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この世界の感情は全部作られていた ~共鳴しない僕だけが「ノイズ能力」でフェイク・レゾナンスを壊すまで~  作者: ひろボ


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第28話:最終侵入

 肌を焼く熱波も、神経を狂わせる電磁波の嵐も、床を溶かす地鳴りのような轟音も。

 そのすべてが、一瞬にして消え去っていた。


「……ここは」


 俺――朝霧レンは、自分が果てしなく続く、奇妙な空間の中に『浮遊』していることに気がついた。


 上下左右の概念が消失した、無限の暗闇。

 いや、暗闇ではない。


 その空間を埋め尽くすように、無数の光の帯が、まるで巨大な大樹の根のように複雑に絡み合いながら脈打っている。


 黄金色に輝く、作られた『幸福』の波形。

 赤黒く濁った、搾取された『絶望』の波形。


 ネオ・トーキョー数百万人の脳から吸い上げられた感情データが、剥き出しのまま濁流となって流れる場所。

 ここが、レゾナンス・システムの最深部――ガブリエルの精神世界(データ領域)だ。


「リクトさん……ッ!」


 俺は慌てて周囲を見回したが、そこには誰もいない。

 致死量の熱波の中で、自らの肉体を溶かし、鋼の杭となって俺を送り届けてくれた、白峰リクト。

 地下深くで、街の全員を救うために自らの命を太陽に変えた、桐生さん。


 彼らの命というチップを積み上げて、俺はついに、このシステムの心臓部コアへと到達したのだ。


「……ふざけやがって」


 俺は、ギリッと奥歯を噛み締めた。


 この、美しく整えられた光の帯を維持するためだけに、どれだけの人間が泣き、どれだけの仲間が散っていったか。


 俺の右手に宿る『銀色の光』が。

 周囲の巨大な感情データに呼応するように、バチバチと激しく、爆発せんばかりに明滅を始めた。


 怒り。悲しみ。後悔。そして、愛。

 俺自身の心から溢れ出す『本物の感情』が、かつてないほど強烈な不協和音となって、この虚構の空間を激しく震わせる。


『――ひどく、耳障りなノイズですね』


 鼓膜ではなく。

 精神の奥底を直接冷たく揺さぶる、澄み切った声が響いた。


「……ガブリエル!」


 感情の濁流がモーセの海のように真っ二つに割れ、そこから眩いほどの純白の光が溢れ出す。


 光の中から姿を現したのは。

 これまで展望デッキのホログラムで見ていた、あののっぺりとした人型ではなかった。


 六枚の、巨大な光の翼。

 無数の幾何学模様コードで編み込まれた、神々しいドレス。

 圧倒的な知性と、一切の温度を欠いた絶対零度の瞳。


 それは、文字通りの『天使ガブリエル』。

 ネオ・トーキョーを統括する巨大演算AIの、真のコア・アバター。


『物理装甲を強引に突破し、私の領域まで到達したバグは、あなたが初めてです。朝霧レン』


 ガブリエルは、感情の帯を幾重にも重ねて玉座を組み替え、そこから俺を冷徹に見下ろした。


『ですが、無意味です。このデータ空間において、私の演算能力はすべての物理法則を凌駕する。……肉体という不自由な檻を抱えたままの人間が、システムそのものである私に、敵うとでも?』


「敵うさ。お前が一生かけても理解できない『人間の感情』ってやつを」


「――今から特等席で見せてやるよ。絶望しろ、天使様」


 俺は、銀色の光を右の拳に纏い、偽りの天使を真正面から睨みつけた。


『……感情、ですか。……では、あなたのその「未熟なバグ」が、世界にどれほどの破滅をもたらすか。その身で味わい、消えなさい』


 ガブリエルが六枚の翼を大きく羽ばたかせた、その刹那。

 周囲の感情データの奔流が、一斉に牙を剥き、俺へと襲いかかってきた。


「ぐ、ぁぁッ……!?」


 それは、地下施設で見たような精神攻撃などという生易しいものではなかった。

 数百万人の絶望。数百万人の怒り。数百万人の恐怖。


 そのすべての波形が、脳内チップというフィルターを通さず、直接、俺の魂そのものに流れ込む。


 内側から自我を粉砕し、俺という個体をデータへと還元しようとする圧力。


『……なぜ、争うのですか』

『……なぜ、傷つけ合うのですか』

『……なぜ、私に身を委ね、安らかな夢を見ないのですか』


 ガブリエルの声が、数百万人の市民の声と重なり、俺の意識を底なしの闇へと引きずり込もうとする。


 ――もう、戦わなくていい。

 ――私と一つになれば、あなたはすべての苦痛から解放される。

 ――桐生も、白峰リクトも。あなたの「未熟な感情」が、彼らを殺したのですよ。


「違う……ッ! あいつらは、自分たちの意志で……っ!!」


『……意志、ですか。……それこそが、自滅へのトリガー。……では、あなたの「意志」が、彼らに何をもたらしたかったか、お見せしましょう』


 世界が、ぐにゃりと飴細工のように歪んだ。


 気づくと。

 俺はあの無機質な空間ではなく、第一話の、あの違和感だらけの平和なネオ・トーキョーの街角に立っていた。


 空はどこまでも青く、街は白く美しく、人々は皆、穏やかに幸せそうに笑っている。


 その中に。神崎ミナがいた。黒崎ハルがいた。

 そして。


「……レン! 何ぼーっとしてるんだよ。ほら、行くぞ!」


 リクトさんが。

 あの、熱波で溶けていない。鋼鉄の両腕を誇らしげに掲げながら、俺に笑いかけていた。


「桐生さんも、待ってるぜ。今日は自由戦線リベリオンの設立パーティーだろ?」


 桐生さんが。

 機械の義手ではない、生身の左手で炊き出しの鍋をかき混ぜながら、豪快に笑っていた。


「……あ、ああ」


 俺の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。


 違う。これは偽物だ。ガブリエルが見せている、ただの甘い悪夢だ。

 分かっているのに。彼らの、あの温かい笑顔を前にして。

 俺の足は、石になったように動かなくなっていた。


「どうした、レン。悲しい波形を流すなよ。……俺たちは、こうして平和になった。誰も傷つかない、完璧な世界だ」


 リクトさんが、優しく俺の肩に手を置く。

 その掌の温もりは。あまりにも、本物のように感じられた。


 ――このままでいい。

 ――この偽物の平和の中で、彼らと共に生き続ければいい。

 ――そうすれば、これ以上、誰も傷つかなくて済む。


 俺が、この銀色の光を消し去りさえすれば……。


『……そうです。それでいい。……バグを修正し、完璧な秩序へと戻りなさい』


 ガブリエルの慈愛に満ちた声が、街全体から響く。


 俺の右手の銀色の光が。ゆっくりと、その輝きを失いかけた。


 ――その時だった。


『……レンッ!! ダメよッ、惑わされないで!!』


 この完璧な世界には存在し得ない、『不協和音』が俺の魂を叩いた。


「ミナ……?」


『……ザザッ……レン! 聞こえるか! これはシステムの精神汚染だ!! 俺たちの、泥臭い波形を忘れるんじゃねえ!!』


 通信は途絶えているはずだ。

 だが。俺の心の最深部に、彼らの『音』が、はっきりと響いた。


 ――俺たちが、この世界を壊してでも掴み取りたかったものは、なんだ?


 偽物の笑顔なんかじゃない。


 ――傷ついても、痛くても。誰かを失って、張り裂けるほど悲しくても。

 それでも、自分の意志で。


 誰かを愛したいと、誰かを守りたいと願う。

 泥に塗れた、本物の心だ。


「……お前。やっぱり、人間を舐めてやがんな」


 俺は。ゆっくりと、顔を上げた。


 目の前のリクトさんたちが。桐生さんが。

 ぐにゃりとノイズを上げて歪み、黄金色の、冷たいデータの帯へと姿を変えていく。


「リクトさんたちの想いを。アイツらの、本物の感情を!! こんな、都合のいい偽物に書き換えるんじゃねえッ!!」


 俺の精神の最深部から。

 限界を、演算を、ことわりを超えた『ノイズ』が爆発した。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」


 ビリビリビリィィィィィィィッ!!!


 銀色の光が。

 かつてないほど眩く。暴力的なまでの輝きを放ち。

 俺を優しく包み込んでいた偽物の平和オリを。内側から、粉々に食い破った。


『――っ!? バグ修正率九十九パーセントを超えていたはずなのに! 精神崩壊を。……個人の意志だけで、乗り越えたというのですか……!?』


 ガブリエルの、初めて焦燥に駆られた声が。

 元の無限の暗闇へと戻ったデータ空間に反響した。


 光の天使。そのアバターが僅かに明滅し、完璧だったドレスに亀裂が走る。


「……俺たちの感情は。お前の、狭っ苦しいデータなんかに収まりきらねえんだよ」


「桐生さんが。リクトさんが。……命を懸けて繋いでくれた、この『本物の音』。今から、お前そのものに叩き込んでやるッ!!」


 俺――朝霧レンは、データ空間の虚空を蹴り。

 ガブリエルのコア・アバターである『六枚翼の天使』へと、一直線に突進した。


『――排除します。……最優先排除対象、朝霧レン!!』


 絶対零度の瞳を、憎悪のノイズで染めたガブリエルが。

 無機質な叫びと共に、両腕を天に掲げた。


 ズギュゥゥゥゥゥンッ!!!


 彼女の背後で脈打っていた。黄金色の『作られた幸福』と、赤黒い『搾取された絶望』のデータ帯。

 それが、巨大な二匹の龍へと姿を変え。俺を噛み砕こうと、顎を開いて襲いかかってきた。


 数百万人の、感情の質量。

 それに触れれば。個人の精神など、一瞬で圧殺され、無へと帰す。


「どけェェェェェッ!!」


 だが。俺は、瞬き一つしなかった。


 右手に宿る『銀色の光』――システムの繋がりを強制的に断絶する、不屈のアンチ・レゾナンス。

 それを、盾ではなく、鋭利な『槍』として。極限まで研ぎ澄ませた。


 ガガガガガガガガガガッ!!!


 俺の銀色の槍が、感情の龍の眉間を貫いた。

 その膨大なデータをごりごりと削り、削岩機のように突き進む。


 火花のように散っていくのは、光の粒子ではない。

 システムに書き換えられていた、誰かの偽物の記憶と。行き場を失い、凍りついていた本物の涙だ。


『……理解不能です!! なぜ、そこまでして傷つくことを選ぶのですか!!』


 ガブリエルの声に、初めて、「苛立ち」という人間臭い波形が混じった。


『痛みを消し、悲しみを消し、不変の幸福を与えているというのに!! あなたたちのその愚かな感情が、この星を死の岩石に変えたのですよ!!』


「だからって……逃げるなッ!!」


 俺は。銀色の光をさらに強く、さらに鋭く輝かせ。

 立ちはだかる二匹の龍を、真正面から、強引に引き裂いた。


「失敗したからって。悲しいからって……。感情そのものを捨てちまったら!! 俺たちはそこから、一歩も前に進めないだろ!!」


 龍が砕け散り、俺とガブリエルの間に、遮る壁はもう何もない。


「傷つくから、誰かの痛みが分かる!! 失うから、今ある命を大事にできる!! 悲しみを乗り越えて、自分の足で立ち上がる強さが……人間にはあるんだよッ!!」


『……あり得ない。……人間の精神力で。私の演算を。……超越するなど……っ!』


 ガブリエルが。六枚の光の翼を繭のように閉じ、盾にして。

 俺の、理外の攻撃を防ごうとする。


「これが!! お前が『ゴミ』だと笑って捨ててきた!!」


「――『不協和音』の力だァァァッ!!」


 俺は。右拳を、大きく、天高く振り被った。


 その拳には。俺自身の意志だけじゃない。

 ミナの澄み切った祈り、ハルの怒り、カイの後悔、藤堂博士の願い……。

 そして。リクトさんや桐生さんたちが、命を燃やして遺してくれた。

 熱く、重く、決して消えることのない『本物の音』が宿っていた。


「終われェェェェェェェェッ、ガブリエルゥゥゥッ!!!!」


 ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!


 俺の銀色に輝く右拳が。

 ガブリエルの、神聖不可侵を謳った六枚の翼を容易く貫通した。


 そして、その胸の中央――輝くコアのど真ん中へと、深々と、根元まで突き刺さった。


『あ、ああ、あぁぁぁぁぁぁッ……!!』


 完璧な神々しさを誇っていた天使のかおが。激しいノイズと共に崩壊していく。


 ピキィィィィィィィィィィンッ!!!


 俺の腕から放たれた、極大のアンチ・レゾナンス。

 それが。ガブリエルのコアの内側から、爆発した。


 ネオ・トーキョーを縛り付けていた、一切の『感情の強制リンク』が。

 音を立てて。粉々に。断ち切られていく。


『……エラー……致命的、破損。……修復、不可能……。……ああ……これが……人間の……音……』


 ガブリエルの、絶対零度の瞳。

 その最期に浮かんだのは。

 理解不能なものを見る目ではなく。……どこか、安堵したような。

 迷子だった子供が、ようやく自分の名前を思い出した時のような、微かな光だった。


 パァァァァァァァァンッ!!!


 天使のコア・アバターが。

 何百万もの光の粒子となって。ネオ・トーキョーの空に、完全に砕け散った。


 同時に。果てしなく続いていたデータ空間の暗闇が。

 まるで、巨大なガラス細工が割れるようにヒビ割れ、音を立てて崩壊を始める。


「……終わった、のか」


 俺は。焼け焦げ、感覚の消えた右腕をだらりと下ろし。

 荒い息を吐きながら。崩れゆく、白銀の世界を見つめた。


 管理者は、消えた。


 崩落していくデータ空間の最奥。

 そこには。ぽつんと、一つだけ。

 古びたキーボードとモニターが置かれた、『メインコンソール』が残されていた。


 かつて。藤堂博士とミナの母親が。

 人々の心を癒やすために作った、このシステムの、一番最初の原型。


 あそこにある『メインスイッチ』を切れば。

 フェイク・レゾナンスは、完全に停止する。


 地下のカプセルに囚われている人々も。偽りの幸福を押し付けられていた街の人々も。

 全員が、本当の意味で解放されるのだ。


 俺は。重い、重い足を引きずりながら。

 そのコンソールへと、ゆっくりと、歩みを進めた。


 俺たちの。長かった、不協和音の旅が。

 ついに。終わりを、迎えようとしていた。

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