第九話:硝子の庭と虚像の守護者
低層を突破し、一行が辿り着いた「中層」――そこは、これまでの無機質な施設とは打って変わり、見渡す限り透明な硝子で造られた巨大な植物園のような空間だった。
「……綺麗な場所。でも、嫌な予感がする」
スイが杖を握りしめる。彼女の氷の魔力が、硝子に反射して幾重にも歪んでいた。
中層の守護者、それは『カラー』の中でも異質な存在として知られる「白銀の10号」セツナ。
彼女はかつてアマテラスのDNA適合試験でゼルと競い合い、敗れたはずの少女だった。
「お久しぶりね、ゼル。いえ、今は『理外王』なんて大層な名前で呼ばれているのかしら」
硝子の樹木の上から、白銀のドレスを纏った少女が舞い降りる。彼女の手には、光を屈折させる特殊な細剣が握られていた。
「セツナ……。お前、死んだんじゃなかったのか」
「組織が私を捨て置くはずないわ。貴方に勝つために、私は『自分』を捨てて、この鏡の世界の住人になったのよ」
セツナが剣を振ると、周囲の硝子が一斉に光を放った。
能力:『鏡面世界の残響』
反射する光の中に、無数のセツナの幻影が現れ、実体を持ってゼルたちを包囲する。
「……っ、どれが本物だ!?」
ジンが矢を放つが、矢は硝子に当たって跳ね返り、逆に自分たちを襲う。
「無駄よ。この鏡の庭では、貴方たちの攻撃はすべて自分たちへ帰る。そして私の刃だけが、貴方たちの喉元を貫く」
四方八方から迫る白銀の残影。アルテミスが月光で照らそうとするが、強すぎる光は鏡に反射し、逆に味方の視界を奪ってしまう。
「アルテミス、光を絞れ! リア、風で反射の角度を狂わせろ!」
ゼルの指示に仲間が動くが、セツナの幻影は消えない。それどころか、セツナから伝わってくる感情がゼルの**『感情の終着点』**をかき乱していた。
(……なんだ、この感情は……!?)
嫉妬、執着、そして「自分を見てほしい」という叫び。だがその奥に、致命的なまでの**「空虚」**が混ざっている。
「……セツナ。お前、もう自分が誰かも分からなくなってるんだな」
「黙りなさい! 私を哀れむなんて許さない!」
逆上したセツナが、実体を伴って突進してくる。
ゼルは刀を抜かず、あえて目を閉じた。
「ゼル!? 何を……!」
スイの叫びを無視し、ゼルは「視覚」を捨て、「感情の糸」だけを辿る。
無数の幻影が発する偽物の感情の中に、一つだけ、ドロリとした重い「執着」の塊がある。
「――そこだ」
ゼルは最小限の動きでセツナの刺突をかわし、彼女の細剣の根元を掴んだ。
「捕まえたぞ」
「……っ、離して! 鏡に焼かれなさい!」
セツナが周囲の硝子を集束させ、熱戦を放とうとする。だが、ゼルが掴んでいるのは剣だけではない。彼の能力が、セツナの「存在」そのものに重圧をかけ始めていた。
「セツナ、俺に向けたその感情を、全部力に変えさせてもらう。……お前を縛る鏡を、全部ぶち壊すために!」
『感情の終着点』――反転解放。
ゼルが蓄積したセツナの負の感情を、純粋な衝撃波として掌から解き放つ。
パリン、と世界が割れる音がした。
周囲の硝子の樹木、壁、そして無数の幻影が、ゼルの咆哮と共に粉々に砕け散る。
鏡の世界が崩れ、剥き出しの冷たいコンクリートの部屋が姿を現した。
「……ああ……私の世界が……」
膝をつくセツナ。その目からは、鏡の破片のような涙がこぼれていた。
「俺は、お前をライバルだと思ったことは一度もない。……俺たちは、ただの子供だったはずだ」
ゼルが手を差し伸べるが、セツナはその手を拒むように首を振った。
「……今の私は、もうこの中層の維持システムと繋がっている。ここを離れれば、私は消えるわ。……行きなさい、ゼル。貴方の探している『彼女』は、もっと深い闇の底にいる」
セツナは最期の力を振り絞り、上層へ続く封印された扉を指し示した。
「……色葉。彼女は、もう貴方の知っている色葉じゃない。……それでも、行くのね」
「ああ。決まってるだろ」
ゼルは一度だけ振り返り、仲間と共に開かれた扉の向こう――ついに組織の「上層」、色葉が待つ絶対域へと足を踏み入れた。
背後で、硝子の崩れる音が静かに響いていた。




