第3話「口にする食べ物を、美味しいと感じる」
「永遠の別れみたいな顔しないの」
指に、触れてくれる存在がいる。
人の指を得た私と、手を繋いでくれる存在がいる。
異世界から転移してきた私を救いあげて、掬い上げてくれた手に、泣きそうになる。
「ずっと見守っててあげるから」
窓から入ってくる優しい風が、自身の真っ白な髪の毛と彼女の真っ黒な毛並みを[[rb:靡 > なび]]かせる。
さっきから急いでいるはずなのに、自然の恵みが私の思考を引き留める。
「……ありがとうございます」
小鳥のときから親しみのある白は、人間の世界ではお年を召した方にしか馴染みがないらしい。
白い髪で産まれてくる人の子は、とても珍しい。
私は人間として生きているはずなのに、人間らしくない。
小鳥の頃と同じ色を引き継いだことを嬉しいと思っていたけれど、人間の世界での特別は私をほんの少し生き辛くさせる。
(魔女様が生きた世界に戻ることはできなくても……)
風を浴びるたびに、風に乗って遠くまで行きたいという願いを思い出す。
(いつか、必ず会いに行きます)
いつか、小さな小鳥だった私を人間に変えてくれた魔女様と再会を果たしたい。
いつか、転生を果たした魔女様と再び同じ時を刻んでいきたい。
「今日こそ、精霊との契約を成功させてみせますからね」
「そろそろ私に、カレットの正式なパートナーを紹介してちょうだい」
私を心配してくれる彼女の声が心地よい。
それだけ彼女の声が耳に馴染んだことに、感慨深くなる。
「精霊との契約に成功したら、ピアのお手伝いをいっぱいさせてくださいね」
特別な日だから、笑いたい。
特別な日だから、優しい笑みを最後に旅立ちたい。
「さて、行きましょうか」
「……ええ」
今日が特別な日でなかったら、なんてことも思う。
彼女と言葉を交わすという日課は、私が最もやりたいこと。
彼女の笑顔を見るために私がやりたいと望んでいたことが、今日は果たすことができなくて寂しい。
(今日で、私は彼女と別れる……)
特別なんて、永遠に訪れなければいいのにと思ってしまう。
いつもの、ゆったりとした朝食の時間の中で、今日はこんな夢を見たんですってお話する時間も堪らなくいとおしい。
でも、特別な日が来なかったら、私はいつまで経っても始まることができない。
「今日は、お手伝いできずに申し訳ございませんでした!」
戦争が起きていた世界から、戦争のない平和な世界へ。
魔女様の力で異世界転移してきた日から、私は子どものいない夫妻の元で育ててられた。
「カレットちゃん、ご飯にする?」
「え、あ……」
異世界から転移してきた私は、もちろん路頭に迷うことになった。
魔女様が常に私を守ってくれたこともあって、外の世界を知らずに育った。
元小鳥という事情もあって、人間の生活に不慣れ。
それらすべてを理解して、受け入れてくれたのがパーシェス夫妻だった。
「遅刻したのは私です! そんな、ご飯をいただけるような立場では……」
「ご飯を食べないと、人間は生きられないのよ?」
階段下まで一気に下りてしまったせいで、真っ白な自分の髪が少し乱れていることに気づく。
人前に出る恰好ではなかった私は急いで身なりを整えると、親方の奥様であるイリット・パーシェスさんは穏やかに優しく笑ってくれた。
「イリットさん……」
「はい」
反省する気持ちも大事だけど、いま大事にするべきことは反省の意を示すことではないと思った。
「おはようございます」
とびきりの笑顔で、朝のご挨拶をすること。
これが私に与えられた役割だと気づいた。
「おはよう、カレットちゃん」
自分は養ってもらっている身でもあり、働いてお金を貰っている身でもある。
たとえ寝起きだとしても、これからを一人で生きていけるように、いろんなことをきちんとやりこなしていきたい。
「手伝います」
「いいの、いいの」
リビングで編み物をしていたイリットさんは、私の母親代わりの人。
「カレットちゃんのお世話、い~っぱいしてあげたいの」
私のために編み物の手を休ませてしまったことに申し訳なさを感じていると、イリットさんは朗らかな笑みを浮かべて私の心を温めてくれた。
「カレットちゃんみたいな可愛い娘ができて、とってもうれしいんだから」
イリットさんはキッチンに向かって、私の昼食の準備を始める。
イリットさんの手伝いをしたかった私は何をしていいか分からなくなってしまって、おとなしく大広間に置かれている椅子へと腰かけた。
「あの……親方は?」
「グレイドさんは事務所」
「だったら、やっぱり謝るのが先……」
「怒ってなんかいないから、ゆっくりして」
大勢で食事をする際にも利用される大広間には、私とイリットさんの姿しか見当たらない。
真っ先に謝罪をしたいと思っていた人物は、とっくに午後の仕事を始めてしまったのだと気づいて深く反省する。
「さ、カレットちゃんは座ってご飯にしましょう」
テーブルの上には果物の甘い香りや、私の起床時間に合わせたかのように用意された焼き立てのパンの香ばしい香りが広がっている。イリットさんがスープを温める間、私が大好きなハチミツ入りのミルクが届けられる。
「ありがとうございます」
イリットさんは、私のことをなんでも知ってくれている。
異世界から来たって事実を受け入れるだけでも大変なことなのに、本当の娘のように可愛がってもらっているありがたさ。またしても私の涙腺は、ゆるゆると緩み始める。
「いい香りです」
リビングを漂う、食欲誘う香りたち。
プロとして人々に料理を振る舞う人の料理は絶品だと思うけど、家族が作ってくれるご飯はまた格別だと思う。
「あ、でも、朝ご飯を食べている場合じゃなくて……」
「いいから、いいから」
料理上手なイリットさんが作る料理だったら、起きたばかりの胃も喜んで食べ物を受け入れてくれる自信がある。
だけど、恐ろしいくらい寝坊をした私が、ゆったりと優雅に食事を楽しむわけにもいかない。
「私、やっぱり先に事務所に行って……」
「ほーら、そこに座って」
穏やかな食事時間を過ごすなんて許されないと思った私は、椅子から立ち上がって再びリビングの出入り口に向かおうと足を動かす。けれど、そんな私をなだめるように、イリットさんは優しく微笑みながら私の手を優しく引いて栄養満点の食事が並ぶテーブルまで誘導してくれた。
「さ、召し上がれ」
イリットさんに促され、椅子に腰を下ろす。
目の前には、朝食とは思えないくらい美味しそうな料理の数々が並んでいる。
それらに手をつけて空腹感を満たしたいけれど、寝坊した人間が優雅な食事を摂るわけにはいかない。
「カレットちゃん、具合でも悪い?」
料理に手を出さない私を見て、イリットさんは私の健康状態を心配してくれる。
この優しさに、今まで何度も何度も救われてきた。
人間は戦争を起こすものだという偏見を断ち切ってくれたのは間違いなく、魔女様が私をこの世界に転移させてくれたおかげ。
「いえ、大丈夫です」
「お仕事なら心配しないで。今日のカレットちゃんはお休みだから、ゆっくり食べて」
「お休み……?」
状況を理解できないでいる私をよそに、イリットさんは私に手を伸ばすように促してくる。
頭の理解が追いつかない状況ではあるけれど、『料理を食べて』というイリットさんの気持ちが伝わってきた私は食べ物を摂取することを選ぶ。
「……いただきますっ」
ありがたく、食事を摂ることを優先する。
人間も動物も、空腹には敵わない。




