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第二章 名前をくれた少女

 少女はまだ両手を下ろさなかった。

 銃口が地面に向けられたあとも、その視線は銃から離れなかった。

 機械兵は少女の視線を追い、銃を自分の脇に置いた。そして、両手を銃から離し、何も持っていないことを見せた。

 少女はしばらく待ってから、ようやく腕を下ろした。

 座った姿勢から膝立ちになり、岩の裂け目の入口に倒れている籠へ手を伸ばす。

 植物の根が一本、金属の足の下に挟まっていた。

 機械兵は足をどけた。

「……ありがとう」

 少女は散らばった薬草を急いで拾い集めた。

 根に土がついたものもあれば、葉がちぎれてしまったものもあった。それでも、一つ残らず籠へ戻していく。

 機械兵は足元に落ちていた一本を拾い上げた。

 茎が途中で折れ曲がっている。

 差し出された金属の手を見て、少女の動きが止まった。

「これも拾うのか」

 少女はその手の中にある薬草を見つめ、それからうなずいた。

「おばさんが、根っこを使うって。下の方はまだ大丈夫だから」

 機械兵は薬草を籠に入れた。

 少女は傷んだ葉を脇へ寄せ、根の部分を布の下にしまった。

 小さな手はまだ震えていたが、時間をかけて丁寧に整えていった。

 うつむいた拍子に、結んでいた濃い桃色の髪がほどけ、ひと房が頬にかかった。

 少女は手の甲で髪を払いのけた。そのせいで、こめかみのあたりに土の跡が残った。

 年齢は十四歳ほどに見えた。

「けがをしたのか」

 機械兵は、少女が片方の足に体重をかけようとしないことに気づいて尋ねた。

 少女は自分の足首を見下ろした。

「ちょっとつまずいただけ」

 そばの枝につかまりながら立ち上がり、身体を支えられることを確かめてから、そっと手を離した。

「……もう帰るね」

 機械兵は岩の裂け目の入口から身体をずらし、道を空けた。

 少女は二歩ほど後ずさってから背を向け、小川に沿って歩き始めた。

 それでも、金属の動く音がするたびに振り返っていた。

 機械兵は銃を拾い上げた。

 そのとき、機体の内部で短い信号音が鳴った。

 手が止まる。

 主要通信システムは、まだ切断されたままだった。

 しかし、別の装置が外部からの探索信号に応答していた。

 肩の装甲の下にある、予備の位置発信装置だった。

 機械兵は装甲板の縁に指を差し入れ、小さなカバーを取り外した。

 二本の配線の間で、指の関節ほどの大きさの部品が点滅していた。

 それを引きちぎり、握りつぶした。

 乾いた破砕音が手のひらの中で鳴った。

 光が消えた。

 少女は足を止め、金属の手からこぼれ落ちた破片を見つめた。

「今の、何?」

 機械兵は小川の向こうに広がる木立へ顔を向けた。

「近くに、ほかの部隊がいる」

 少女は籠の持ち手を強く握った。

「あなたの仲間?」

 機械兵はすぐには答えなかった。

 前方から、重い足音が聞こえてきた。

「木の陰に隠れろ」

 少女はまだ機械兵を見ていた。

 機械兵は彼女に近づき、声を落とした。

「早く」

 少女は土手のそばにある木まで後ずさった。

 機械兵も少し離れた位置に立ち、銃を構えた。

 対岸の枝が押しのけられた。

 二体の機械兵が斜面を下りてきた。

 どちらも胸部と上腕に厚い装甲をまとっている。

 一体は銃を持ち、もう一体の肩には通信装置が取りつけられていた。

 青い眼が少女を捉え、それから目の前の機械兵で止まった。

「逃亡ユニット、D95-2を発見」

 銃を持った機械兵が告げた。

 もう一体がわずかに頭を傾ける。

 肩の通信装置が点滅し始めた。

「同行する人間一名を確認。排除を承認――」

 バンッ!

 通信装置が砕け散った。

 D95-2は少女の腕をつかみ、木の根の陰へ引き倒した。

 直後、最初の銃撃が少女の頭のあった場所をなぎ払った。

 砕けた樹皮が髪や肩に降りかかる。

「ここにいろ」

 D95-2は少女の腕を離し、横へ飛び出した。

 敵の銃口がその動きを追った。

 弾丸が地面を一直線にえぐり、跳ねた破片の一つがD95-2の上腕装甲に命中した。

 それでも速度は落ちなかった。

 D95-2は小川の中央にある岩を踏み、勢いよく対岸へ跳んだ。

 先頭の機械兵が銃を向け直そうとした瞬間、金属の手が銃身を叩き下ろした。

 二発の銃声が続けて響いた。

 弾丸が水面に突き刺さる。

 D95-2は相手の脚の側面へ膝を打ち込んだ。

 関節が不自然な方向に折れ曲がり、機械兵の身体が崩れ落ちる。

 D95-2は銃を持つ腕をつかんでねじり上げ、肩から体当たりして、その機体を後方のもう一体へ押しつけた。

 後ろの機械兵が発砲した。

 弾丸が味方の背中を貫いた。

 D95-2は盾にしていた機体を突き放し、その肩越しに銃を構えた。

 発砲。

 弾丸は後方の機械兵の顎の下にある継ぎ目へ命中した。

 頭部が跳ね上がり、内部の機構から途切れたような異音が漏れた。

 機体はそのまま川岸の岩に倒れ込んだ。

 脚を破壊された一体目は、なおも銃を持ち上げようとしていた。

 カチリ、とD95-2の手首から音がした。

 短い刃が前腕に沿ってせり出した。

 D95-2は相手の銃を押さえ込み、首元の装甲の隙間へ刃を突き立てた。

 暴れていた腕が止まった。

 残ったのは、岩の間を流れる水の音だけだった。

 D95-2は刃を引き抜き、前腕の内部へ収納した。

 そして、地面に散らばった通信装置の残骸を確認した。

 位置情報の送信は、まだ完了していなかった。

 D95-2は倒れた機械兵の銃から、使用可能な弾倉を一つ取り外した。

 それを腰の収納部に収め、少女の方へ振り返った。

 少女はまだ木の陰にうずくまり、両手で耳を強く塞いでいた。

「もう出てきていい」

 少女はゆっくりと顔を上げた。

 対岸に倒れている二体の金属の身体へ視線を向け、それからD95-2の腕に残る弾痕を見た。

「あなた……」

 言葉はそこで途切れた。

 機械兵が小川を渡り、目の前まで戻ってきたからだった。

 D95-2は、吹き飛ばされていた籠を拾い、少女に差し出した。

「ほかの部隊が調べに来る可能性がある。ここを離れなければならない」

 少女は籠を受け取った。

 それでも、傷のついた腕を見つめていた。

「腕、撃たれたよね」

 機械兵は指を動かしてみせた。

「まだ使える」

 少女は少しの間黙っていた。

 それから、帰ろうとしていた方角の森を見た。

「……隠れられる場所を知ってる」


 少女が案内する道には、ほとんど人の通った跡がなかった。

 柔らかい地面を避け、石や木の根を踏んで進んでいく。

 低く垂れ下がった枝の下をくぐらなければならない場所もあった。

 機械兵は少し距離を置いて後ろを歩き、背後から聞こえる音に注意を払っていた。

 小川から十分に離れた頃、少女の歩みが遅くなり始めた。

 立ち止まるたびに、片手で足首を押さえている。

「私が運ぶこともできる」

 少女はすぐに振り返った。

 機械兵はその場に立ったままで、手を伸ばそうとはしなかった。

 少女はもう一度前方の道を見てから、小さくうなずいた。

 機械兵は膝をつき、少女が背中に乗れるようにした。

 小さな手が、肩の装甲の縁を慎重につかむ。

 籠は肘にかけていた。

 機械兵が立ち上がると、少女は思わず強くしがみついた。

 指の関節が白くなるほどだった。

「あの折れた木までまっすぐ」少女が言った。「それから左」

 機械兵は指示された道を進んだ。

 少女の目の前にある装甲の内側から、低いうなりのような音が規則正しく聞こえていた。

 彼女は肩に残る擦り傷を見下ろし、少しずつ指の力を緩めた。

 さらにしばらく進んだところで、少女は弾痕のない方の肩を指先で叩いた。

「ちょっと、頭を下げて」

 機械兵は頭を下げた。

「身体も。私が引っかかっちゃう」

 機械兵はさらに膝を曲げた。

 おかげで、少女は髪を枝に引っかけずに通り抜けることができた。

 彼女は小さく息をつき、籠に入り込んだ葉を取り除いた。

 次の枝では、少女が何か言うより先に、機械兵が身をかがめた。


 入口は、茂みに覆われた土の斜面の下に隠されていた。

 少女は機械兵の背中から下りると、枝をかき分け、石板の下にある何かを押した。

 隙間に小さな光が灯った。

 続いて、金属製の扉が内側から開いた。

 銃を持った男が顔を出した。

「ミリア! どこに行ってたんだ。あれほど言っただろうが――」

 男は言葉を止めた。

 すぐさま銃を持ち上げる。

「そいつから離れろ!」

 ミリアはびくりと肩を震わせたが、慌てて両腕を広げ、機械兵の前に立った。

「待って! この人が助けてくれたの!」

「こっちへ来い!」

 地下から足音が響き、武装した男たちが次々と入口へ上がってきた。

 一人は左の頬に大きな傷跡があり、もう一人は上腕に赤い布を巻いていた。

 すべての銃口が、同じ方向へ向けられた。

 機械兵はゆっくりと銃を地面に置き、一歩後ろへ下がった。

「彼女を送り届けただけだ」

 頬に傷跡のある男が、機械兵の装甲に刻まれた識別番号を見た。

「殺戮用の機械兵……」

 男は振り返り、ミリアの腕をつかもうとした。

 しかし、彼女は身を引いて避けた。

「こいつらが俺たちの街を襲ったんだぞ! 見ればわかるだろう!」

「ほかに二体いたの。私を殺そうとしたけど、この人が倒してくれたんだよ」

 ミリアは早口になりながら、入口に立つ男たちの顔を順番に見た。

「誰も傷つけたりしないよ。少しだけ中に入れてあげよう? 外にはまだあいつらが――」

「もし、もうここの位置を送信していたらどうする?」

 頬に傷跡のある男が一歩近づいた。

「下にいる連中の命まで、お前が責任を取れるのか」

 ミリアは機械兵を振り返った。

「追跡するための装置は壊したよ。私、この目で見たもの」

「お前はそいつの何を知ってるんだ」

 少女は口を開いた。

 しかし、何も答えられなかった。

 そのとき、白髪の女が武装した男たちの間を押し分けて出てきた。

 ミリアの姿を見つけると、すぐに手を差し伸べた。

「ミリア、まずこっちへおいで」

 少女は差し出された手を見つめた。

 機械兵は道を空けるように身体をずらした。

「中へ入るといい」

 ミリアは振り返った。

「でも、あなたは……」

「私はここを離れる」

 白髪の女がもう一歩近づこうとしたが、頬に傷跡のある男が腕を伸ばして制した。

「娘だけだ」

 ミリアは手の中の籠を見下ろした。

 押しつぶされて葉が傷んだ薬草。

 朝から探し回って集めた植物の根には、まだ湿った土がついていた。

 少女は籠を白髪の女に差し出した。

「……これしか採れなかった」

 女は籠を受け取ると、急いでミリアの手首をつかんだ。

「お前も早く入りなさい」

 ミリアは女の肩越しに、地下へ続く入口を見た。

 下からは明かりが漏れていた。

 誰かの咳き込む声と、煮炊きをする匂いが漂ってくる。

 自分の毛布をどこに置いたかも覚えている。

 いつも寝ていた、あの小さな場所も。

 ミリアは唇をきゅっと結んだ。

「……入口にいるだけでも、だめ?」

 頬に傷跡のある男が、銃床を扉の縁に叩きつけた。

「何度言わせる!」

 ミリアはびくりとした。

 それでも、その場を離れなかった。

「だって、この人が助けてくれたのに……」

「そいつと一緒にいたいなら、ここから出ていけ」

「この子はまだ子供だよ!」

 白髪の女が男に食ってかかった。

「下にだって子供がいるんだ!」

 怒鳴り声が響き、入口にいた者たちは静まり返った。

 ミリアは、白髪の女につかまれていた手をゆっくりと引き抜いた。

 機械兵の方へ向き直る。

 しかし、二歩進んだところで足首が痛み、それ以上歩けなくなった。

 機械兵は銃を拾い上げ、少女のそばに膝をついた。

「彼らが落ち着いたら、またここへ連れて戻ることもできる」

 ミリアは首を横に振った。

 涙が頬の土汚れを伝い始めていた。

「……もう行こう」

 背後では誰かが言い争いを止めようとしていた。

 続いて、金属製の扉を引き下ろす音がした。

 入口が完全に閉まる直前、白髪の女が小さな布包みを投げてよこした。

 それはミリアの足元に落ちた。

「持っておいき!」

 少女はかがんで拾った。

 中には乾いたパンと水袋が入っていた。

 もう一度顔を上げたときには、扉は閉まっていた。


 機械兵はミリアを連れ、土の斜面から離れていった。

 茂みを抜けた頃、少女は声を押し殺すこともできなくなり、泣き始めた。

 肩の装甲をつかむ手に、何度も力がこもる。

 機械兵は大きな木の下で立ち止まった。

「下ろした方がいいか」

 ミリアは首を横に振った。

 顔は金属の背中に伏せたままだった。

 機械兵は再び歩き始めた。

 しばらくすると泣き声は小さくなり、耳元には時折しゃくり上げる息だけが聞こえるようになった。

「……ただ、帰って寝たかっただけなのに」

 少女はかすかな声で言った。

 機械兵は、暗くなり始めた周囲の森を見渡した。

「休める場所を探そう」


 その夜、二人が身を寄せたのは、岩壁の下にある浅いくぼみだった。

 機械兵は入口を塞いでいた枝をどけ、地面に乾いた葉を敷いた。

 さらに、古い通信塔の残骸のそばで見つけた金属板を片側に立てかけ、風よけにした。

 ミリアは奥で布包みを抱えて座っていた。

 彼女はパンを取り出して二つに割り、その一つを機械兵に差し出した。

 機械兵は少女の手の中にある食べ物を見た。

「私には食事は必要ない」

「あ……そっか」

 ミリアは手を引っ込め、割ったパンを丁寧に布包みへ戻した。

 残った一切れをゆっくりと食べ終えると、膝の上に落ちたパンくずも指先で拾い、口に入れた。

 機械兵は岩陰の入口に立ち、森の方を向いていた。

 ミリアは敷き詰められた葉の上に横になった。

 しかし、しばらくするとまた起き上がった。

「……どこか行っちゃう?」

「私はここにいる」

 少女はうなずき、枕代わりの布包みを置き直した。

 近くの草むらから虫の声が聞こえてくる。

 夜風が冷たくなり始めた。

 ミリアは袖を引っ張って手を隠し、もう一度入口に立つ金属の影を見た。

「さっき、あいつらはあなたのこと、何て呼んでたっけ?」

「D95-2」

 少女は繰り返そうとしたが、途中でやめた。

「ディー、きゅうじゅうご……」

 彼女は少し考えてから尋ねた。

「別の呼び方をしてもいい?」

 機械兵が振り返った。

「私の識別番号はD95-2だ」

「それはわかったけど、助けてほしいときに呼ぶには長すぎるよ」

「末尾の数字だけで呼んでもいい」

「二?」

 機械兵はうなずいた。

 ミリアはしばらくその顔を見つめていたが、ふっと小さく笑った。

 泣いたあとのせいで、まだ少し鼻にかかった声だった。

「二なんて呼ばないよ」

 少女はしばらく黙り、膝の上で布のほつれた端を指でもてあそんだ。

「……エト、ってどう?」

 機械兵は少女を見た。

「それは私のことか」

「うん」

 ミリアは布包みを少し高く置き直してから、試すように呼んだ。

「エト」

「聞こえている」

 少女の口元が、わずかに緩んだ。

「ちょっと呼んでみただけ」

 機械兵はしばらく動かなかった。

 やがて、再び森の方へ顔を向けた。

 ミリアはゆっくりと横になった。

 目を閉じると、あの入口が閉まっていく光景がまた浮かんできた。

 金属の扉が閉じる音が、まだ耳に残っている。

 小さな手が服の裾を強く握った。

「……エト」

 入口に立つ機械兵が、すぐに振り返った。

「ここにいる」

 ミリアは目を開けた。

 二つの青い光は、さっきと同じ場所にあった。

 少女はその光を見つめていた。

 やがて呼吸が少しずつ落ち着き、再び目を閉じた。

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