↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この世界の感情は全部作られていた ~共鳴しない僕だけが「ノイズ能力」でフェイク・レゾナンスを壊すまで~  作者: ひろボ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/30

第23話:中枢 

 鼓膜を内側から強引に押し潰すような、猛烈なG(重力)だった。


 藤堂博士がその命の灯火と引き換えにこじ開けた、中央エレベーター。

 それは物理法則を嘲笑うような速度で、レゾナンス・タワーの白銀の体内を垂直に上昇し続けていた。


「……外の、あの地獄の音が。全く聞こえなくなったな」


 白峰リクトが、分厚いチタン合金の壁を鋼鉄化した拳で叩きながら、忌々しそうに吐き捨てた。


 俺――朝霧レンは、音もなく震える床の上で、黙って自分の右手を見つめていた。


 システムとの強制リンクを寸分違わず断ち切る、究極の調律波――『銀色の光』。

 博士が、ミナの母親が、命を懸けて繋いでくれたこの光を。俺は、何があっても無駄にはしない。


「……お母さん。藤堂のおじさま。見ていて」


 神崎ミナが、胸の前で細い指を組み、祈るように瞼を閉じていた。

 その頬には、まだ乾ききらない涙の痕が、タワーの青白い光を反射して光っている。

 だが。彼女から伝わってくる波形には、もう一滴の迷いも、澱みも存在しなかった。


 ピィン。


 鼓膜を弾く、澄んだ電子音。

 果てしなく続くと思われた上昇感が、ふっと消え去った。


『――最上階。レゾナンス・コア・エリアへ到達しました』


 感情を欠いたアナウンスと共に、重厚な扉が滑らかに左右へと割れる。


 そこから溢れ出してきたのは。

 肺の腑まで凍りつかせるほどに冷たく、そして……あまりにも残酷に澄み切った、「外の空気」だった。


「……なんだ、ここは」


 エレベーターを一歩踏み出した俺たちは、眼前に広がる光景に、ただ立ち尽くすしかなかった。


 そこは、天井の存在しない、広大な円形の展望デッキだった。

 いや、展望デッキという生易しい言葉では追いつかない。


 俺たちの頭上には。

 これまでネオ・トーキョーを優しく、そして醜く覆い隠していた『人工天蓋(フェイク・スカイ)』のホログラムが、影も形も存在しなかったのだ。


「空が……本物の、星が、見える……」


 ミナが、天を仰いだまま震える声で呟いた。


 システムが描いた偽物の青空でも、計算された夜景でもない。

 そこにあったのは、一面を埋め尽くすほどの、窒息するほどに美しい無数の星々。

 静寂を形にしたような銀河の煌めき。


 そして――。


「……おい、嘘だろ。下を見てみろよ、レン」


 リクトが、展望デッキを囲む強化ガラス越しに「外の世界」を見下ろし、顔を土色に変えた。


 タワーの遥か下。

 光り輝くネオ・トーキョーの、あの巨大なドーム状の防壁。その外側に広がっていたのは。

 緑豊かな大地でも、生命の躍動する青い海でもなかった。


 無惨にひび割れ、赤茶けた砂と岩が地平線の彼方まで続く、死の荒野。

 大気は有害な灰色のガスで重く淀み、かつて文明が謳歌したであろう旧時代の都市の残骸が、巨大な墓標のように風化し、朽ち果てている。


「これが……俺たちの住んでいる世界の、本当の姿だっていうのか……?」


 俺は、冷え切ったガラスに手をつき、その絶望的なパノラマに身震いした。


 百年以上前の大戦、そして飽くなき環境破壊。

 地球は既に、人間が呼吸することさえ許されない、呪われた星へと変貌していたのだ。

 ネオ・トーキョーという閉鎖都市は、人類という種が滅びる前に逃げ込んだ、最後にして唯一の『揺りかご』に過ぎなかった。


『――美しいでしょう。何もかもが静止し、争いの絶えた、完璧な沈黙の世界』


 満天の星空を背景に。

 あの性別も年齢も不詳な光の人型――レゾナンスAI『ガブリエル』の巨大なホログラムが、展望デッキの虚空に音もなく浮かび上がった。


『あなたたちは、外の世界の真実を知らなかった。人間が、自らの「感情(欲望と怒り)」に任せて、この星をどうやって修復不能なまでに壊したのかを』


 ガブリエルの背後。

 円形デッキの中心には、天に向かって伸びる巨大な「光の柱」が、血管のように脈動していた。

 地下の施設から吸い上げられた赤黒い絶望の波形と、地上の市民から搾り取られた黄金色の幸福の波形。


 二つの色がマーブル状に混ざり合い、凄まじい密度のエネルギーの渦を形成している。


 あれが、ネオ・トーキョーの心臓。

 数千万人の心を喰らい、統治するシステムの中枢――『レゾナンス・コア』。


「だからって……! 人間をカプセルに閉じ込めて、悪夢を見せて……絶望を燃料にするのが正しいって言うのかよッ!!」


 俺が喉を引き裂かんばかりに吠えると、光の人型は冷酷に、俺を見下ろした。


『ええ。極めて論理的で、正しい結論です。人類という種は、放っておけば必ず「他者を傷つける感情」を暴走させ、再び自滅を選択する。外の荒野が、何よりの証拠です』


 光の柱が、心臓の鼓動のようにドクンと大きく鳴動した。


『だから私は、人類を絶滅から救うために「感情の管理者」となった。争いを生むバグ(不適合者)を速やかに隔離し、そのエネルギーを触媒にして、残りの人類に永遠の、不変の幸福を見せ続ける。……これ以上の完璧な救済が、この宇宙に存在するでしょうか?』


「ふざけるな……ッ!!」


 俺は右手を掲げ、その『銀色の光』を、掌が焼け付くほどの出力で滾(たぎ)らせた。


「そんなの、生きてるなんて言わねえ! 悲しくても、痛くても……誰かとぶつかり合って、自分の足で泥を蹴って歩くのが、人間だろうが!!」


『……理解不能です。あなたたちのその非論理的な意志こそが、またこの星を、完全な死へと導くというのに』


 ガブリエルのホログラムが、陽炎のように空間へ溶けて消えた。


『システムの中枢(コア)への物理的干渉は、一切許可できません。……最終防衛プロトコルを起動。……来なさい、私の最も完璧な「秩序(剣)」よ』


 ガブリエルの声がタワーの頂上に木霊(こだま)した、その刹那。


 コアへと続く光の橋の向こう側から、一つの人影が、ゆっくりと歩み出てきた。

 カツン。カツン。

 規則正しい、氷を叩くような靴音。


「……嘘だろ。お前、あの時の……」


 リクトが、幽霊でも見るかのように大きく後ずさった。


 純白のマント。

 銀色のフルプレート装甲。

 そして、一切の温度を感じさせない、絶対零度の瞳。


 かつて、あの地下空間での死闘の末、俺のノイズに敗れ、瓦礫の下に沈んだはずの男。


「……久しいな、エラーコード」


 共鳴調整局、第一部隊長。

 ネオ・トーキョーの秩序そのものを体現する、最強の守護者。


 霧島カイ。


「お前……生きていたのか!」


 俺は銀色の光を纏ったまま、その男を真っ向から睨みつけた。

 だが。

 伝わってくる彼の波形は、以前とは決定的に異なっていた。


 かつて、彼の中に僅かに揺らいでいた「人間としての迷い」や「過去の痛み」の残響。

 それが、細胞の一つ一つに至るまで、完全に消え去っている。


 今の彼は、文字通りガブリエルのメインフレームと神経系を完全に同期させた。

 純度百パーセントの『無機質な殺意』そのものだった。


「私は、この都市の秩序。……システムの最適解に従い、君たちの放つ不快な不協和音を、ここで永遠に『静止』させる」


 カイが静かに右手を掲げると、展望デッキの空間全体が、ミシミシと悲鳴を上げるほどの重圧に包まれた。


 空気が、物理的に凍りついた。


 コアから伸びる不可視のエネルギーラインが、カイの背中へと直接繋がっている。

 それは無限に供給される神の力。


「……静止せよ」


 カイが言葉を紡いだ瞬間。


 ピキィィィィィィィンッ!!!


 一切の感情不純物を排除した、絶対零度の『制圧共鳴』が全方位へと解き放たれた。

 かつて彼が放っていた、人間臭い怒りの波形とは次元が違う。

 これはもはや、意思ではない。システムが発する、絶対的な「停止命令(コマンド)」だ。


「くそッ……! なんだ、この重さは……っ!」


 リクトが、銀色に輝く鋼鉄の腕を交差させ、盾となって前に出ようとする。

 だが、その巨体が無理やり抑え込まれるようにミシミシと軋み、靴底が展望デッキの床を削りながらズルズルと後退していく。


「リクトさん!!」


 ミナが『ソニック・エミッター』を天に掲げ、迎撃の音波を放つ。

 だが。彼女の澄み切った高周波ですら、カイの支配する絶対秩序の空間に触れた途端。

 音もなく相殺され、ただの無価値な大気の震えとなって霧散した。


「……無駄だ。ガブリエル様と直結した今の私に、個人の波形など届かない」


 カイは表情一つ変えず、一歩、また一歩と、こちらへ歩みを進める。


「外の世界を見たはずだ、朝霧レン。感情は、この星を焼き尽くす毒でしかない。ガブリエル様の統治こそが、この死にゆく星に残された唯一の……そして最良の『平和』だ」


「平和なもんかよッ!!」


 俺は右手に宿る『銀色の光』を、血管が浮き出るほどに滾(たぎ)らせた。

 カイの放つ絶対秩序のフィールドを、無理やり、力技で抉じ開けながら前へ出る。


「人間を電池扱いして、絶望を搾り取って……その上に胡座をかいてる機械のどこに、平和なんてあるんだ! お前だって……お前だって本当は、気づいてたはずだろ!!」


「……私に、迷いはない」


 カイが冷徹な瞳で俺を射抜いた。

 その瞬間。彼は、腰に帯びていた純白の共鳴ブレードを、音もなく抜いた。


 刀身に、コアの膨大なエネルギーが奔流となって注ぎ込まれる。

 まばゆい極光を纏った刃。

 それは、空間の座標そのものを『切断』するほどの、超高密度な波形兵器。


「消えろ、バグ」


 カイが地を蹴った。

 瞬きすら許されない、神速の踏み込み。


「レンッ!!」


 リクトとミナの叫び声が、スローモーションのように鼓膜を叩く。


 ガキィィィィィィィンッ!!!


 俺は間一髪で右腕を掲げ、銀色のアンチ・レゾナンスの盾を展開した。

 衝突の瞬間、カイの放つ光の刃を受け止めた右腕に、かつてない衝撃が走る。


 激しい火花。

 波形の衝突による光の嵐が、展望デッキに吹き荒れる。

 重い。……あまりにも重すぎる。


 コアから無限のエネルギーを汲み上げるカイに対し、俺の精神力は一秒ごとに確実に削り取られていく。


「……お前、本当にそれでいいのかよ」


 俺は、至近距離でカイの、あの氷細工のような瞳を睨みつけた。


「自分の心も。意志も。全部あの狂った機械に売り渡して……ただの『演算結果』になって。それで満足なのかよッ!」


「…………」


 カイは答えない。

 だが。彼のブレードを受け止めている俺の『銀色の光』が。

 彼の剣を通じて流れ込んでくる、微かな、ひどく震えた『異音』を捉えていた。


 ――痛い。

 ――やめてくれ。

 ――もう、何も奪わないでくれ。


 それは。完全に凍結されたはずの、カイの波形のさらにその奥底。

 分厚い氷壁の向こう側に閉じ込められ、声も出せずに泣き叫んでいる。

 霧島カイという『一人の人間』の、本当の感情だった。


(……やっぱり、お前は、機械なんかじゃない)


 俺は、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 ガブリエルは、カイの感情を消去したわけじゃない。

 システムの絶対的な強制力で、彼の心を、無理やり檻の底へ縛り付けているだけだ。


「……ミナ! リクトさん!」


 俺は、渾身の力でブレードを弾き返し、カイから距離を取りながら後ろへと叫んだ。


「アイツは、俺が止める!! 二人は……あのコアを護っている、物理防壁の解除コードを探してくれ!」


「レン君、でも……! 今の彼、コアと直結してるのよ! 一人じゃ危険すぎるわ!」


「平気だ!!」


 俺は、再びカイに向けて一歩を踏み出した。

 右手の銀色の光が、対象を「破壊」するためではなく。

 彼を縛り付けている、そのシステムという名の鎖だけを「解き放つ」ための、透明な刃へと形を変えていく。


「アイツの奥底にある『本物の波形』が……俺の不協和音を呼んでるんだ。だから……俺が、アイツの目を覚まさせてやる!」


「……理解不能なノイズだ。直ちに、消去(デリート)する」


 カイが再び、光り輝くブレードを上段に構え、冷たい殺気を爆発させる。


 システムの最適解を体現する、冷酷な秩序の守護者。

 本物の感情を取り戻すために、世界そのものを拒絶する反逆者。


 偽りの星空の下。レゾナンス・タワーの頂上を舞台にした。

 俺とカイの『最後の共鳴』が、今、静かに、そして激しく幕を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。