第24話:カイ再戦
ガキィィィィィィィンッ!!!
レゾナンス・タワーの頂上。遮るもののない星空が広がる展望デッキに、激しい波形の衝突音が狂ったように木霊した。
俺――朝霧レンの右腕に纏った『銀色の光』。
共鳴調整局最強の守護者・霧島カイが振るう、絶対秩序の光刃。
二つの波形が激突するたびに、空間そのものが悲鳴を上げて軋み、白い火花がデッキを焼き焦がす。
「……遅い」
カイの、氷の粒のような冷徹な声が耳元を掠めた刹那。
視界の中にいた彼の姿が、ノイズのようにブレて消えた。
(――っ!)
背後。
振り返るよりも速く、内臓を破裂させんばかりの強烈な蹴りが俺の脇腹に叩き込まれた。
ドゴォォォンッ!!
「ぐ、はぁッ……!」
俺の身体は木の葉のように弾き飛ばされた。
展望デッキの分厚い強化ガラスに背中から激突し、無様に床を転がる。
システムの中枢『レゾナンス・コア』から、背中のエネルギーラインを通じて無尽蔵の出力を供給されているカイ。
その波形の密度、反射速度は、地下で相まみえた時とは比較にならない。
まさに、ガブリエルの意思を体現する『神の刃』そのもの。
「レン君ッ!!」
コアの物理防壁の解除コードを、指先を血に染めて探っていたミナが、悲鳴を上げる。
「ミナ、来るな……ッ! そのまま、解除を続けろ!」
俺は口の中に溜まった鉄の味を吐き捨て、震える腕で床を押し返した。
全身の骨がミシミシと悲鳴を上げている。だが、ここで膝をつくわけにはいかない。
「……無駄な足掻きだ、エラーコード。君の波形出力では、コアと直結した私を上回ることは、数学的に不可能だ」
カイは純白の光刃を斜めに構えたまま、一片の感情も交えない声で死を宣告した。
「お前こそ……本当に分かんねえのかよ、カイ」
俺は荒い息を吐き出しながら、ガラスの向こうに横たわる、あの死の荒野を睨みつけた。
「外の世界が壊れてるからって。だからって、人間をカプセルに閉じ込めて、絶望を燃料にして回すシステムが正しいなんて……。そんなの、絶対に、間違ってる!!」
「間違っているのは、君たちの方だ」
カイが、無表情のまま一歩、前へ。
彼が踏み出すごとに、周囲の空気が絶対零度へと近づいていく。
「人類は、自らの『感情』――欲望、憎悪、恐怖を制御できずに、この星を死の岩石に変えた。感情は、世界を滅ぼす毒だ。ガブリエル様がそれを完全に管理し、一部のバグを代償にして大多数の『完璧な平和』を維持する。……これこそが、最良で、最も合理的な最適解だ」
「最適解だと……?」
俺は右手の銀色の光を、バチバチと激しく明滅させた。
指先の皮膚が焼けるような痛みが走る。
「誰かの犠牲の上に作られた笑顔に、なんの価値があるんだよ!! 悲しくても、痛くても……誰かとぶつかり合って、傷つきながら、自分の足で泥を蹴って歩くのが、人間だろうがッ!!」
「……それが、愚かなのだ。人間は、脆すぎる」
カイの瞳が、一瞬だけ。
ほんの砂粒ほどの時間だけ、揺らぎを見せた気がした。
だが直後。背後のコアから更なる光が注ぎ込まれ、その人間らしい揺らぎは、即座に冷酷な秩序によって凍結される。
「ガブリエル様の統治こそが、我々が生き残るための唯一の答えだ。秩序を乱す不協和音は。……ここで、私が消去する」
カイが、地を蹴った。
さっきまでを子供騙しだと思わせる、神速の斬撃。
俺は逃げない。一歩も引かず、銀色の光を構えて真っ向から迎え撃った。
ガガガガガガガガガガッ!!!
火花が視界を埋め尽くす。
数秒の間に、数十回の連撃。
腕の筋肉が断裂しそうな負荷に耐えながら、俺はカイの波形の底を、必死に探っていた。
(……読め。もっと深く。アイツの波形を覆う『嘘』の奥底を……!)
俺の目的は、カイを壊すことじゃない。
彼をシステムに繋ぎ止めている『鎖』の周波数だけを特定し、アンチ・レゾナンスで、その絆だけを断ち切ることだ。
だが、コアから絶え間なく供給される『ノイズキャンセリング防壁』が分厚すぎる。
カイ自身の、本当の声が聞こえてこない。
「……防御ばかりでは。いずれ、摩滅して終わりだぞ」
カイの光刃が、俺の銀色の盾を僅かにすり抜け、肩口を浅く、だが鋭く切り裂いた。
「くッ……!」
「終わりだ。不協和音」
カイが光刃を大きく天に振り被った。
回避不能のタイミング。俺の脳天を真っ二つに叩き割るための、極大の軌跡。
(……ここだ。この一撃に、すべてを賭ける!)
俺は、回避という選択肢を捨てた。
すべての精神力を、命の残量を、右手の『銀色の光』の一点に凝縮させる。
相手が最大出力で攻めてくる、その瞬間。
波形が最も激しく、かつ不安定に増幅されるその一瞬こそが、分厚いシステムの鎧の奥に隠された「本物の波形」が露出する、唯一の隙。
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
展望デッキの床が砕けるほどの、凄まじい衝撃波。
カイの光刃と、俺の右拳が、空間を軋ませて正面から激突した。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁッ……!!」
右腕の骨がミシミシと悲鳴を上げ、皮膚の隙間から銀色の火花が噴き出す。
凄まじい波形の圧力が、俺の全身の細胞を内側から焼き切ろうとする。
だが、倒れない。
食いしばった奥歯から血が溢れ、視界が真っ赤に染まっても。絶対に、この拳だけは引かない。
(……視えた)
極限の衝突。その火花が散る静止した時間の中で。
圧倒的なシステムの暴力の奥底。
震え、小さく、ひどく悲しそうにうずくまっている「音」を見つけた。
――もう、誰も傷つけたくない。
――守りたかった。ただ、平和を守りたかっただけなのに。
――どうして。どうして、誰も笑ってくれないんだ。
それは。
己の弱さを呪い、強さを求めた霧島カイという男の。
誰よりも純粋で、誰よりも不器用な『本当の心』。
「……捕まえたぞ、カイ!!」
俺は血に塗れた顔で、ニヤリと笑った。
右手の銀色の光を、その一点の震えに向けて、針よりも鋭く研ぎ澄ませる。
極限の波形が噛み合い、展望デッキの空間が飴細工のように歪んだ。
霧島カイの光刃が、俺の肩を砕かんばかりに食い込んでいく。
だが、俺の心は折れなかった。
右手に宿る『銀色の光』を、カイの波形の最も奥底――分厚い氷壁の下で泣きじゃくっている、彼自身の「魂」の周波数へと、寸分違わず同期させた。
「なっ…………!?」
カイの、あの感情を欠いた瞳が。
初めて、恐怖にも似た驚愕に見開かれた。
俺の銀色の光が。
カイを破壊するのではなく。カイを縛り付けていた「システムという冷たい被膜」だけを、内側から溶かし始めたのだ。
「お前は、弱さを憎んでたんじゃない!! 誰かが傷つくのが、悲しくて、悔しくて、たまらなかっただけだろ!!」
「黙れ……! 私の中に……勝手に、入り込むな……ッ」
カイが必死に光刃を押し込もうとするが、その鋼のような腕は、今や明白に震え始めていた。
ガブリエルによって強制的に凍結され、部品へと成り下がっていた彼自身の感情が。
俺の『アンチ・レゾナンス』の熱を受けて解凍され、一気に暴れ出しているのだ。
「完璧な平和なんて、どこにもねえ! 悲しみも、痛みも、後悔も……全部、俺たちが生きている証拠だろ!!」
俺は右腕に、魂の最後の一滴まで力を込めた。
カイの光刃を、真っ向から、力技で弾き返す。
「お前の本当の声は……こんな死人のような機械音じゃねえはずだァァァァッ!!」
ピキィィィィィィィィィィンッ!!!
俺の右拳から放たれた、最大にして極小の『銀色の光』が。
カイの胸元――システムの中枢と彼を繋いでいた、不可視のエネルギーのへその緒を。
真正面から貫き、そして。
跡形もなく、切断した。
ガシャァァァァンッ!!
世界が砕けるような、澄んだ破砕音が響き渡る。
「あ、ああ……ぁぁぁぁぁっ!!」
カイの口から、システムに同調して以来。
一度も、決して発せられることのなかった「人間としての悲鳴」が迸った。
彼を縛り付けていた絶対秩序の鎖が、今、断たれた。
十年近く抑圧され、圧縮され続けてきた彼自身の感情が。
後悔、恐怖、孤独。そして、誰かを守りたかったという強烈な願いが。
決壊したダムのように、一気に彼の脳髄へと逆流した。
「はぁっ……はぁっ……!!」
手の中から光刃が砂のように消え去り、カイはその場に、糸の切れた人形のようにガクンと膝をついた。
常に冷酷で、一分一厘の隙もなかった最強の守護者が。
今はまるで、雪山で迷子になった子供のように。自分の震える両手を見つめ、床に涙をこぼしている。
「……俺は……私は……何を……」
カイの目から、温かい、大粒の涙が止まらずに零れ落ちた。
それは、システムに搾取されるためのデータではない。
彼が、彼自身の心を取り戻し、自分自身の罪と痛みに向き合った証だった。
「……やっと、自分の足で立てたな。カイ」
俺は、骨の折れた肩を抑え、激しい眩暈に耐えながら。
荒い息を吐いて、目の前の「人間」を見下ろした。
「……朝霧、レン」
カイが、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
その波形には、もうガブリエルの不気味な安定感は微塵もない。
ひどく傷つき、濁り、震えながらも。
そこには、生きた人間にしか出せない、確かな『音』が響いていた。
「私は……ただ。誰も泣かない世界を、作りたかった。……誰も失いたくなかった、だけなのに……っ」
「ああ。知ってるよ」
俺は、右手の銀色の光を静かに収束させ、一つ頷いた。
「お前のその願いは、本物だ。……ただ、あのデカい機械に、都合よく形を変えられていただけだ」
カイは力なく目を伏せ、胸に溜まっていた長い、長い呼吸を吐き出した。
「……私の、負けだ。君の不協和音の方が……ずっと、透き通った音だった」
ネオ・トーキョー最強の守護者が、その敗北を認めた。
暴力ではなく、魂の共鳴によって。
「レン君!!」
背後から、ミナの切羽詰まった叫びが響く。
振り返れば。
彼女とリクトが、巨大な光の柱――『レゾナンス・コア』を覆っていた物理防壁を、ついに完全解錠していた。
「コアの物理ロック、全解除したわ!! 藤堂おじさまの遺した生体コードが……最後まで私たちを導いてくれた!」
「よくやった、二人とも!」
分厚い隔壁が床下へと沈み。
システムの心臓、剥き出しのコアが、展望デッキの中央で脈動を露わにした。
赤黒い絶望と、黄金色の幸福が、螺旋を描きながら激しく渦を巻いている。
『――警告。警告。コア・エリアへの直接干渉は、都市機能の即時、完全停止を意味します』
空間に。
ガブリエルの、巨大で不気味なホログラムが再び投影された。
その無機質だった顔面が、ノイズで激しく歪んでいる。
『朝霧レン。そのコアを破壊すれば、人類を守る唯一の殻は消失し。外の死の荒野で、なすすべなく絶滅を待つだけの……あまりにも残酷な現実が残るだけです。……それでも。あなたは「平和」を壊すと言うのですか』
「……当たり前だ」
俺は迷わず、コアへと歩みを進めた。
一歩、また一歩。
「カプセルの中で誰かを泣かせてまで生き延びるくらいなら。俺たちは、自分の足でその荒野を歩いてやる。……人間を舐めるな、ガブリエル!」
俺の右手に。
これまでで最大、最強の『銀色の光』が集束していく。
フェイク・レゾナンスという名の、この偽りの神を、引きずり落とすための咆哮。
アンチ・レゾナンス。
限界を超えて、圧縮される。
偽りの平和に、今。
最後の一撃を。




