめんなさい!
「それは……断る可能性がある、という事かの?」
静かに聞くおじいさんの声が響き、皆シンと静まり返った。
だから……全員であたしの顔見るの止めてくださいよ……セルジュさんで美形にある程度耐性がついたとはいえ、これだけの数はさすがに緊張するんですよ!
今の話に驚きはしたけれど、でも答えは決まっている。
確かにあたしはまだまだセルジュさんの事は知らない。でも、知ってる事もある。それは、もうあたしの中ではセルジュさんの存在ってとても大きいって事。
実際、執事って考えるとどうしていいのか分からないのは変わらないけど、だからといって、あんな決意をして国を出た人を放ってなんておけない。
「セルジュさんさえ構わなければ、あたしはセルジュさんと一緒に居たいって思います。まだ執事がどうのとか分からないけど……ええと……でも、セルジュさんはどう思ってるのか分からないので……」
すると皆表情が明るくなった。わかりやすっ!
「セルジュは喜ぶわ! ええ、それは勿論!」
「そうだね。君に会ってからセルジュはとても人間らしくなった。我々はそれがとても嬉しい。君がそう答えてくれてとても嬉しいよ」
そ、そうか。それは良かった。なんだか恥ずかしいな。
そうだ。話題を変えてみよう。
「あの。皆さんにクリスマスプレゼントがあるんです」
傍で控えていたアリーさんが大きな紙袋を持ってきてくれた。
全く、この食事中に人がすぐ傍に控えているっていうシステムにはまだ慣れない。食事に集中出来ないんだよね。
「おお! 何だね?」
セルジュさんは兄弟が多いからちょっと大変かなって思ったんだけど、驚く程の放置っぷりにしっかり全員分作ってしまいましたよ!
「ひざ掛けなんです。皆さんのお名前の宝石にちなんで色を分けたんですよー」
「まあ! 素敵!」
男性陣はシンプルに。女性陣はレース編みの花をあしらって少しずつデザインを変えてみた。
皆それに気付いてお互い見せ合っている。ああ、皆さんに喜んでもらえて良かった!
「本当に器用なのね! セルジュにも同じ物を?」
「いえ。セルジュさんにはスヌードをプレゼントしたんですよ。でもアリーさんが皆さんにはスヌードでは無い方がいいんじゃないかって……確かに服の好みなんかでまた変わりますし――ん? どうしたんですか?」
なぜか皆さん固まってらっしゃる。
そして次の瞬間一斉にニッコリと笑った。――ん? 今のは何だろう?
「うふふふふー。来年早々から忙しくなりそうですわね!」
「本当に!」
分からん。セレブの思考は分からん。
まあ、喜んでもらったんで良しとしよう。デザートも出てきた事だしね!
さっさと思考を目の前のデザートに移した事を後で後悔したんだけど、その時はシャーベットが溶けてしまう事の方があたしには大事だったんだ。
だからね、聞き逃しちゃいけない言葉もきれいにスルーしちゃったんだよね……。
不思議な盛り上がりを見せた謎のランチの意味が分かったのは、氷と雪の祭典のメインイベント、カウントダウンの時だった。
メイン会場の凍った湖では、一晩中周りの木々がライトアップされ露店も賑わっている。氷と雪の彫刻のコンクール発表と、その後は中央の広場でダンスをするのだそうだ。
新年のカウントダウンが始まると、空を飛ぶヘリコプターから金色の包みが小さなパラシュートをつけて広場に落とされる。中身は宝石だったり、コインだったり、ただの飴玉だったり様々だ。
中身は何でも構わない。取った者は一年幸せに過ごせるという言い伝えがあるのだそうで、皆が楽しみにしているイベントだ。昔は何と周辺の木の上から投げていたのだという。
「ええっ! あたしも取りたい!」
「残念ながら王族は参加できないのです。お嬢さまは王族の招待客ですから、参加できないのですよ」
「えー!」
思わず口を尖らせるあたしをセルジュさんが笑った。
だってせっかくのお祭りなら参加したい! 出来なくても見たいじゃないか!
「勿論、見る事は出来ますよ。一緒に参りましょう。よい場所があるのです。私がプレゼントしたブローチをつけてくださいね」
「じゃあ、セルジュさんはあたしがプレゼントしたスヌードしてね」
「勿論でございます」
あたしがプレゼントしたスヌードに対して、セルジュさんからもらったのはあたしの誕生石のアクアマリンがついたイニシャルのブローチだった。一見しただけで高価だって分かる代物だったけど、セルジュさんの顔が真剣で、ついつい受け取ってしまった。
「左胸につけてくださいね」
「ん? ブローチってつける場所決まってたっけ?」
「ええ。この国では決まっているのですよ」
なるほど。郷に入れば郷に従えって言うもんね。
準備をして向かったのは、湖の会場を一望できる高台だった。
「わー! 綺麗! すごい良い景色!」
「この景色、気に入りましたか?」
「勿論! わー。誰もいないのが不思議なくらいの絶景だね!」
「ええ。私有地ですから。気に入ってくださって嬉しいですよ」
眼下では木々に装飾されたイルミネーションがキラキラ輝き、それに照らし出される人々の表情も明るい。
気温は氷点下なんだけど、踊ったり露店で食べ物を買ったりと皆思い思いに楽しい時間を送っている。でもその殆どがチラチラと空を見上ていた。
間もなく0時となり、空には金の贈り物をばら撒くヘリがやってくるのだ。
ちなみに、金の包みを巡って小競り合いが起こった場合は周囲を警戒している警官に包みを取り上げられてしまい、さらに一晩留置場に入れられるので喧嘩にはならないそうだ。
もう少しで手に出来るはずだった金の包みを取り上げられた上に新年早々留置場というのは皆避けたい。一年の始まりが悪すぎる。って事で、争いは起こらないらしい。
そんな事を考えていると、上空からパラパラとヘリの音が聞こえてきた。空からはいつの間にか雪が降っている。見上げる空は落ちてくる雪で視界が真っ白。音は聞こえるけれどヘリは見えない。このお天気でちゃんと広場に金の包みを落とせるんだろうか……そんな心配をしていると、空から金色に輝く光がひとつ、またひとつと落ちてきた。
風に揺られふわり、ふわりと方向を変えると広場のイルミネーションに照らされた金色の包みはキラリキラリと光る。広場全体にキラキラ光る金色の包みが降り注ぐ光景は圧巻だった。
「キレイ! キレイ!」
人々は皆空を見上げて包みに向けて手を上げている。
その中に金色の光が降り注ぐ。
その景色に見蕩れていたあたしの頭に、何かがコツンと当たった。
「イタッ」
何事かと振り返った先で、セルジュさんが何かを摘み上げていた。
「あっ!」
「風に飛ばされてこちらに流れて来たようです」
セルジュさんが摘まんでいるのは青いパラシュートだ。その先には金色の包みがぶら下がっている。
「はい。どうぞ」
「えっ? いいの?」
「ええ、勿論です。どうぞ」
いそいそと包みを開くと、中には薄紙の包みが入っている。それを更にカサカサと開くと、小さなコインが金と銀二枚入っていた。
「おおっ! コインだ! 金と銀二枚って、何か意味があるの?」
「ええ。金のコインは大切な人に渡すとその人の願いが叶う。そして、銀のコインは持っている人の願いを叶えると言われております」
「なら決まりだよ。これはセルジュさんに。セルジュさん、いっぱい大切な物を捨ててあたしのとこに来たんでしょ? 諦めた事もいっぱいあるはず」
金のコインはセルジュさんに渡す。
それをセルジュさんは驚いたように見ていた。
「銀をあたしが持ってる事で、おまじないの効果は二倍じゃない? あたしもセルジュさんの願いが叶うように祈るよ」
その時突然セルジュさんの腕が動いて気がついたら抱き締められていた。
「えっ!」
驚いて見上げると、降り続く雪が目に入って思わず目を閉じる。
すると唇にあたたかくて柔らかいものが触れた。
「!!!」
驚いたけど、嫌悪感は無い。むしろ嬉しさがあって、あたしはそのままセルジュさんの背中に腕を回した。
遠くで教会の鐘の音が聞こえる。
* * *
帰宅した私達を待っていたのは、なんと一番上のお兄さんであるジョルジュさんだった。
確か国王夫妻と共に国民に新年の挨拶をする為広場に居たんじゃ……。
「本契約の署名を見届ける必要があってね」
なんですと。そんなに大事なのか執事の本契約!
後ろではアリーさんとジェラールさんが正装で控えている。
ジョルジュさんの合図で、ジェラールさんが革の表紙の書類ケースを持って一歩前に出ると頁を開いた。
…………勿論文面は英語なんで一切分かりません。
なんで英語! あの時日本語だったのに!
「こちらにお嬢さまが。こちらにセルジュ様がお書きになってください。それとお名前の横に捺印を――」
「は、ハンコ? 持ってきてないですけど……」
「こちらにございます。こんな事もあろうかと、お持ちいたしております」
アリーさんが印鑑ケースをすっと差し出した。
あ……それは確かに私のです。中学の卒業式で全員に配られた物で間違いありません。くそう。こんな場面で必要になるなら、ちゃんとしたハンコ作っとくんだった!
その間に既にセルジュさんはサインも捺印も済ませてしまっていた。早っ!
「それにしても……これは二人ともサインするんですね。前は私だけがサインしたら良かったのに……」
「婚姻届だからね」
……ん? その言葉に思わず名前を書いてる途中でペンが止まる。
「今……何て言いました? ジョルジュさん……?」
「婚姻届」
「さ、お嬢さま。続きを書いてください」
「ちょ、ちょっと待ってください! 結婚? 執事の契約じゃあ……?」
「でも君達は既に婚約の贈り物も済ませたようだし……」
不思議な事を言いますね。一体いつですかそれは!
「この国では、男性は女性に永遠の愛を誓い、自分の宝石が入った相手のイニシャルのブローチを贈るのです。そして相手が自分の心臓の上にそれをつける事でその想いを受け入れるという返事になる」
なんですと! これ私の誕生石って意味じゃなかったのか! それに……左胸にするのがこの国のルールって……!
「対して女性は、男性の手綱を締めるという意味で、男性の首元を飾る物を贈るのだ」
そんなの贈ってな……ス ヌ ー ド !
あたしは思わずアリーさんを見た。するとアリーさんがすばやく目を逸らす。
そういう事か。そういう事なのか! だから指編みを勧めて、だから他の王族にはスヌードは駄目なのかー!! 道理で! 道理でジェラールさんのも本人たっての希望でひざ掛けに変更になったのか!
「あなたは私に金のコインをくださった。そして私の願いを叶える為に、ご自分では銀のコインを持つと――私の願いはただ一つ、あなたと共に生きたいという事です」
真剣な眼差しに、胸がきゅーーーんとした。
セルジュさんがあたしに近づき、手を取って……名前の続きを書いた。エ?
「アリー、朱肉!」
「はいっ!」
ポン! さっさとハンコを押された書類はすぐにジェラールさんの手によって閉じられる。ジェラールさんはそのまますばやい動きでまたジョルジュさんの後ろに下がった。
「えええええ!? こういうのって本人がサインしなきゃ意味ないでしょ! ね? ジョルジュさん!」
「お嬢様はペンから手をお離しにはなっていないではありませんか。私はただ、手を添えただけでございます」
「――あー、何かあったかね? 私はジェラールの背でよく見えなかったな」
うそーん!!
「兄上、新居の準備に入ろうと思います。あの土地は妻も気に入ったようで……」
「そうかそうか。それは良かった。お前の事だ。既に建築士との話も進んでいるのだろう?」
それに対してニッコリ笑うセルジュさん。ていうか妻って……妻って!! 照れる!
じゃなくて。土地って一体……?
「あの湖が一望できる高台、気に入ってくださったのでしょう? あそこは私も良いと思っていたのですよ。屋敷の大体のデザイン希望も既にあなたからはお聞きしておりますし……」
「えっ? えっ?」
あたふたする私をよそに、ジョルジュさんは書類を受け取るとさっさと帰ってしまった。
この国では貴族の結婚には王族の許可が必要なのだという。
後から見せられたお屋敷の完成予定図が、Mの形だったのには涙を流して笑ってしまった。
セルジュさんは東京のマンションがS字になっている事を指摘した事、覚えていたんだ。
強引に進めておきながら、今のセルジュさんは少し不安そうな目をしている。
あたしは初めて会った時の孤独なセルジュさんを思い出した。
今のセルジュさんはあの時とは全然違う。
だからあたしはセルジュさんにちゃんと自分の言葉で返事をした。
「これからもよろしくね。旦那さま」
こうしてあたしは、執事さんのお嫁さんになった。
読んでくださり、ありがとうございましたm(__)m