第十話:断絶の境界線
セツナが消えゆく間際に指し示した扉の先。そこは、組織『カラー』の「上層」――研究施設の集大成とも言える、巨大な重力安定装置が唸りを上げる心臓部だった。
「……ここが、上層。これまでの階層とは空気が違うわ」
リアが鋭い風の感覚で周囲を警戒する。通路の壁一面には、これまでの「神の子」たちの実験データが不気味に流れ続けていた。
しかし、そこに守護者の姿はない。ただ一つ、天を貫くような光の柱を放つ、最上階へと続く昇降機があるだけだった。
「……色葉は、あの上にいるんだな」
ゼルが光の柱を見上げると、**『感情の終着点』**がこれまでにない衝撃を感知した。
悲しみ、怒り、慈しみ……それらすべてが渾然一体となり、巨大なブラックホールのように周囲の感情を吸い込んでいる。
「待ってください、ゼル様」
アルテミスが彼の前に立ち、その道を遮った。
「この先、上層より上の階層は、組織の首領と『No.0』のためだけに設計された聖域。……今の貴方の状態で踏み込めば、命の保証はありません」
「……それでも行くよ。あそこにアイツがいるならな」
ゼルが昇降機へ歩みを進めようとしたその時、背後の闇から、無数の「人造神の子」のクローン兵が溢れ出してきた。
「――っ、しつこい連中だ!」
ジンが矢を番え、スイが杖を構える。だが、クローンたちの数は数百、数千。文字通り、上層を埋め尽くすほどの物量だった。
「ここは俺たちが食い止める!」
ジンが叫ぶ。
「ゼル、お前は上へ行け! 色葉を救えるのは、お前だけだ!」
「ジン……」
「行って、ゼル。私たちは大丈夫。……約束したでしょ、みんなで一緒に住むって」
スイが冷気を爆発させ、クローンたちの足を凍らせる。リアの風が、アルテミスの月光が、ゼルのための道を切り拓いていく。
「……悪い。……すぐ、連れ戻してくる!」
ゼルは仲間たちに背を向け、独り昇降機へと飛び込んだ。
上昇する視界の中で、戦い続ける仲間たちの姿が小さくなっていく。
重力加速。
そして辿り着いた、雲の上、月が最も近くに見える場所――「天空の庭」。
そこには、風の音さえも届かない静寂があった。
中央に据えられた空席の椅子。そして、その傍らに立ち、月を見上げる一人の少女。
「……来たんだね。ゼル」
聞き慣れたはずの、けれどどこか透き通るように冷たい声。
振り返った色葉の瞳には、かつての温かさは欠片もなかった。彼女の背後には、神のDNAが完全に暴走した証である、黒い翼のような魔力が揺らめいている。
「色葉……。やっと、会えた」
「……どうして? 私は全部壊したいのに。この汚れた世界も、私をこんな風にした組織も……私を一人にした、君も」
色葉が手をかざすと、空間が歪んだ。
**『感情の終着点』**が警鐘を鳴らす。
今、彼女から向けられているのは、愛着を裏返した、純粋な「消滅」の願い。
「……仲間の助けは借りない。これは、俺とお前の問題だ」
ゼルは刀を抜き、重力の中心を定める。
「お前がこの世界を汚れていると言うなら、俺がその汚れを全部引き受けてやる。……だから、色葉。お前はただの、俺の友達に戻れ」
「……無理だよ。私はもう、『紅の11号』なんだから」
色葉の足元から、黒い衝動が溢れ出す。
月下の庭で、理外の王と、かつての親友による「二人きり」の死闘が、静かに幕を開けた。




