第三話:氷舞う庭、理の王の導き
『カラー』の追撃を予見した朝から、数時間が経過した。 天導家の裏手にある広大な平原。ここはかつてゼルが「普通」を求めて手に入れた場所だったが、今は新たな仲間――天導スイの戦力を見極めるための特訓場となっていた。
「……はぁ、はぁ……っ」
スイが杖を構え、肩を大きく上下させる。 彼女の足元は、無意識に漏れ出す魔力によって半径数メートルが完全に凍土と化していた。
「スイ、動きが硬い。魔法の出力は申し分ないが、お前自身が『寒さ』に依存しすぎている」
数歩先、ゼルは愛刀を鞘に収めたまま、自然体で立っていた。 周囲には、彼が放つ微かな「雷」の火花がパチパチと音を立て、スイの冷気を相殺している。
「でも、私の能力は……気温が低いほど、強くなるから……」
「理屈はそうだ。だが、実戦で敵が常に氷点下のフィールドを用意してくれるとは限らない。俺のように火や雷を扱う相手なら、お前が凍らせる端から溶かされるぞ」
ゼルの言葉は厳しいが、その瞳にはスイを案じる色が宿っている。 傍らで戦況を見守るアルテミスが、静かに補足した。
「スイ。主が仰りたいのは、環境を作る側の意識を持つということです。待つのではなく、自らの魔力で世界を染め上げる……それが、神の血を継ぐ者の戦い方です」
「……世界を、染める……」
スイは目を閉じ、自身の奥底に眠るボレアースとポセイドンの力を探る。 冷たく、深く、すべてを沈める水の奔流。そして、すべてを沈黙させる冬の嵐。
「……やります。ゼル、もう一度!」
「いい返事だ。……じゃあ、次は少し速度を上げるぞ」
ゼルが指先を鳴らすと、鋭い『雷』が地面を走った。 まだ洗練される前の荒々しい雷光だが、その速度はスイの反応を追い越そうとする。
「っ……速い……!」
スイは反射的に杖を振り上げ、厚い氷の壁を生成する。 しかし、ゼルの雷は氷の隙間を縫うように折れ曲がり、スイの足元を正確に狙う。
「壁を作るだけじゃ防げない。雷は、伝導するものがない場所……つまり、空気そのものを絶縁体にするくらいの冷気で封じ込めろ」
「空気、そのものを……! 『氷華・乱舞』!」
スイは放たれた氷の礫を自分自身の周囲で砕き、粉末状の冷気として展開した。 過冷却された空気の層が、ゼルの雷の軌道を乱していく。
(……いいぞ。液体や粉末の状態を操れれば、攻撃の幅は格段に広がる)
ゼルは感心しながらも、自身の能力『感情の終着点』を発動させた。 スイの「焦り」「迷い」、そして「期待に応えたい」という強い願いが、色を伴って伝わってくる。
「スイ、左だ。……意識が右に寄りすぎている」
「えっ……!?」
ゼルの言葉通り、スイが右側の守りを固めた瞬間、ゼルは左側から回り込み、彼女の肩を軽く叩いた。
「今日の特訓はここまでだ。アルテミス、夕飯の買い出しに付き合え。スイ、お前はシャワーを浴びて休んでろ」
「はい、ゼル様。スイ、貴女の成長は目覚ましい。誇りなさい」
アルテミスの言葉に、スイは小さく、けれど確かな自信を込めて頷いた。
夕暮れ時。 買い出しに向かう道中、ゼルは隣を歩くアルテミスに、ふと声をかけた。
「……アルテミス。さっきの特訓中、また感じたんだ」
「視線、ですね」
アルテミスの表情が険しくなる。 ゼルは頷き、自身の胸元を抑えた。
「ああ。スイを導こうとしている俺を、どこか遠くから、泣きそうな顔で見ている奴がいる。……『感情の終着点』に、どろりとした黒い塊のような、悲しい殺意が混じって届くんだ」
「それがもし紅月色葉だとしたら……。ゼル、貴方はどうしますか?」
「……決まってる。俺がアイツを止める。これ以上、アイツにそんな悲しい感情を持ってほしくないからな」
ゼルはふと、自分の掌を見つめた。 あの日、色葉との決別の中で目覚めてしまった、触れた対象を無理やり押し潰すような、あの理外の力。 発動のコントロールこそできるようになったが、その威力は未だに「全開」のままで、微調整など不可能に近い。 スイのような仲間に向けるにはあまりに危うく、特訓で使うことなど到底できない代物だ。
(……もし色葉を連れ戻す時に、この力が暴発したら……)
掌を握りしめると、内側に潜む強大な圧力の種が、重々しく疼いた。 まだ自分の中にある「色葉への特別な感情」が何なのか、彼は正しく理解していない。 けれど、空席の「No.0」に座るべき少女が、もし自分に刃を向けてくるのだとしても。
「……絶対、連れ戻す。俺たちが『普通』に笑える場所へな」
理外の王の瞳に、雷火と、そして未完成な強者の覚悟が宿った。




