第27話:犠牲
『……システム初期化まで、残り百二十秒。……全市民の脳内チップへ、致死量オーバーロードの送信準備を開始』
レゾナンス・コアを覆う巨大なクリスタルが、断末魔のような赤黒い光を激しく脈打たせる。
それは単なる発光ではない。
ネオ・トーキョー数百万人の命を焼き切るための、膨大なエネルギーの逆流現象。
ゴォォォォォォォォォォッ!!!
コアの周囲から、致死量の超高熱と電磁波の嵐が吹き荒れた。
展望デッキの床を覆っていた特殊合金が、飴細工のようにドロドロと溶け、沸騰し始める。
「あ、あつッ……!!」
俺――朝霧レンは、腕で顔を庇いながら後ずさった。
数メートル離れているだけで、露出した皮膚が焼け焦げ、吸い込む空気が肺を焼き、沸騰させるほどの熱波。
「レン君、ダメよ! 今のコアに近づいたら、一瞬で灰になっちゃう!」
神崎ミナが、俺の服を必死に引き戻す。
彼女の『ソニック・エミッター』が、障壁として音波を放っているが。
目の前の純粋な物理的熱量、太陽の欠片のような暴力の前では、焼け石に水ですらなかった。
「でも……あと二分で、街の全員が死んじまうんだぞ! 俺があのコアをぶち壊さなきゃ……!」
俺は、右手に『銀色の光』を滾らせ、再び熱風の地獄へ飛び込もうとした。
ガシッ。
その肩を。
分厚く、そして岩のように力強い手が掴み、強引に引き留めた。
「……バカ野郎。お前のその右腕が焼け落ちたら、誰がガブリエルにトドメを刺すんだ」
「リクト、さん……?」
振り返ると。
白峰リクトが、静かに、だがかつてないほど鋭い眼光で、赤熱するコアを射抜いていた。
「桐生さんたちが、命を懸けて作ってくれた道だ。……こんな熱風ごときで、立ち止まっていいわけねえだろ」
リクトの身体から、ゴキキキッ……と、異様な骨の軋む音が鳴り響く。
「リクトさん、まさか……!」
霧島カイが、血相を変えて叫んだ。
「やめろ、白峰! お前の『鋼鉄化』は両腕が限界のはずだ! それを全身にまで広げれば、波形の負荷で心臓が破裂するぞ!!」
「……元・エリート様が、知ったような口を利くんじゃねえよ。俺の筋肉の限界は、俺自身が決める!!」
リクトが、肺の底から雄叫びを上げた。
その瞬間。
彼の両腕だけを覆っていた鈍色の鋼鉄化が。
首、胴体、そして脚へと、凄まじい勢いで全身を侵食、結晶化させていった。
バキバキバキィッ!!
服が弾け飛び、現れたのは。
文字通り『全身が重装甲の鋼鉄』と化した、黒みがかった巨漢の姿。
「ぐ、ごぉぉぉぉぉぉぉッ……!!」
鋼鉄の隙間から、血と苦痛の混じった絶叫が漏れる。
限界を超えた能力の暴走は、彼自身の内臓と神経を、内側からズタズタに引き裂いていた。
「リクトさん!! やめろ、死んじまう!!」
俺が止めに入ろうとすると。
全身を鋼鉄化させたリクトは、血まみれの顔で、獰猛に笑った。
「……死なねえよ。俺は、自由戦線の盾だ。……レン、俺の背中に隠れろ!!」
「えっ……」
「一歩も離れるな! 俺が、お前をあのコアの『ゼロ距離』まで、送り届けてやる!!」
リクトは鋼鉄の巨体を屈ませ、俺を完全に庇うような前傾姿勢をとった。
そして、床の溶けた展望デッキを強く蹴り。
致死量の熱波が狂い咲くコアの領域へと、猛然と、地響きを立てて突進を開始した。
「うおおおおおおおおおおッ!!!」
ズドォォォォォォンッ!!!
リクトの鋼鉄の肉体が、コアから放射されるプラズマの壁と激突した。
「ぐ、ぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
俺は、リクトの巨大な背中の後ろ。
彼が熱波を無理やり切り裂いて生み出した、唯一の『安全地帯』の中に身を潜めながら、必死に彼の足跡を追った。
凄まじい熱風が両脇を通り抜けていく。
だが。
リクトの背中に隠れている俺の場所には、その殺人的な熱は、一切届いていなかった。
『――警告。……イレギュラーの接近。排除します』
ガブリエルが、さらにコアの出力を上げた。
「リクトさん!!」
俺の目の前で。
この世のものとは思えない光景が、起きていた。
いかなる物理攻撃も無力化するはずのリクトの『鋼鉄の身体』が。
超高熱に耐えきれず、ドロドロと、赤黒く溶解し始めていたのだ。
「が、ぁぁぁぁぁぁッ……!! 溶けて、たまるかァァァッ!!」
両肩の装甲が溶け落ち、剥き出しの皮膚が瞬時に焼け焦げる。
それでも。
リクトは絶対に足を止めなかった。
自分の命を、魂を、肉体を薪にして燃やし。
溶け、崩れ落ちながら。
ただひたすらに、俺のための「道」を切り拓き続ける。
「泣くな、レン……ッ! 前だけを、見ろッ!!」
溶けゆく鋼の巨兵が。
一度も振り返らずに、叫ぶ。
「お前の、その右手の光が……! 俺たちの、本物の感情の証だ!!」
「――行けェェェェェェェェッ、レン!!!」
コアまで、あと数メートル。
リクトの、命を削った最後の一歩。
俺はついに、システムの心臓を、射程圏内に捉えた。
あと三メートル。二メートル。一メートル。
レゾナンス・コアから放たれる致死量の波動を。
赤熱し、形を失いゆくリクトの背中が、完全に、すべてを受け止めている。
「リクトさん……ッ!」
「止まるな! 俺の背中を、踏み越えていけ!!」
ゴトッ。
ついに。
リクトの、丸太のように太い両脚が限界を迎え。
展望デッキの、溶けた特殊合金に縫い付けられたように動きを止めた。
全身を覆っていた鋼鉄の装甲が、ドロドロと床に流れ落ちる。
彼の生身の肉体を、超高熱が容赦なく焼き、炭化させていく。
痛覚を麻痺させるシステムなど、とうの昔に死んでいる。
人間が耐えられるはずのない、地獄の激痛。
それでも。
その巨大な背中は。
俺を護る唯一の盾として、一ミリたりとも、一分一厘たりとも。
下がることはなかった。
「……頼んだぜ、レン。お前のその、真っ直ぐな音が……俺は、好きだったよ」
振り返らずに。
プラズマの渦の向こう側を見据えたまま。
白峰リクトは最期に、満足げに、力強く笑った。
そして。
彼の全身を覆っていた鋼鉄が、完全に臨界を超え、活動を停止した。
一本の。
決して溶けることのない『不屈の杭』となって。
熱波のど真ん中に、高く、気高く突き刺さった。
「リクトさぁぁぁぁぁぁぁんッ!!!」
俺の目から、ボロボロと涙が溢れ出した。
動かなくなった、リクトの巨大な背中。
彼が自らの命を完全に燃やし尽くし、跡形もなく溶かして切り拓いてくれた。
コアへと続く、絶対的な『無風の道』。
悲しい。悔しい。痛い。
だが。
この涙は、システムに搾取されるための絶望なんかじゃない。
誰かを守るために、命を笑って投げ出した。
一人の人間の、本物の感情の証だ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
俺は、立ち尽くすリクトの背中を。
その重すぎる想いを、力一杯踏みしめて。
熱波の只中へと、高く、天へと跳躍した。
『――理解不能。なぜ、自らの個体を喪失させてまで……そのような非合理的な行動を……』
コアの前に浮かぶガブリエルの巨大なホログラムが。
あり得ないものを見るように、激しくノイズを散らして歪んだ。
「これが、お前には一生計算できない『人間のバグ』の力だァァァッ!!」
俺は、右手に宿るすべての『銀色の光』を、真正面へと構えた。
悲しみも、怒りも、そして託された愛も。
すべてを極限まで圧縮したアンチ・レゾナンスの波動が。
ガブリエルの放つメルトダウンの光と、真っ向から、正面衝突する。
ピキィィィィィィィィィィンッ!!!
コアを覆うクリスタルの表面に。
俺の銀色に輝く右拳が、深々と、根元まで突き刺さった。
純白のノイズキャンセリングの波動が、赤い暴走の光を強引に中和、相殺し。
不壊を誇ったクリスタルに、蜘蛛の巣状の、絶望的な亀裂を走らせる。
『……エラー……システム、臨界点……突破……っ』
「開けェェェェェェェェッ!!!!」
パァァァァァァァァンッ!!!
凄まじい破砕音と共に、コアの物理装甲が完全に砕け散った。
熱波と光が逆流し、展望デッキの空間そのものが、真っ白に染め上げられていく。
そして。
俺の身体は、砕けたクリスタルの奥――。
システムの真の中枢である『データ空間(ガブリエルの領域)』の深淵へと、真っ逆さまに呑み込まれていった。




