第9話「召喚士でない人間は無力」
「……凄く感動しました」
「そう言ってもらえて、精霊たちも喜んでる」
やっと目が合うと、私たちの間には自然に笑みが溢れてきた。
こうして普通に会話できるのに、緊張が走っただけで、こうもすれ違ってしまうのが可笑しかった。
「本当は、もっと長い時間お話をしてみたかったのですが……」
「今日は、年に一度のミスティル・ウェイだから世間も騒がしいよね」
風通しのいい広場から少しずつ活気が失われていき、もうすぐで子どもたちが家に帰る時間が訪れる。
夜の来訪は人間に、精霊たちとの交渉の始まりを教えてくれる。
「宿は、お決まりですか?」
「私はねー、ふっかふっかのお布団が欲しいなぁ」
「シャロット、贅沢はダメ」
時計の針が進むたびに、もどかしさが胸を締めつけてくる。
それは彼女との別れが迫っているからなのか、年に一度のミスティル・ウェイが迫っているからなのか判断できなくなるほど、心臓の音がうるさくて仕方がない。
「では、ふっかふかのお布団のあるお宿にご案内しま……」
「カレット!」
誰もが振り返ってしまうくらい大きな声で、私は自身の名前を呼ばれた。
「ブリストさん?」
声の主は、私の知り合い。
五十代前半のブリストさんの編み込まれた茶色の髪の毛が乱れ、ストライプ柄のエプロンには調理と中途思われるくらい粉の跡が残っていた。
「一体、どうし……」
でも、こんな悲痛そうな知り合いの声を、私は聞いたことがない。
「ダ、ダガックさんのむ、息子が……モ、モンスターに……」
呼吸が乱れ、肩が上下に動いている様子から相当急いで広場まで来たことが分かる。
「ブリストさん、落ち着いて話を聞かせてください」
「っ、あ……」
私は物心つく頃からは、この町の人々に可愛がられながら育ってきた。
一部の子どもたちからいじめられているのも本当だけど、多くの人たちから優しくしてもらっていることも本当のことだった。
「海に……海にね……」
そんな、私を可愛がってくれたブリストさんに、いつもの朗らかな笑みが存在しないことに焦りが生まれる。
でも、私が取り乱している場合じゃないと、専門職社の職員らしい真摯な表情を作り込む。
「海に引きずり込まれて、それで、水の専門職社の人たちが助けてくれたんだけど……」
「助かったんですね?」
「ああ、だけど、そのモンスターっていうのが……えっと、水属性って言うのかい? それで、水の専門職社の人たちだけではどうにもできなくて……」
精霊に属性があるように、モンスターにも属性というものがある。
水や土をかけると火が消えてしまうという現象と同じく、水属性と地属性は炎属性に強い。
水が電気を通してしまうことから、水属性は雷属性には弱い。
「水属性同士で、拮抗してるってことですね」
「はぁ……はぁ、ああ……」
水属性と水属性がぶつかりあったところで、モンスターを退くための有効な手段は生まれない。
モンスターも人間を退くことはできず、人間も人間でモンスターを討伐することができない危険な状況ということ。
「それで、昼間、水中ショーを見せてくれた精霊使いさんが、雷の精霊と契約してないかって話に……」
「ブリストさん!」
ブリストさんは用件を言い終わると、その場にしゃがみ込んでしまった。
私はブリストさんの呼吸を落ち着かせようと、ゆっくりと背中を擦る。
「私は雷属性の精霊とは契約していなくて……」
精霊使いさんは顔を伏せる。
「そうかい……いや、気にしないでくれ」
もちろんブリストさんも怒りの言葉を口にすることはなく、この場には息が詰まるような沈黙が漂う。
「雷の専門職社に依頼はしてあるから、心配はないんだよ。はぁ、はぁ、変に気を遣わせてしまってすまないね……」
ブリストさんはモンスターへの恐怖を抱えながらも、なんとか笑顔を作って返事をくれる。
心では物凄く大きな不安に襲われているのに、私と精霊使いさんを心配させないように笑顔を振りまくのがブリストさんという女性。
「この町には、確か……雷属性の精霊の残留思念が彷徨っていましたよね」
「カレット! そいつと関わることだけは駄目だよ!」
「雷の専門職社の人たちが着くまで、まだ時間がかかります」
モンスターは水の専門職社で押さえ込んでいるだろうから、町に被害は出ないはず。
でも、手段があるのなら動きたいと思った。
「私が、残留思念と交渉してきます」
残留思念とは、精霊の世界に帰れずに人間の世界に残っている精霊のこと。
人間界に残っている理由は様々と言われていて、人間に復讐するため。契約者の死を受け入れられずに彷徨っている。
理由はどれにしても、心に傷を負っている精霊がほとんどで契約は困難だと言われているのが、残留思念と呼ばれている精霊たち。
「今日は、あんたにとって大切な日なんだ。だったら、待つって選択を選ぶのも、大事なこと……」
「私だって、水の専門職社で長年雑用を担ってきましたから!」
自分がまったく役に立たないときと、もしかすると役に立てるかもしれないっていう可能性を見極める目は養ってきた。
それをブリストさんに伝えるために、私は自分の言葉にしっかりと力を込める。
「カレット! ここで怪我なんてしたら、精霊との契約を来年まで待つことになるんだよ!」
「怪我をしそうになったら、一目散に逃げます」
「プロの精霊使いに任せなさい、カレット」
ブリストさんは、私のことを心の底から心配してくれている。
何年も精霊との契約に失敗している落ちこぼれのことも心配してくれるなんて、大きすぎる幸福に恵まれて涙腺が緩みそうになる。
もちろん感じている幸福感を理由に、行動していいときと行動してはいけないときがある。それを理解しても、私は待つだけという選択肢を選ぶことができなかった。
「危険なことはしません! 危ないと思ったら、絶対に引き返しますから!」
もしも危険な何かに遭遇したとき、私が残留思念精霊から逃げられるわけがない。
ブリストさんが、そう思っているのも事実だと思う。
(でも、このまま何もしないでいるのは嫌……!)
子どもたちからいじめを受けているのは事実でも、多くの人たちに愛されてきたからこそ、今の私は別の世界から命を繋ぐことができた。
私に優しさをくれた人たちが苦しんでいる顔を見続けるなんて、私には耐えられそうにもない。
「……私が、残留思念の精霊と交渉してきます」
私が動き出す前に、精霊使いさんが自ら名乗り出た。
初めて来た町のために、自らの命を差し出すような行動をとってくれた。
「目、丸くしすぎ」
「え、だって、たまたま寄りかかった町のために動いてくれるなんて……」
私が目を丸くして驚くのも当然。
残留思念精霊と契約の交渉をするのは、それだけ危険が伴うことだから。
「やめておきな! 怪我をさせるわけにはいかな……」
「大丈夫です、私は精霊使いですから」
彼女は、ブリストさんを安心させるために。
自分の仕事に誇りを持っているような、芯のある声をブリストさんに向けた。
「私に案内させてください!」
「カレット!」
「雷の専門職社が到着するまで……それまでの間だけです! 交渉に行ってきます!」
雷の専門職社が到着するまでの数十分間を精いっぱい活かすため、私は精霊使いの彼女の手を引いて広場を後にした。




