第8話「傷は放っておくと深くなる」
「…………」
私のことなんて眼中にも入っていないからこそ、声をかけることを躊躇ってしまう。
身体を休めたいときに話しかけられるって迷惑以外の何物でもなにかもしれないけど、私には悩んでいる暇も躊躇っている暇もない。勝手な事情を押しつけるために、私は長椅子から立ち上がった。
(勇気を出さなければ、何も始まらない)
もうすぐで夜が訪れる時間帯。
今夜は、年に一度精霊と契約を交わすことができるミスティル・ウェイ。
落ち込むように下がってきた肩をしっかり支え、私は精霊使いさんの元へと進んでいった。
「あの!」
記念すべき第一声は、あまりにもありきたりの言葉だった。
「これ、さっきのショーのお礼です」
二言目も、たいして印象に残らないような言葉しか出てこない。
そんな言葉しか出てこない自分に、誰よりも自身が一番がっかりしている。
「素敵なものを見せてくださり、ありがとうございました!」
益々肩を落としそうになるけれど、自分の感謝の気持ちを込めたお金を精霊使いさんに差し出すために手を伸ばした。精いっぱい。一生懸命に。
「素敵な世界を、本当にありがとうございました」
やっと会えた精霊使いさんに感謝の気持ちを伝え終わると、そのタイミングを見計らったかのように次の展開が訪れてしまった。
「カレットの髪、変なのー」
突然どこかから私に向かって、いくつかの小石が投げつけられる。
「っ……」
「真っ白な髪なんて、気持ち悪っ」
犯人は探すまでもなく、近所に住む子どもたちだと私は知っている。
異世界から来た人は珍しくないけれど、元白い小鳥だった私の髪色を気味悪がる子どもたちはとても多い。
(私が、精霊使いだったら、この白も認めてもらえたのかな……)
子どもたちは用意した石を投げつけ終わると、気持ち悪いという言葉を残して去って行く。
「すみません、巻き込んでしまって!」
これが、私にとっての日常。
でも、戦禍を生きた頃と比べれば、こんなのは痛みのうちに入らない。
些細ないじめなんて、いとも簡単に乗り越えられる。
「私以外には、とても優しくできる子どもたちなんですけど……」
人に石を投げつけてはいけないということを理解しているらしく、子どもたちは巧みなコントロールで私だけを狙ってくる。
街を訪れた精霊使いさんに危害を加えてはいけないという配慮は感じられたけれど、精霊使いさんに石が当たらなかったとも限らない。
「石、当たりませんでしたか? もし怪我をされたなら、手当てを……」
精霊使いさんに、腕を引かれる。
「え、あの」
「座って」
「え」
精霊使いさんに案内された場所は、先程まで私が飽きるほどお世話になっていた長椅子。
「精霊の力で治せるから」
「え、あ」
有無を言わせることなく、私を長椅子に座らせる精霊使いさん。
召喚した風精霊さんは絵本の中に登場する妖精のような容姿をしていて、石を当てられた箇所に風精霊さんが触れるか触れないかの加減で私の痛みを拭い去っていく。
「すみません……」
私の傷を治していくまでの流れが完璧すぎて、あ、この方は旅慣れしている方なんだと一目で分かった。
旅の途中で怪我をしたとき、どうしたらいいのかという対処方法を知っている方なんだと思った。
「精霊の力で治療できると聞いてはいたのですけど、傷跡すら残さないなんて本当に凄い……」
「あれは、暴力」
石をぶつけられた箇所の痛みが消えていく。
石で傷ついた体が癒えていく。
「あなたにとっては日常茶飯事かもしれないけど、あなたは毎日、暴力を受け続けているってことでもあるの」
風精霊に撫でられるような心地よさやくすぐったさを感じた体が、私の心臓を速めていく。
「傷つくことに慣れたらいけない」
懐かしいと思った。
懐かしい風景が、私の脳裏をかすめていく。
『空を飛びたいなら、傷つくことに慣れてはいけないよ』
昔々、私にそう言葉をかけてくれた人がいる。
昔々、私に優しさをくれた魔女様のことを思い出す。
「肌、見せられる範囲でいいから」
「え?」
「ほかにも傷が残ってたら治療する……」
「初めましての女性に対して、肌見せろとか言うな!」
この広場には私と精霊使いさんしかいないはずなのに、どこかから可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。
「うちの主がほんっとうに失礼でごめんなさい!」
どうやったらこんなに可愛い声が出せるんだろうと疑問に思ってしまうくらい可愛い声が響くと同時に、声の主は光をまとって姿を見せた。
「私は、水精霊のシャロット!」
姿を見せてくれた水精霊さんは風精霊さんと同じく、物語に出てくるような妖精の姿そのもの。
子どもたちが真っ先に抱くような妖精のイメージそのものの外見をしていて、私は初めての出会いに感動した。
「主って精霊馬鹿だから、人との距離感が馬鹿なの! 本当にごめんなさい」
シャロットさんが姿を見せなければ、私は精霊使いさんに素肌を晒してしまっていた。
女性同士なら気にすることもないと思っていた私は自身を恥じ、肌を見せることが恥ずかしいことだということを学んでいく。シャロットさんの言葉を黙って受け入れ、小鳥と人間の違いを噛み締める。
(小鳥の頃は……魔女様に見られて……)
小鳥は服を着ない。
それは当然のことだけど、軽々しく素肌を見せてはいけないと言われてしまうと、魔女様に体の隅々まで見られた過去の記憶が羞恥というものを帯びてくる。
「怪我を治して、何が悪い……」
「悪くはないの! 問題は、彼女に肌を露出させようとしたところ!」
水精霊のシャロットさんは精霊使いさんに厳しく説教をするけど、私を助けようとしてくれた精霊使いさんだけが怒られるかたちになってしまって申し訳ない。
(私に人としての常識が備わっていれば……)
でも、他人に素肌を晒すものではないという常識を知ったところで、治療を拒むことができたかと言われたらできなかったかもしれない。
「…………ごめん」
「いえ! 私こそ、つい調子に乗ってしまって……」
話を逸らせるために、私は手にしていたお金を精霊使いさんに渡そうと準備する。
「これ、さきほどお渡しできなかったお礼です」
お金を渡すときに触れた、精霊使いさんの手が凄く温かかった。
自分が心地よいと感じる温もりで、どこか懐かしさのある熱に驚かされる。
許されるのなら、精霊使いさんの手にずっと触れていたいと思ってしまう。
「って、ごめんなさい!」
気づいた頃には手遅れ。
自分が精霊使いさんの手を握っていたことに気づき、急いで手を離す。
きっと彼女の中には、私に対して変人という印象が生まれたに違いない。
私は酷く凄い後悔の念に駆られたけれど、緊張というものは時に何を仕出かすか分かったものではないということを学ぶ。
人間の姿になって十年以上が経過しているはずなのに、私はまだ知らないことが多すぎるらしい。
「大丈夫」
「本当に申し訳ございませんでした!」
「それだけ感動してもらえたのかな、って自意識過剰的なことを思ってたから」
本気で落ち込みそうになっていた私に向けられたもの。
それは、あらためて握手をしようと差し出してくれた精霊使いさんの手。




