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目の前の司祭様の方へぐっと身を乗り出せば、彼は驚いた顔で少し身体をのけ反らせたあと立ち上がり、私に手を差し伸べてきた。
「だったら、私と結婚しようじゃないかベアトリス嬢」
「け、っこん……?」
司祭様の口から、とんでもない提案が飛び出した。
「ああ。要するに、お嬢さんの婚姻の宣言がちゃんとなされればいいんだ。ということは、サインをしてしまっているベアトリス嬢はこの日付のうちに適当な夫を探す必要がある。そして都合のいいことに、今お嬢さんの一番近くにいる男である私は未婚だ。ふたりが結婚するのに、なんら問題はない」
「で、ですが、先ほどサインする時、私はエミリオ様に愛を誓って」
「いないよ」
「え?」
「誓ってない。お嬢さんは『この男を夫とする』誓いを立てただけだ。その相手が第二王子だとは言ってはいない。つまり、あの場にいた男であれば問題は生じない」
「そんなこと、ありますか」
「あるんだよ」
にまぁっと笑った司祭様は、この事態を予測していたのだろうか。念には念を入れてよかった、なんて言っているのを聞きながら、私は絶句していた。
「元大司祭という肩書ならば、まあそこそこの価値はあるんじゃないか? 自分で言うのもなんだが、お嬢さんの好みがどうかは別として、顔だって悪くない。一応これでも爵位持ちでね。公爵ほどではないが下級貴族でもない。契約上の夫だとしても、ご両親には納得していただける身分じゃないかと自負している」
どうだ? と聞かれてもすぐに答えは出ない。元大司祭だという彼は爵位持ちだというが、王家主催の宴でこのような男性を見かけた記憶はない。その言葉が本当かどうかもわからない。それに、こういうことは個人間での話ではなくて、家同士の話でもある。そんなことをしどろもどろに言えば、彼は腕を組んで呆れ顔をした。
「しかし、ベアトリス嬢のご両親も聖女の歓迎会へ出席しているだろう? しかも、場所は王城。あなたと婚約破棄をしたその当家のお膝元だ。そんな場に新しい男との結婚を今すぐに認めてくれと言いにいくなんてできるかい?」
「それは……いくらなんでも、非常識、ですよね。お祝いの場に、水を差しかねませんわ」
「だろう? さっきの今であなたが直接宴の場に顔を出せば注目の的になるだろうし、王城の周囲には聖女を自国のものにしようという不敬な輩がいる可能性だってある。そんなのにあなたまでも目をつけられたら? 正式な手順を踏んでくれたならまだマシ。婚約破棄されている娘ならどうとでもなると考える不埒なものもいるかもしれない。だが歓迎会が終わるのを待っていては日付が変わる。その前に陽が落ちて教会が閉まってしまったら、これを受け取ってもらえない」
「ですが司祭様」
つらつらと話している彼は、私の言葉を軽く流す。
「そうそう。一度婚姻関係になったからって必ずしも生涯添い遂げなければいけないなんて決まりはない。夫婦としてどうしても相容れない部分が見つかった時、継続が難しいとなった場合には離縁を申告することも認められているのは知っているだろう? 最低2年を過ぎれば夫婦関係の解消も可能だ。これが特別な婚姻誓約書とはいえ、そのルールは適応されるべきだ。その辺りは私がうまくやってやろうじゃないか」
「2年だけの、契約結婚というわけですか?」
「ああ、だから世間的に名乗る名前を変える必要はないよ。お嬢さんは、対外的にはベアトリス・イウストリーナのままでいい。私の妻だと名乗りたいなら名乗ってもいいが――言いたくないなら結婚したなんて事実は黙っていればいい」
「それで司祭様は良いんですか?」
「うん?」
「私と婚姻関係を結ぶなんて、2年限りとしてもご迷惑になるのではないでしょうか」
司祭様としても、こんな場に立ち会ってしまった以上、国に咎を負わせるわけにはいかないという責任感からの提案なのだと思う。国の為に自分を差し出そうとしている彼に問いかける。
「迷惑だなんてことはないよ。なにせこの年まで未婚の身だ。自分ではまったくわからないが、なにかしら問題があるから誰も嫁に来てはくれなかったんだろうな。そんな私が、2年とはいえこんなに若くて愛らしいお嬢さんと夫婦気取りで過ごせるなんて、とんでもない役得ってやつだよ」
「司祭様」
「ご両親にも、私がうまいこと言っておこう。お嬢さんの経歴に傷はつかないように取り計らう。心配はするな。これは、国と、お嬢さんが、ヴェヌスタから愛され続けるための緊急処置だよ」
そこまで言われてしまっては、断りにくくなる。他に方法はないと言われた私は、このままうだうだしていてもどうしようもないと腹をくくり、立ち上がると彼に向かって深く頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしますが、しばらくの間よろしくお願いいたします」
「ああ、それでいい」
穏やかな笑みを浮かべた彼は、私の手を取るとそっと甲に唇を押し当てる。
「では改めて。ベアトリス・イウストリーナ嬢、私と結婚してくれるかい?」
「はい」
にこっと満足げに笑った司祭様は、立ち上がると祭壇に向き直った。
「では、さっさと誓約をしてしまおうか。お嬢さんの宣言は終わっているから、私が言えばいいだけだな。んんっ。
――私、マクシミリアン・シルヴェニアは、ベアトリス・イウストリーナを妻とし、いかなる苦難に襲われようと、共に手を取り合い、励ましあい、互いを認め、称え合って、永遠に共に歩いていくことをここに誓う。
……と、こんなものかな」
すらすらと文言を唱えた司祭様は、羽根ペンでさらさらと名前を書き込む。書き終わった瞬間、彼と私の名前が淡く光ったように見えた。これで、宣誓は認められたということなのだろう。マクシミリアン・シルヴェニアというのが、私の旦那様の名前のようで、そしてそれは、確かに聞いたことのある、この国の貴族の一人と同じ名前だった。
「さあ、ではこれは教会で大切に保管してもらうことにしよう」
司祭様――マクシミリアン様はそう言うと、誓約書を丸めてリボンで結び軽く宙に投げた。大切なものだと言っていたのになんて扱いをするのか、と手を伸ばしかけた私の指の先で、紙がみるみる白い鳩の形を取って窓から外へと飛び出した。
「マクシミリアン様、今のは……魔法、ですか? でも、神聖魔法ではないですよね」
聖職者が使えるのは、癒しの力の神聖魔法だけのはずだ。しかし今のは、別のもののように見えた。
「うん。ああ、自己紹介が遅れたな。順番が逆だ、これはいけない」
彼がパチンと指を鳴らすと、藁色だった髪がシルバーブロンドへと、薄い若草色だった瞳も晴れ渡った青空を切り取ったような空色に変わる。いかにも司祭様然とした柔和な顔立ちが、冷たく燃えるほどに整ったものへと変わり、身長も伸びていく。目の前で姿を変えた人を前に、驚いて口元を抑えた私は、信じられない気持ちで彼を見つめる。
姿を変える魔法があるとは聞いたことがあるけれど、使い手はそう多くなかったはず。そしてこれも、聖職者が扱う神聖魔法の範疇ではなかった。
目を丸くした私に、胸に手を当ててうやうやしく頭を下げたマクシミリアン様は少し上目遣いで微笑んだ。




