第1話「私を笑顔にする言葉」
「普段は、近くの森にある石碑で眠っているはずです」
「道案内、ありがとう」
「そんなに遠くないですけど、走りましょう」
陽が沈みかける直前ということもあって、近くの森は昼間とは違う不気味さをまとっていた。
まるで呼吸するように木々がざわめき、枝や葉の向こう側には何かが潜んでいるのではないかと警戒してしまう。
風が森の中を駆け抜けるたびに、囁くよう声が聞こえてくるような錯覚に襲われる。
「無理矢理連れてきてしまって、申し訳ございません」
「命を救いたいのは、私も同じ」
「……ありがとうございます」
遠くで鳥が鳴き、近づいてくる夜の静けさを一瞬だけ破ってくれる。
まだ時間があることを知らせてくれているのかもしれないし、もうすぐ夜が迫っているという警告かもしれない。
どちらにしたって、元仲間の鳴き声は体に緊張をもたらすには十分な効果を仕掛けてくる。
「これは、私の覚悟の押しつけでしかないのですが……」
「何?」
「私にも、守らせてください」
もしも何かがあったら、精霊使いさんのことは絶対に守る。
何も力のない自分だけれど、精霊使いさんのことは絶対に守る。守ってみせる。
でも、こんな根拠のない自信をぶつけられても、きっと彼女は困惑してしまうのだと思う。
「精霊使いではない私に、価値がないことは承知しているのですが……」
今日初めて出逢った精霊使いさんを守ろうという誓い。
笑われてしまうって分かっているけど、馬鹿にされてしまうって分かっているけれど、私はそれだけの覚悟を持っているってことを彼女に伝えたかった。
「力のない私にも、守りたいものがあるので」
横切っていく冷たい風に言葉を乗せて、私は後方にいる彼女に気持ちを届ける。
足元の枯れ葉を踏み締める音が二人分、静寂の中に響き渡る。
「…………いい」
「ごめんなさい! もう一回」
走りながら喋るって、なかなか難しい。
もっと年齢が若いときにやった鬼ごっこは、息を切らすことなく会話ができていたような気がするのに。
そんなに自分は体力がなくなってしまったのかなって、がっかりしながら彼女の言葉が鼓膜に届くよう耳を澄ませる。
「潔くて、いいと思う」
控えめな喋りをする人だったけれど、このときだけは今までで一番大きな声を出してくれた。
「かっこいい」
走りながら後ろの方を振り返るって危ないとは思ったけれど、後ろを振り返りたくなるくらいの褒め言葉が飛んできたから振り返った。
「前、見ないと転ぶ」
「嬉しくて」
木々の間を進むたびに、夜風へと変わっていくのを感じられるほどの冷たさが頬を撫でて怖くなる。
でも、彼女と一緒なら、どんなことだって乗り越えられるような自信も生まれてくる。
「かっこいい精霊使いに、ずっと憧れていたんです」
危機が迫った状況。
最悪が迫っている状況。
かもしれないけれど、そうじゃないかもしれないって気持ちも強い。
「あの!」
「何?」
私たちが住んでいる世界には、精霊使いがいる。
無敵で素敵な精霊使いたちが、世界を良くするために活躍している世界だから。
だから、大丈夫な気がするのかもしれない。
「私、できる気がします!」
どの口がものを言う。
大好きなピアからも、親方からも、先輩精霊使いからも注意されそうな、根拠のない自信が生まれてくる。
次から次に生まれてくる自信が、私の言葉を先へ先へと促してくれる。
「私、あなたと一緒なら、なんでもできる気がするんです」
彼女は笑ってくれた。
馬鹿にした笑みっていうのもあるかもしれないけど、彼女が笑ってくれたのは本当のこと。
だから、私の心は喜んで、素直に喜びを受け止めることで、私は新しい自信を手に入れた。
「ここが?」
「はい、そうです」
たとえ長距離でなくとも、多少は広場から離れた場所まで私たちは走って来た。
一分でも一秒でも早く目的の場所に辿り着こうとした私たちの息は絶え絶えとしていて、なんだかちょっと情けない恰好。
「精霊使いって、体力なくてもなれますか……」
「戦闘に特化した精霊使いを目指していなければ、多分……」
心臓の鼓動が耳に響くのを感じられるほどの静寂さに包まれながら、私たちは残留思念の精霊が居残る場所へと辿り着いた。
「si leburaveluta」
彼女が精霊との契約呪文を唱えると、再び太陽が昇って来たのではないかと勘違いさせるほどの眩い光が私たちを包み込む。
「陽精霊の準備。シャロットは水属性で相性が悪いから」
「えっと……陽属性なら、感電の心配がありませんね」
彼女の陽精霊は、小さな小さな光の球体のような外見。
精霊はパートナーが望む外見に成長していくと言われていて、親方が契約しているピアは黒猫のような外見。
精霊使いさんのパートナーであるシャロットさんは、物語の登場するような妖精のような見た目。人の数だけ、精霊の外見も様々ということを彼女は教えてくれる。
「やっぱり戦うんですよね?」
これから私たちが対峙する相手は、なんらかしらの事情で人間界に居残っている精霊。
特別な事情を抱えている精霊が、人間の話を聞いてくれる可能性はゼロに等しいと聞いている。
「それは、最悪の場合」
残留思念と呼ばれている精霊が話すら聞いてくれない場合は、命を懸けるような戦いを強いられる場合もある。
生身の人間が精霊と戦うことはできないため、精霊使いさんはパートナーの精霊を召喚して戦闘準備を整える。
「私は、あなたを守ることを優先する」
「ごめんなさい……」
「謝らない。あなたのことを悪いとは、誰も思わないから」
「…………ありがとうございます」
私も[[rb:専門職社 > オリエル]]で働くという経験があるから、誰かを守りながらの戦闘が難しいことは理解している。
自分が彼女の負担になっていると気づいたからこそ謝罪をしたのだけれど、精霊使いさんは守る力を持っていない私のことを否定しない。
「話をして駄目なら、一緒に逃げよう」
「一緒に……」
精霊使いさんの声を受けて、息を呑んだ。
緊迫感が高まり、心臓が壊れそうなくらい速度を速めて動いていく。
「それが無理なら、私が囮になって時間を稼ぐときもあるかもしれない」
精霊使いさんの眼差しは真剣そのもの。
「私は、戦闘に特化した精霊使いじゃないから……」
精霊使いという職業に誇りを持っている人の瞳をしている。
私が大好きな先輩精霊使いのみなさんと、同じ瞳をしている。
「でも、最悪の事態が訪れたとしても、必ずあなたの後を追いかける。逃げるって選択を選ぶようにする」
残留思念の精霊と戦うことに、恐れの感情を抱いている様子は微塵も感じない。
精霊使いさんは精霊使いとして、起きている物事に対して何を優先して対処するべきかを考えてくれている。何が一番の幸福に繋がるか考えてくれている。
「だから、確実に森を脱出する方向へ私を導いて」
「……はい! お任せください」
私にできることは、帰り道で走ることができるように怪我をしないこと。
私にできることは、帰り道で迷子にならないようにいつも歩く道を頭に叩き込むこと。もうすぐで空に姿を見せる月の明かりと星の明かりを頼りに、森に覆いかぶさる暗闇に屈することなく脱出するための経路を頭に思い描く。




