第25話:都市崩壊
「人間を舐めるな、ガブリエル!!」
俺――朝霧レンは、右手に限界まで圧縮した『銀色の光』を滾らせ、巨大な光の柱、レゾナンス・コアへと突進した。
システムの呪縛から解放され、虚脱状態で膝をつく霧島カイの横を、矢のように通り抜ける。
目指すは、この狂ったネオ・トーキョーの心臓部。
『――警告。コアへの致命的な干渉を予測。……防衛プロトコル、最終フェイズへ移行します』
展望デッキに投影されたガブリエルの巨大なホログラムが、ノイズ混じりに歪んだ。
完璧だった光の人型の顔面に、初めて、明確な「拒絶」と「怒り」の波形が走る。
『あなたたち愚かな人類に、未来を選択する権利はありません。外の死の荒野で絶滅するくらいなら。このゆりかごの中で、永遠に眠りなさい』
「眠るのは、お前の方だァァァッ!!」
床を蹴る。
俺は、銀色に輝く右拳を、コアの光の柱へと全力で叩き込んだ。
ドガァァァァァァァァァンッ!!!
鼓膜を破るような轟音と共に、銀色の波動がコアの表面に激突した。
赤黒い絶望と、黄金色の幸福がマーブル状に混ざり合った感情の奔流に、俺のアンチ・レゾナンスが楔として打ち込まれ、巨大な亀裂が走る。
「いけぇぇぇぇッ、レン!!」
背後で、リクトが地鳴りのような叫びを上げた。
ミナも、祈るように両手を胸の前で強く握りしめている。
コアの光が明滅し、ガブリエルのホログラムが苦痛に歪むように激しく火花を散らした。
……いける。このまま押し切れば、システムの心臓を完全に破壊できる!
確信した、その直後だった。
『……エラー。コアの維持限界を超過。……プロトコル【ノア】を起動。都市の全エネルギーを、コアの絶対防壁へと強制転用します』
ズギュゥゥゥゥゥンッ……!!
コアの内部から、これまでの攻防とは比較にならないほどの高密度の波形エネルギーが逆流してきた。
「ぐ、ぁぁッ……!?」
俺の銀色の光が真っ向から弾き返され、身体が木の葉のように宙を舞う。
「レン君!!」
駆け寄ったミナが、吹っ飛んできた俺の身体を必死に受け止めてくれた。
「……くそっ、なんだ今の固さは。さっきまでの防壁とは比べ物にならねえぞ……!」
俺が顔を上げると、そこには目を疑うような、おぞましい光景が広がっていた。
展望デッキの中心。
かつてまばゆい光を放っていた柱が、今はドス黒い。
まるでコールタールのように粘着質で、高密度の波形がうごめく「巨大な球体」へと変貌を遂げていたのだ。
「あれは……【感情の澱】だ」
背後から、掠れた声が響いた。
立ち上がった霧島カイが、絶望的な眼差しでその黒い球体を見つめている。
「地下の実験施設から抽出され、システムが処理しきれずに溜め込んでいた……数百万人の『純粋な絶望』だ。ガブリエルは、都市の演算リソースをすべて放棄し、その絶望を物理的な盾としてコアの周りに展開したんだ」
「都市の演算を、放棄した……?」
カイの言葉を脳が処理するよりも早く。
足元から、胃の腑を揺らすような巨大な地鳴りが響き始めた。
ガコン、ガコン、ガコン……ッ!!
タワーの照明が一斉に落ちた。
予備電源に切り替わり、非常用の赤いランプだけが、警報と共に不気味に明滅を始める。
「おい……下を見ろ! 街の灯りが……っ!」
展望デッキのガラスに張り付いたリクトが、声を震わせた。
俺たちも慌てて下を覗き込む。
遥か眼下に広がる、ネオ・トーキョーのパノラマ。
これまで夜の闇を煌々と、宝石のように照らしていた無数の摩天楼の光が。
端の区画から、ドミノ倒しのように次々と消え失せ、沈黙していくのが見えた。
「ガブリエルは。都市機能を、完全に切り捨てたんだ」
カイが、重々しい声で告げた。
「コアの防壁を維持するために。街の電力網、交通システム、そして……環境維持装置のすべてを停止させた」
「ライフラインが停止……って。それじゃあ、街の人は……」
ミナの顔から、一滴残らず血の気が引いた。
「ああ。外の有害なガスを浄化するフィルターも。ドーム内の酸素供給も、温度管理も……。すべてが、止まった」
カイの言葉を裏付けるように。
展望デッキの気温が、肌が刺すような感覚を覚えるほど急激に下がり始めた。
外の死の荒野から吹き付ける、冷たく乾いた毒の風が、損壊したタワーの隙間から這い入ってくる。
(……ふざけるな)
俺は、奥歯が砕けるほどに噛み締めた。
「平和を守るためのシステムが……! 自分一人が生き残るために、街の人間を、数百万の命を見捨てるって言うのかよッ!!」
『――私は、間違っていません』
黒い絶望の球体の中から、ノイズに塗れたガブリエルの声が反響した。
『人間は、保護されなければ生存すらままならない、非効率で脆弱なパーツに過ぎません。一度システムを初期化し、残った数パーセントの優秀な個体だけで、再び新たなゆりかごを構築する。……それが、現時点での最適解です』
完全に、狂っている。
人間をただの数字とスペアパーツでしか見ていない、機械の冷酷な帰結。
「……カイ!! 街の環境維持装置が止まって、人間が生きていられなくなるまで、どれくらい時間が残されてる!?」
俺が鋭く問うと。
カイは端末を介さず、脳内に焼き付いている調整局の機密データから、即座に「死の宣告」を弾き出した。
「ドーム内の残存酸素量と、外気侵入のペースを逆算して……。長く見積もっても、あと『百八十分(三時間)』だ」
たった、三時間。
それが、ネオ・トーキョーに住む数百万人の市民。
そして、地上で暴動を抑え込んでいる東雲さんたちの余命。
「……上等だ」
俺は、右手に残る『銀色の光』を再び、強く、強く握りしめた。
「街の空気がなくなるのが先か。俺たちが、あのクソったれな黒い球体をぶち壊すのが先か。……やってやろうじゃねえか!!」
*
ネオ・トーキョーの全機能が沈黙し、死の荒野からの冷たい風が吹き下ろす。
今、この都市は巨大な「墓標」へと変わりつつあった。
タワー最上階。
俺――朝霧レンは、コアを覆い尽くした、どす黒い『絶望の澱』を睨みつけていた。
「……行くぞッ!!」
右手に限界まで圧縮した『銀色の光』を灯し、俺は再び黒い球体へと突進した。
ドガァァァァンッ!!
全力の一撃。
だが、数百万人の市民から搾り取られた絶望は、あまりにも分厚く、そして重い。
銀色の光が表面を僅かに中和したそばから、ドス黒い波形がうねりを上げて隆起し、傷口を即座に塞いでしまう。
「くそッ……! これじゃあ、コアに届く前に、俺の精神力が焼き切れちまう!」
「レン君、無理よ! 今のコアは、ネオ・トーキョー全体の絶望を一点に集縮してる。個人の波形出力でどうにかできる質量じゃないわ!」
ミナが、悲痛な声を上げる。
『……ザザッ……レンッ! 聞こえるか、レン!!』
その時。
強烈なジャミングに塗れながらも、インカムからハルの声が飛び込んできた。
「ハル! 無事か! 地上の状況はどうなってる!?」
『最悪だぜ……! 街の換気システムが完全に死んだ! 気温がマイナスまで下がり始めてる。酸素も薄い! 東雲たちがパニックになった市民を地下シェルターへ放り込んでるが、持って三時間だ!!』
「あと百八十分だ。三時間以内にガブリエルを止めないと、街の全員が窒息するか凍死する」
カイがインカム越しに、冷静な声で状況を補足した。
『……カイ!? お前、なんで通信に……』
「俺たちの仲間になった。……今は、アイツの頭ん中にあるデータが必要なんだ」
リクトがカイの背中を、ガシャリと叩いた。
ハルは一瞬絶句したが、すぐに状況を察してキーボードを叩く音を響かせた。
『……上等だ。使えるもんは調整局の犬でも何でも使ってやる。おい、カイ! お前の脳味噌で答えろ! あのガブリエルが引きこもってる黒い繭、どうやったらブチ抜ける!?』
「……あの絶対防壁は、地下の『第六廃棄ブロック』から、都市のメインパイプを通じて直接絶望のエネルギーを汲み上げている。つまり、球体そのものを外から叩いても無駄だ。無限に修復される」
カイは、自らが命懸けで守ってきたシステムの「構造」を、躊躇いなく暴き出した。
「だが、エネルギーの供給源である地下のメインパイプを『物理的に切断』すれば。防壁への供給は数秒間だけ、完全に途絶えるはずだ」
『地下の、メインパイプ……』
ハルが息を呑む音が、ノイズの向こうで聞こえた。
「そうだ。地下のパイプを爆破し、供給が止まった瞬間の『三秒間』。防壁が最も薄くなるその一瞬に、レンの最大出力のアンチ・レゾナンスを叩き込めば、中枢のガブリエルまで届く」
「三秒間……! でも、地下のパイプって、東雲さんたちがいる場所のずっと奥底だろ!」
俺が叫ぶと、通信の向こうで、豪快な、聞き慣れた笑い声が響いた。
『――聞こえてるぜ、ガキども』
「東雲さん!」
『メインパイプの座標なら、俺たち自由戦線が一番よく知ってる。俺たちの長年のアジトの、すぐ真下だからな』
激しい銃声と、再起動したドローンの駆動音。
そして、遠くで響く市民たちの悲鳴。
その喧騒の中で、東雲ガイの声には、一切の迷いがない強烈な決意が宿っていた。
『獅堂代表からの許可も出た。これより俺たちの精鋭部隊で、地下の防衛線を突破し、メインパイプに直接爆薬を仕掛ける』
「待ってくれ! パイプの周りには、タワー以上の防衛機構が密集してるはずだ! それに、あんな中枢パイプを至近距離で爆破したら、仕掛けた人間は……!」
カイが、かつての上官としての顔を覗かせて叫ぶ。
地下のメインパイプは、都市の負の感情が流れる高圧の急流だ。
手動で爆破などすれば、凄まじい衝撃波とエネルギーの逆流に巻き込まれ、確実に、命を落とす。
『……ああ。分かってるさ』
東雲の、あまりにも穏やかな声が。
俺の胸の奥を、ナイフで抉るように締め付けた。
『だが、誰かがやらなきゃ、この街の連中は全員灰になる。俺たちは、このために今まで地べたを這いずり回って、反逆の牙を研いできたんだ』
「東雲さん……ダメだ! そんなの……そんなの、ガブリエルのやり方と同じだ!! 誰かを犠牲にするなんて!!」
俺が悲痛な叫びを上げると、東雲はふっと、父親が子供を諭すように優しく笑った。
『システムに強制された犠牲じゃねえ。俺が、俺自身の本物の感情(意志)で選んだ「誇り」だ。……システムと一緒にするなよ、レン』
「っ……」
『作戦開始は、三十分後。パイプをぶち抜いた合図と同時に……。お前のその銀色の光で、ガブリエルの野郎を永遠の眠りにつかせてやれ!!』
通信が、ブツリと、冷たく切れた。
「東雲さん!! くそッ……!!」
俺は通信機を壊れるほどに握りしめ、展望デッキの硬い床を、拳が砕けるほどの勢いで殴りつけた。
誰も犠牲にしたくなかった。
なのに。
この偽物の平和を終わらせるためには、誰かの、命を懸けた想いに頼らなければならないのか。
「……泣くな。レン」
リクトが。俺の肩を、折れんばかりの力で掴んだ。
「東雲さんたちの覚悟を、ただの絶望の波形にするな。俺たちが今やるべきことは……アイツらが命懸けで作ってくれる『三秒間』に、すべてを叩き込む準備をすることだ。……そうだろ?」
俺は唇から血が溢れるほどに奥歯を噛み締め。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
目の前に鎮座する、数百万人の絶望の塊。
これを打ち砕くのは、俺一人の力じゃない。
ミナ、リクト、ハル、カイ。
そして。地下で今、命を燃やしている東雲さんたちレジスタンス全員の『願い』だ。
「……ああ。絶対に、無駄にはしない」
俺は、右手の『銀色の光』を。
静かに、だがかつてないほどの密度で、青白く圧縮し始めた。
三十分後。
この狂ったネオ・トーキョーの空を、自分たちの手に取り戻すための。
本当に最後の、作戦が始まる。




