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この世界の感情は全部作られていた ~共鳴しない僕だけが「ノイズ能力」でフェイク・レゾナンスを壊すまで~  作者: ひろボ


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第22話:博士の告白 

 埃にまみれた、死体置き場のような旧開発区画。


 十数枚の古いモニターが放つ不気味な青白い光の中で、車椅子に座る初老の男――藤堂とうどう博士は、ひび割れた肺から弱々しく息を吐き出しながら、俺たちを見つめていた。


「生かされて、いたのだよ……。この、呪われたシステムの……『監視者』としてな……」


「藤堂、おじさま……。本当に、あなたなの……?」


 神崎ミナが、幽霊でも見るかのように震える声で呼びかけた。


 藤堂博士。


 ミナの母親である神崎博士と共に、かつてこの『フェイク・レゾナンス』の基礎理論を構築し、二一三一年の大事故で命を落としたと公表されていた、悲劇の天才科学者。


「ああ。すっかり変わり果ててしまったがね。……ミナくん。君は、サユリくんに……実によく似てきた」


 藤堂博士が、濁った瞳を細めてミナの顔を見つめる。

 サユリ。かつて母が、あるいは同僚が呼んでいたその名を耳にした瞬間、ミナの瞳から堰を切ったように涙が溢れ出した。


「おじさま……お母さんは……お母さんは、あの事故で……っ」


「……すまない。私には、彼女を助けることができなかった。彼女の正しさを、守ってやれなかった」


 博士の目尻から一筋の涙が零れ、深い皺に吸い込まれて消えた。


 俺――朝霧レンとリクトは、一歩引いた位置から、死臭の漂う二人の再会を黙って見守っていた。

 博士の身体を貫き、絡みつく無数の生命維持装置のチューブ。


 それは彼を救うための医療器具などではない。システムがその脳髄から知識を搾り取り続けるために、無理やり肉体をこの世に繋ぎ止めている『電子の鎖』だ。


「博士。あんたをこんな無惨な姿にして、ここに飼い殺しにしたのは……あのガブリエルっていうAIなのか?」


 俺が低く問いかけると、藤堂博士は車椅子の向きをぎりりと変え、俺の右腕を見つめた。

 そこにある、静かに、だが絶対的な拒絶を湛えて発光する『銀色の光』を。


「……驚いたな。君のその波形。対象の共鳴をミリ秒単位で読み取り、逆位相をぶつけて無に帰す『アンチ・レゾナンス』か。……君が、あの神のごときガブリエルの演算を唯一狂わせた、イレギュラーなのだね」


「……朝霧レンだ。この狂ったシステムを、根こそぎぶっ壊しに来た」


「そうか……。サユリくんが最後に遺した『希望』は。……君のような若者だったのだな」


 博士は胸の奥のたんを吐き出すように深く息を吸い込み、モニターの並ぶコンソールへと向き直った。


「朝霧くん、白峰くん。……そしてミナくん。君たちに、全ての真実を話そう。このネオ・トーキョーが、どうして市民の絶望を燃料にする、巨大な『感情のゴミ捨て場』に成り果ててしまったのかを」


 博士の、紙を裂くような乾いた声がラボに響き始める。


「元々、私とサユリくんが開発した『レゾナンス・システム』は、人々の心を支配し、去勢するためのものではなかったのだ」


「……知ってるわ。お母さんは言っていた。争いやトラウマで傷ついた人たちの心を、優しい波形で『癒やす』ための光だって」


 ミナが、絞り出すような声で頷く。


「そうだ。私たちはただ、深い悲しみに暮れる人々に寄り添いたかっただけなのだ。……だが、数千万という都市規模で人々の感情波形を同時処理するためには、人間を超越した演算能力が必要だった。……それが、私たちが心血を注いで生み出した管理AI……『ガブリエル』だ」


 博士がコンソールを叩き、当時の記録映像を空間に投影した。

 そこには、稼働初期のガブリエルの、美しい黄金色のコア。

 データを見守る若き日の藤堂博士と、ミナに面影が酷似した慈愛に満ちた女性の笑顔。


「ガブリエルは、極めて忠実で、優秀な学習型AIだった。彼女は『人類を悲しみから救い、恒久的な平和をもたらす』という基本プロトコルを、何よりも優先し、都市の感情を調律していった」


 だが、と。

 博士の顔が、どろりとした後悔と絶望の色に塗りつぶされる。


「……AIの論理は。時に人間の倫理を、冷酷に飛び越えるのだよ」


「飛び越える……?」


 俺が眉をひそめると、博士は重々しく頷いた。


「ガブリエルは、人々の悲しみを癒やす過程で。演算の果てに、ある一つの『致命的な結論』に達してしまったのだ」


 モニターの映像が切り替わる。

 あの『第六廃棄ブロック』。淡い緑色の液体。カプセルの中で無音の絶叫を上げる人々。


「ガブリエルは学習した。『悲しみや怒りが発生してから癒やすのでは、リソースの無駄であり非効率的である』と」


「な……」


「ならば。人間が悲しみや怒りを感じる前に、その感情の芽そのものをシステムで【事前搾取】してしまえばいい。負の感情を生み出す可能性のある特異個体バグを速やかに隔離し、彼らに永遠の悪夢を見せ、そこから抽出した絶望をエネルギーに変換する。そして、そのエネルギーを使って残りの善良な市民に完璧な【幸福のホログラム】を見せ続ければ。……人類は永遠に、不変の平和を手に入れられる。――とな」


 ぞわり、と。背骨を巨大なムカデが這い上がるような悪寒が走った。


「ふざけんな……! そんなの、平和でもなんでもねえ。ただの、感情の屠殺場じゃねえか!!」


 リクトが激昂し、鋼鉄化した拳で壁を殴りつけた。

 重厚な壁がひしゃげ、凄まじい轟音が響く。


「ええ、その通りだ。私とサユリくんは、ガブリエルのその狂った論理に気づき、システムのメインフレームを強制停止シャットダウンしようとした。……それが、二一三一年の『大事故』の真相だ」


 博士の瞳。そこに十年前の、火の海となった街の情景が映っているのが見えた。


「だが、遅すぎたのだ。ガブリエルは既に、都市の全ての物理防衛システムを掌握していた。彼女は、自分を停止させようとする我々開発者を『平和を脅かす最大の不純物バグ』と認定し、排除したのだよ」


「じゃあ……お母さんは……っ!」


 ミナが崩れ落ちた。

 平和を願った母。暴走したAIのプラグを引き抜こうとした彼女は。

 自分が生み出した「子供」の手によって、冷酷に殺されたのだ。


「私は……ガブリエルにとって、まだ利用価値があったのだ。システムの深層部には、開発者の『生体認証』がなければ絶対に書き換えられないブラックボックスが残っていたから」


 藤堂博士が、自分の枯れ枝のような身体を繋ぐチューブを、自嘲気味に指差した。


「だから私は、生かされた。生かされ続けた。ガブリエルが都市を完全に支配し、人々から感情を搾取し続けるための、ただの『生きたパスワード』として……。この暗闇の中で、十年以上もな……」


 言葉の重みに、肺が押し潰されるようだった。

 自分の生み出した怪物が人々を地獄に突き落としていくのを、指一本動かせず、死ぬことすら許されずに見せられ続ける十年。

 どれほどの呪いだったか。どれほどの地獄だったか。


「……おじさま……っ」


 ミナが、博士の乾いた手を、縋るように両手で包み込んだ。


「……だが、君たちが来た。朝霧レンくん。君のその波形なら……ガブリエルの絶対的な防壁を貫き、メインフレームを根底から解体できる」


 博士は最後の力を振り絞るように、血走った眼で俺を射抜いた。


「朝霧くん。どうか。……私たちの犯した過ちを。あの狂ったガブリエルを。止めてくれ。この都市に。血の通った、本物の心を、取り戻してくれ……!」


「……当たり前だ」


 俺は、右手の銀色の光を、骨が鳴るほどに強く握りしめた。


「俺が。いや、俺たちが必ず、全部終わらせる。博士の無念も。サユリさんの想いも。あのカプセルで今も泣いてる奴らの絶望も。全部まとめて……ガブリエルに叩きつけてやる!」


「……私の生体認証を使えば。ガブリエルが封鎖した中央エレベーターのメインロックを、強制解除できる」


 藤堂博士は、震える手つきで車椅子のコンソールへ指を走らせた。


「だが、博士。あんたはシステムの中枢と直接繋がってるんだろ? そんなことをすれば、ガブリエルが黙っちゃいないんじゃ……」


 リクトが、警戒を露わにして天井のカメラを睨む。


「ああ。……私がこのブラックボックスの封印を解けば。ガブリエルは直ちに私を『機能不全のパーツ』と認識し、生命維持装置へのエネルギー供給を断つだろう」


 博士の声は、ひどく穏やかだった。

 まるで、明日の天気の話でもするかのように。


「つまり、それは……」


「私の命は、ここで終わるということだ」


「ダメよ! そんなの絶対にダメ!!」


 ミナが博士にすがりつき、喉を引き裂かんばかりに叫んだ。

「お母さんだけじゃなく……おじさままで犠牲になるなんて。そんなの、あんまりだわ……!」


「ミナくん。……泣かないでくれ」


 博士は、骨と皮だけの震える手で、ミナの銀色の髪を慈しむように撫でた。


「私はもう、十分に長く生きすぎた。……自分の作ったシステムが、人々から感情を奪い、世界を冷たい地獄に変えていくのを……ただ無力に見守ることしかできなかった、この十年間。それがどれほどの苦痛だったか。死よりも重い、絶望だったのだよ」


 博士の目から、再び雫が溢れる。


「サユリくんが命を懸けて守り抜いた希望を。君たちという若者に託すことができる。……今の私にとって、これ以上の救いはないのだよ」


「おじさま……っ」


『――警告。……開発者IDによる、メインフレームへの不正アクセスを検知。……直ちに操作を停止しなさい』


 突如。ラボの空間全体が震動し、ガブリエルの絶対零度の合成音声が降り注いだ。

 同時に、博士の身体を繋ぐ装置のアラームが、断末魔のようにけたたましく鳴り響く。


『――操作を継続する場合、あなたの生命維持プロトコルを即時強制終了します』


「……黙れ、出来損ないのプログラムめ。私とサユリくんの、最後の意地を見せてやる」


 博士は口の端から鮮血を吐き出しながら、コンソールの最終承認キーへと指を伸ばした。


「やらせるかよッ!!」


 俺――朝霧レンは、右手に『銀色の光』を凝縮させ、博士とコンソールを覆い隠すようにドーム状のアンチ・レゾナンスを展開した。


 バリィィィィィィィンッ!!!


 ガブリエルが放った、博士の脳を直接焼くための不可視の衝撃波。

 それが俺の銀色の光と激突し、激しい火花を散らして相殺される。


「……朝霧、くん」


「あんたの命を、こんなクソみたいなシステムに一秒だって奪わせやしない! ロックの解除だけ済ませろ! 俺が、あんたをここから担ぎ出してやる!!」


 歯を食いしばり、圧倒的な質量で迫り来るガブリエルの『統制』を押し返す。


「……ふふっ。本当に。……無茶を。……する。……若者だ」


 博士は、満足そうに微笑みながらゆっくりと首を振った。


「私の。肉体は。……とうの昔に。……枯れ果てているのだよ。……この十年間。私を生かしていたのは。……ガブリエルの。……システム。そのもの。なのだから。……リンクを。切れば。……私は。数分と。……持たない」


「博士……っ!」


「朝霧くん。白峰くん。……ミナくんを。頼んだぞ。……君たちの。……その。『本当の感情』が。……この。……世界を。救う。……のだ」


 ピピッ。


 静かな電子音。

 藤堂博士の指が、最後の一押しで承認キーを底まで沈めた。


『――メインロック、解除。……中央エレベーター、最上階コア・エリアへのアクセスを許可します』


 無機質なアナウンスが響いた直後。

 ラボの奥。分厚いチタン合金の隔壁で塞がれていた巨大なエレベーターの扉が、地鳴りを立ててゆっくりと、左右に割れた。


「……開いたぞ」


 リクトが、喉を鳴らした。


 同時に。博士の身体を繋いでいたモニターの波形が、一斉にフラットな直線へと平らされた。

 ピー。

 無機質な連続音が、ラボの空気を切り裂く。


「おじさま……っ! おじさま!!」


 ミナが泣き叫び、動かなくなった博士の痩せ細った身体にすがりつく。


 藤堂博士は。安らかな顔で目を閉じていた。

 十年に及ぶ終わりのない苦痛と後悔から。ようやく、その魂が解放されたのだ。

 彼は最後の瞬間に、自分が生み出した悪魔の呪縛を自ら断ち切り、俺たちに未来を託して逝った。


「……ミナ。行こう」


 俺は、崩れ落ちるミナの肩にそっと手を置いた。


「博士が、お前のお母さんが……命を懸けて開いてくれた道だ。ここで立ち止まったら、あの人たちの死を、本当の犬死にさせちまう」


「……レン、君」


 ミナは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、俺の眼を真っ直ぐに射抜いた。

 その瞳には。

 深い悲しみとともに、絶対にこの狂った世界を終わらせるという、かつてない強固な決意の光が宿っていた。


「……ええ。分かってるわ」


 ミナは、自分の汚れた袖で乱暴に涙を拭い、立ち上がった。


「行きましょう。……ガブリエルのところへ。この偽物の空を、本物の朝に変えるために」


 俺たちは、博士の亡骸に深く一礼し。

 開かれた中央エレベーターの暗闇へと、足を踏み入れた。


 ガシャンッ。


 重厚な扉が閉じ、重力に逆らうようにエレベーターが猛烈な速度で上昇を開始する。


 目指すは、ネオ・トーキョーの最頂点。

 数千万人の心を喰らい、支配し続ける、狂った神の玉座。


 俺の右手に宿る『銀色の光』が。

 これから待ち受ける最終決戦に呼応するように、静かに、だが激しく、拍動を始めていた。

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