19話:ミスリルクラウン
昔は自分たちもよく入っていた森が、今やゴブリン達の住処と化していることに少なからぬ憤りを感じている四人がいた。
いつものように依頼を探そうとギルドを訪れたところ、初心者の活動する森にゴブリンが出るようになったので状況確認の為に偵察、発見した際は排除して欲しいという指名依頼が来たのだ。
詳細を尋ねたが緊急の依頼らしく、正確な規模まではギルドも把握できていないとのことだった。
リスクはあるが、ゴブリン程度ならば多少大きいものでも自分達なら対処できる。
そう考えて依頼を受けた。決して驕り等は無く、事実として金ランクである彼らの実力ならばゴブリン程度に遅れはとらないだろう。
過去幾度と無く足を運んだ国の近くにある森は、木々の葉擦れから何かを感じ取れるほどにざわめいていた。
全員が森の異変には気付いていた。しかし指名するほどの緊急性を要する依頼だ。状況の確認と、安全確保のためには森に入らなければならない。
観察に長ける一人が「今入るのは危険な気がする」と進言したが、大丈夫慣れた森だ、と気を引き締めながらも入ってしまったのが間違いだった。
およそ森の中央部に差し掛かったとき、草むらの影に潜むように移動する数体のゴブリンを見つけた。本来ゴブリンはあまり森の深部で活動をしない。今は魔物の繁殖期ということもあり、おそらくこの森深くまで生活圏を広げてきたのだろう。そう解釈して、いつものごとく排除を開始した。
最初は十体のゴブリンだった。それらと戦闘を繰り広げている間に、別方向から十体のゴブリンが現れる。
森の中で囲まれては分が悪いと、立ち位置を考えて少しずつ移動しながらの戦闘。しかし更に別方向から今の倍はいるかという数が現れたとき、彼らは何かの妙な違和感を拭えなかった。
戦闘中に余計な思考は禁物だ。どこか、しこりのように残る違和感を思考の外に追いやる。
ここは完全にゴブリンの"巣"と化している。一度退却して体制を立て直すべきだ。総数はわからないが、この狭い範囲にこれだけの数がいるならば、森全体では相当の数が潜んでいるだろう。一度街へ戻りギルドへ報告し、複数のパーティーで討伐する必要があるかもしれない。目だけで皆の意思を確認すると、一人が声をあげた。
「このままじゃジリ貧になっちまうな。俺が道を作る、その間を突っ切れ!」
その身の丈もありそうな大剣を振り上げ、正面に立ちふさがるゴブリン達に向かって渾身の一撃を放つ。
男の正面にいたゴブリンが避けることも叶わず縦に斬り潰された。振り下ろした大剣は、そのまま地面を大きく抉り、土と石を大きく周囲に撒き散らす。それらの土砂に周囲のゴブリンが巻き込まれ、正面に穴があいたように一本の道が出来た。
相対するゴブリン達に少しばかりの逡巡が見えた。あまり知能の高くない奴らだが、本能的に危険を感じ取ったのだろう。
その一瞬を見逃さず、声をかけずとも全員が同時に走り出していた。
あれだけのゴブリンが一箇所に集中しているのには何か理由がある。このまま視界の悪い森の中で戦いを続けるのは良策とはいえない。
「この先で森が開けるはずだ! そこまで突っ走る!」
各々がバラバラに動きながら木々の間を走りぬけ、岩を飛び越して、走る。走る。走る。
後方の状況を確認することも無く、そんな暇があれば少しでも早く森を抜けようと疾駆した。
木々に覆われ暗くなっている森を抜け、無事に中央部にある開けた所に出ると、急に明るくなった景色に目を細めながらも後方を確認する。
追撃する気が無かったのか、振り切ることが出来たのかはわからないが、ゴブリン達が追撃してくる気配は無い。そのまま警戒心を緩めずに周囲に視線を巡らせる。
先ほどの戦闘が嘘のような静けさだ。動物の声も、木々のざわめきすら聞こえない。次いですぐに仲間の状況を確認する。
大剣を担いでいる男は、前衛として立ち回るため他の三人に比べて頑丈な鎧を着ている分、どうしても体力を余分に使う。その為、今は肩で大きく息をしている。他の三人は多少の疲労は見えるが、そこまで体力を消耗している様子はなかった。
仲間の様子を簡単に伺うが、どうやら負傷した者もいないようだ。
「ふー……とりあえずみんな無事みてぇだな」
走り続けて息の上がったところを落ち着けるように、大きく息を吐いて最初に口を開いたのは、逆立った赤い髪を短く切り上げ、自身の身長ほどもある大剣を持つ人物。その悪人面と口調から誤解を受けることもよくあるが、根は優しく四人のリーダー格をつとめる男、クラウディ。
「ふぅ、無事と言って良いのかわからないけどね。森を出るどころか、より深いところにきちゃったし」
優しそうな声色で、どこか呆れるようにクラウディの言葉に異をとなえる女性。パーティーの癒し担当兼突っ込み役――と周囲には見られているが当人は否定している――であり卓越した水魔術の使い手、ウォラリア。
「まぁ、なんとかなるんじゃないか? 侮るわけじゃないが、所詮はゴブリンだろ」
やけに楽観的な意見を述べたのは、茶色い髪を後ろで束ねて細い顔を露わにしている嫌味な程のイケメン。飄々としているようで、実はかなりの女好きな弓使い、ボイル。
「……何か、いつもと違う気がする」
最語に口を開いたのは、口数は少ないが冷静な思考と判断に定評のある、少女のような見た目を持つ女性。風と炎二つの属性適正という稀な才能を持つ魔術師シャーネス。
いつの日か、伝説と言われる最高ランクまで上り詰めようという誓いを込めてつけた名前。
『ミスリルクラウン』
それが四人のパーティーの名だった。
「それは俺も感じたな。あれぐらいの数はいつもの事だが、局所的に集まりすぎだ。たまたま"巣"の近くだった、って可能性もあるが」
シャーネスの疑問に同意の声を上げたのはクラウディ。
数だけでいえば、多い時は今回の倍近いゴブリンを相手にしたこともある彼らだ。あそこにいるだけならば問題ではないが、しかし時期的に今はちょうど繁殖期ということもあり、ゴブリンが"巣"を形成している可能性は高い。
"巣"とはその名の通り、ゴブリン達が繁殖拠点とする住居のようなものだ。
人のそれと違い、木材や石を組み上げて作るようなものではなく、土を固めて山を作り、そこに穴を掘るだけの簡素なものである。住居というよりは洞穴に近く、見た目にはなだらかな小さい丘のような状態になる。
森の中に作られるそれは、一見すると地形の起伏にしか見えないことも多く、知らずにそこに踏み込んだハンターが襲われることも多い。
ただでさえ繁殖期で殺気立っているうえに、繁殖期であるがゆえに数も多くなる。いくら能力の低いゴブリンとて、数の暴力で攻められれば、苦戦は免れない。
「だとしても、確かに私も少し違和感を感じたのだけど……」
ウォラリアも"巣"が近くにあるという可能性は考えていた。
依頼の途中で排除を行なったことも何度かある。しかし先程のゴブリン達の動きは、いつもと何かが違う気がしたのだ。
もやもやとして何とも表現しにくいのだが、動きに何か意図的なものを感じた。
いつもならばただただ愚直に突進してくるだけのゴブリンなのだが、先程の奴らは一定の距離をおいて、こちらと間合いをとって様子を見ていた。それだけならば踏み込んで蹴散らせばよいだけだが、立ち回りから別のゴブリン達のところへ誘導されたような気がしたのだ。
偶然だったと思うのは簡単だが、ウォラリア以外にも違和感を感じている仲間はいたらしい。
相変わらず感情の読めない顔をしているシャーネスが淡々と自分の考えを告げる。
「明確に何がとは言い切れない。けど私も違和感はあった。あれだけの数が一箇所にいた以上、何かあると思う。一度街に戻ってギルドに報告すべき」
「そうだな。広さを考えると、複数パーティーで動いたほうがいいかもしれん」
「そうね。調査したというにはちょっと情報が不足しているけれど、このまま私達だけでやるのは不安があるわ」
「だな。おそらく"巣"の規模はかなり大きい。放置すれば国に危害を加える可能性もある」
シャーネスの見解に同意するクラウディとウォラリア。
ここまでの予測で、どこかに"巣"がある可能性は非常に高い。"巣"の規模もそうだが、ゴブリンの総数も全くわからない。それに、これだけの広さの森をたった四人で見て回るのは骨が折れるだろうし、だからといって別行動をとるのも危険だ。
「ま、これ以上は推測の域を出ないからな。依頼は偵察と排除だが、この状況を見る限り一度ギルドに報告してちゃんと調査隊を作ったほうがいいだろ」
仲間の意見をとりまとめたクラウディはそう結論づけた。
自分たちだけで排除しようと思えばできるだろうが、生き残るために必要なのは臆病ともとれるほど慎重な行動だ。何かひっかかるものがある、というのはそれだけでも理由としては十分だった。
「いいからさっさと行こうぜー」
やたらと気の抜けた声をあげたのはボイルだった。
いつの間にやら三人を置いてきぼりにして、一人で街の方角へと歩みを進めていた。
三人に振り向いて両手をあげて後頭部に当て、いかにもやる気の無さそうな態度で仲間を呼んでいる。
こんな不透明な状況で緊張感の欠片も見せない態度はボイルの良い所であり、悪い所でもあった。
その時、先ほどの静けさが嘘のように周囲に森の独特な音が響き渡る。
遠吠えのようにそこかしこで響く動物の鳴き声、木々の葉擦れの音、木々の間から鳥達が飛び立つ羽音、そしてそれらの音に紛れるようにして聞こえたのは――何かが高速で飛来する風切り音。
「ボイル! 後ろだ!」
クラウディが叫んだその言葉は、周囲に響き渡る雑音にかき消されボイルの耳に届くことはなかった。
――――――――――――――――
要は地を駆けた。踏み込んだ両の足跡をその場に残し、風を切り裂くように木々の間から飛び出した。身体強化魔術を施した脚力で、放たれた弓よりも早く彼らの前に躍り出る。
標的にされた彼らの前に割り込むように急停止すると、右手をかざして一つの魔法を行使した。
<反射障壁>
普段の冷静な要なら、人目のあるこの場で魔法を使おうとは思わなかっただろう。
しかし今は一瞬の判断が命運を分ける状況だったのだ。初めての戦闘で、状況に応じて適切な魔術を用いるなんてことができるはずもない。攻撃を防ぐ手段、と考えてすぐに思い浮かんだのは、ついこの間まで城で魔術の練習をしている間に創り出した魔法の一つだった。
<反射障壁>とは、自身の正面に魔方陣の壁を作り出し、その名の通り衝突した攻撃に対してそれを相手にそのまま反射する魔法だ。反射対象が何故か遠距離攻撃に限定されてしまったのだが、これは要の思い込みによるところが大きく、イメージを強く反映する魔法だからこその弊害だった。
イメージの参考にしたのはマホかんたらや、リフうんたらなどRPGではお馴染みのあれである。
正面に展開された魔方陣に、降り注いだ全ての矢と火球が吸い込まれるように集まっていく。最初の一矢が魔法陣に触れると、波及するようにそれら全てが淡い光に包まれ、時が止まったかのように空中に静止した。
要以外はゴブリンたちも含めて、皆何が起こったのかわからないという顔をしている。
視線が集まっていることも意に介さず、正面にかざした右手を胸元に引き、振り払うようにして手を右へ払うと、静止した矢はくるりと向きを変えて要の視線の先へ向けて先ほどの倍以上の速度で一斉に飛んでいった。
爆発音と矢が何かに刺さる音が響き、同じくして木々の陰からいくつもの雄たけびや悲鳴が聞こえる。
まさか攻撃がそのまま自分に返ってくるとは思いもしなかったのだろう。転げ出るかのように数体のゴブリンが森から飛び出してきたが、目や腕に矢が刺さり体を黒焦げにした凄惨な姿のまま幾歩も歩かず地に倒れた。後方のゴブリンたちはこれで無力化できたはずだ。
次の行動を取ろうとして、自分の体が思うように動かないことに気付く。
飛び込んだ瞬間まではよかったものの、目前の恐ろしい光景に、足が震えていた。障壁を出しているとはいえ、魔方陣を挟んですぐ目の前に攻撃が迫っていたのだ。防弾ガラスの強度実験をする為にガラス越しに拳銃を撃つところを反対からカメラで撮影、なんてものをテレビでやっているのを見たことがある人ならば、それを生身で体験していると思えば要の恐怖ももっともだった。
いくら安全と言われていようが、頭で理解していようが、怖いものは怖いのだ。
嫌な汗が出るのを感じるが障壁は上手く作動し、森に隠れた敵を殲滅したので結果オーライだ、となんとか自分を納得させる。正直、次に使う機会がないことを祈るばかりである。
まず攻撃を防ぐという第一目標はクリアした。気持ちを落ち着けて次の行動にうつる。
何が起こったのかという視線を三人から感じるが、そこはあえて無視した。震える足を誤魔化すようにボイルに走り寄り、息があるのを確認すると、体に手をついて治癒魔術を行使する。
水色のやわらかい光がボイルの全身を包みこんでいく。光が収まった後、再度全身を確認。服の上からなので細かい所はわかりにくいが、服の大きく裂けた部分から流れていた血は止まっていた。土気色だった顔色も多少良くなり、細かった呼吸も今は落ち着きをとりもどしている。
(ふぃー、とりあえず応急処置にはなったかなっと……)
冷や汗を拭いながら内心つぶやく。
しかしあくまでもこれは応急処置。流れ出た血液は体に戻らないし、体力も回復しない。それに表面上は問題ないように見えるが、内臓の状況まではわからない。治癒魔術を使ったのすら初めてなので、どの程度まで治療できているのかわからないのだ。乱れていた呼吸は安定しているようなので肺は問題ないだろう。先ほどより緊急性は低くなっただろうが、早急に街に戻って治療したほうが良いのは明白だ。
また次の問題を片付けるべく、後ろで立ち尽くしたまま何がおこったのか未だに理解できていない表情を浮かべるシャーネスに声をかけた。
「えーと……大丈夫ですか?」
魔物に襲われてる状況で大丈夫なわけがないのだが、どう声をかけていいか迷った挙句になんとか搾り出した一言がそれだった。なんとも残念すぎる思考回路である。
少しの逡巡と驚きを交えた瞳を見つめ続けていると、シャーネスはこくりと小さく頷いた。
ざっと上から下まで視線を這わせて――所々服が破けて白い肌を覗かせているが断じてやましい気持ちでしたことでは無い。断じて――見てみたところ小さな傷はいくつか見られるが、今応急処置を施した男に比べれば問題はなさそうだと判断する。
「あなたは何者」
視線だけでボイルの状況を確認し、おそらく助けてくれたのだろうと感じ取ったシャーネスは要をじっと見据えて口を開いた。
しかしその視線に色濃く出ていたのは疑惑。ボイルを助けてくれたことには感謝するが、こんな状況にわざわざ首を突っ込む者がいるとは思えなかったからだ。
実際は条件反射的に飛び出してしまっただけで、特に考えがあったわけではないのだが。
「あー、えっと……しがないハンター?」
何か適当に言い繕おうとしたのだが、考えなしに飛び出したせいで言い訳の一つも思い浮かばず、そのまま身分だけを述べて少しはぐらかすのが精々だった。
疑問系で応えた要に何か感じたのか、ウォラリアが問いかけた。
「ハンター? なんで別パーティーがここに……というか、なんでこいつら襲ってこないの?」
最後の部分は、要に対しての質問だったのか、ただ疑問を口にしただけなのか。
こんなにものんびりと会話していられるのは、ゴブリンたちが攻撃を止め、距離を置いてこちらを睨みつけているからだ。
あれほどまで猪突猛進で物量に任せただけの特攻をし続けてきたゴブリンが、何故今になって足を止めたのか。
これは反射障壁を展開すると同時に、前線の二人の周辺にいたゴブリン達に向かって魔力を飛ばしていたのが理由だ。
知性の低いゴブリン達は、どちらかといえば野生に近い本能的な感情が行動を左右する。早い話が露骨に私は強いんだぞー、という強力な魔力を出して相手を警戒させているだけにすぎない。
一部の界隈で俗に言う、なんだこのプレッシャーは、という奴である。
「えっと、色々聞きたいことがあるのはわかりますけど、今のうちに撤退しましょう」
微妙にはぐらかしつつも、そう進言する要。
というか、この場で誰よりも逃げ出したい気持ちなのは要だろう。思わず飛び出してしまったはいいものの、ここから状況を好転させる方法など持っているはずも無い。
醜悪な生物なんてのはバイオでホラーなゾンビや静かなる丘などを筆頭に、色んなジャンルのゲームでよく見慣れていた。ゴブリンなんていうのはファンタジーでは出てきて当たり前のレベルに見慣れた魔物だ。そのせいか、ゴブリンくらいなら戦えるかも、なんて相変わらずの楽天的な性格を発揮していた――のだが。
しかし現実として相対してみるとこれがなんとも恐ろしい。
見た目だけでいえば、ゲームや映画に出てくるほかの魔物のほうが余程醜悪で嫌悪感を覚えるだろう。その手の魔物は、そう感じるようグロテスクにデザインされているのだからむしろそれは当たり前なのかもしれない。
しかしフィクションは所詮フィクションだ。いかに技術が進んで造形が繊細になり、立体的でリアルなものになろうとも、視覚以外の感覚器官を通して感じる現実のそれは要の想像を絶するものだった。
嗅覚を麻痺させようとでもするかのように、周囲に漂う強烈な生々しい血の臭い。今か今かと低いうなり声をあげるゴブリン。これまでに何を斬ってきたのか考えたくも無いような、錆び付き黒ずんだ武器。
ゲームのように、死んだらセーブポイントからコンティニューなんてことはできない。死んでしまえばそこまでだ。ふっかつのじゅもんも無ければ、お布施だけで生き返らせてくれる人もいない。
そんなことを考えていると、気付けば視界が微妙に振動している。視線を下に向けると自分の足がまたも震えていた。
自分の意思とは無関係に膝が震えるという感覚を始めて味わった要は、本心から恐怖を感じると人は本当に足が震えるんだ、とどこか他人事のような感想を持った。他人事のように感じたのは、もしかしたら一種の逃避行動だったのかもしれない。
今は落ち着いて状況を判断しなければならない。動悸は激しく、膝が笑っているような有様では成せることも成せなくなる。気付かれないように、自分を落ち着けようと努める。
(逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ)
こんなときでさえ、どこぞのネガティブ中学生のような台詞を思い浮かべた自分に内心苦笑する。
いや、この状況ならKOOLになれ! か、イニシャル一緒だし……いや素数を数えたほうが、なんて思考が明後日の方向に飛んでいく。
それが功を奏したのか、はたまたこんなにも切羽詰っているというのにキャラクターの台詞しか出てこない自分に呆れたせいなのかはわからないが、笑っていた膝はなんとか落ち着きを取り戻していた。
それは時間にしてほんの数瞬の出来事だった。
密かに自分との戦いを繰り広げていた要にシャーネスが無慈悲な事実を告げた。
「無理。馬もないしあれだけ数に森の中で追われたら対処できない」
(おーっと……しかし まわりこまれてしまった! みたいな)
いやいや本気で洒落になってないし、と自分にセルフ突っ込みを入れる。
このような状況でこんなにも台詞ばかりでてくるのは、結局のところ落ち着くことが出来ていない証拠だろう。もしくは現実逃避か。客観的にそう判断できる程度の落ち着きは頭に残っているようだが、把握できる状況は悪くなる一方だ。
木々にまぎれて隠れながら逃げれば大丈夫なのでは、とも思ったが、こうして要が戦場に飛び出したのは森に潜んだ伏兵に気付いたからだ。
つまり今ここにいるだけが敵の総力とは到底考えられない。下手をすれば、今こうしている間にも森の中から再び矢が飛来する可能性すら考えられるのだ。
(怯えてる場合じゃないよな……命がかかってんだから)
そうして気を持ち直すと、"いつものように"思考を展開していく。
結局は、自分の体験として感じるから怖いのだ。
あくまで客観的に、外から見るように。俯瞰で。そう、いつものようにゲームをしているつもりで――。
一つ一つ状況を確認するように、頭を切り替えてシミュレーションしていく。
敵の規模、現在位置、森の広さ、自分の戦力、彼らの戦力、倒れている男、倒す場合の方法、倒せる可能性、逃げる場合の方法、逃げられる可能性――。
将棋やチェスなどは、その道のプロになるといくつもの戦略と方法で数十手先、果ては数千数万通りにもなるパターンを決着まで考えて動くという。
要にそういった能力は無いが、シミュレーションゲームなら飽きるほどやってきた。野望を成就させたり、国取りしたりとそのジャンル内でも色々なものに触れてきた要は、そこに照らし合わせるように脳内でシミュレートしていたのだ。
果たしてゲームの経験が現実の戦略に生きるかは甚だ疑問ではあるが、少なくとも状況を俯瞰的にとらえ、頭を冷やし心を落ち着けるという意味では大きな効果をもたらした。
とはいえ色々と考えて見たものの、結局は不確定要素が多すぎて判断材料にならない。早々に結論を出した要の行動は一つだった。
「むぅ……でも、やっぱ逃げるが勝ちってとこだよなぁ。あとはどうやって逃げるか……」
こっちにきてから今までちゃんとした戦闘を一度もしたことのない要は、戦うにしてもリスクが大きすぎると判断した。
エルサリアの言葉をそのまま信じれば、魔力だけならばゴブリンを圧倒できるのだろうが、力の大きさだけがそのまま勝敗に結びつかないことくらい要にもわかる。
ふと思いついて、質問を投げかける。
「お二人は魔術師ですよね。正直あとどれくらい魔力残ってます?」
装備と先程の立ち回りから、ウォラリアとシャーネスが魔術師タイプなんだろうと予想しての質問だった。
ボイルのことが心配だったのだろう。ゴブリン達が攻めてこない間に、ボイルの横にしゃがみ込んで容態を確認していたウォラリアが答えた。
「そうね……あまり高度なものでなければ、あと数回は使えるってとこかしら」
つまりあまり魔力は残っていないということだ。
余裕があるならばこのままプレッシャーをかけ続けて、ここにいるゴブリンだけでも一網打尽に、なんて思っていたのだが、そう簡単にはいかないらしい。
「私は殆ど残ってない」
額に玉の汗を浮かべて答えるシャーネス。
彼女のほうは多少余裕のあるウォラリアに比べて、体力も魔力も限界なんだろうとすぐわかる程に顔色が悪い。
元の白さもあるのだろうが、その顔は血を流しすぎた者とはまた違う生気の抜けた色をしていた。ぶっちゃけものすごく青白いのだ。虚弱体質の人間が無理な運動をしたらこんな感じになるんじゃないかと思ってしまう。
杖を使ってなんとか立っているといった容態は、逃げるとしても倒れた男だけでなく彼女も足かせになってしまうだろうと判断するには十分すぎる状態だった。
「わかりました。じゃあそこのあなたは倒れた彼を。貴方は今にも倒れそうな彼女を連れて行ってあげてください」
クラウディにボイルを、ウォラリアにシャーネスを連れていくように指示を出す。
案の定なにを言ってるんだこいつ、といった顔でクラウディに睨まれる要。
「今の話聞いてただろ。逃げても森の中で終われたら対処するのは難しい。二人も動けないなら尚更だ」
同意の声を上げるウォラリアとシャーネス。
「私が時間を稼ぎますからその間に森を出てください。私が来た方向に行けば街のほうに出れますから」
「無理だ!」
「何馬鹿なこと言ってるの!?」
「あれだけの数を対処できるはずがない」
どれだけの能力を持つハンターなのかわからないということもあってか、三人の意見は否定的だった。
要とて全部を倒せるとは思っていないし、むしろ逃げられるなら逃げてしまいたいくらいだ。だが一緒にこの場を離れてしまえばプレッシャーの無くなったゴブリン達が大挙して押し寄せてくるだろう。
そしておそらくはそれを放っていた要を用心し、先に彼らを襲う可能性が高い。
魔力でプレッシャーをかけたまま逃げればいいと思うかもしれないが、効果があるのは要の視界に入る一定距離までだ。
何より、魔術に用いる魔力をそっくりそのまま使っているので、プレッシャーをかけている間は初歩的な魔術以外は使えなくなるという欠点があった。
「あくまで時間稼ぎです。倒す気なんて更々ありません」
そんなやり取りを繰り広げているとゴブリンが出現していた森の奥地から大きな音が響いた。徐々に音が大きくなり、何かがこちらに向かってきているのがわかる。
「この音は?」
「…………」
メキメキと木をなぎ倒しながら広場に現れたのは、身の丈四メートルはあろうかという巨大な生物。
大きく突き出した腹を揺らしながら、巨木をそのまま棍棒のように持った醜悪なゴブリンだった。
「なっ!? ゴブリンリーダー……だと……」
瞬時に敵を見分けた三人は、思考を巡らせる。
(まずい、どうする。どうすればあいつを対処できる?)
(今なら全員で逃げ……られるわけないわね)
(敵総数、目視できる限りでおよそ二百――覆しようのない戦力差)
そんな中で要は一人あっけらかんと驚いていた。
「でかっ! なんじゃありゃ。なんか見た目はゴブリンに似てるけど」
「あまり見かけるような魔物じゃねぇからな、あれはゴブリンリーダーだ。妙に数が多い上に統率がとれてると思ったら奴が後ろにいたのかよ……どうやら簡単には逃げ果せられないみたいだぞ?」
自分達はいつそうなるともわからない世界に身を置いてかなりの歳月を過ごしている。そうなるかもしれないという覚悟を持って今までやってきたのだ。しかし、自分達のせいでこの青年が巻き添えを食ってしまったことが悔やまれる。
既に逃げ果せるとは思っていないクラウディは、そんなことを考えていた。
「なるほど、よーするにこの森のボスキャラか」
腕を組んでなにやら考える仕草。
(魔力飛ばしてプレッシャーかけてもあんまり効果が無いってことは魔術に耐性がある?
あの皮膚とか腹見ると物理耐性もありそうだよなぁ……巨大なデブで物理耐性持ちとか、お前はどこの拳法家殺しかと……うーむ)
思考を巡らせ、少し間をおいてクラウディに問いかける。
「見た目は動きが鈍そうですけど、逃げられないですかね?」
普段なら戦場でこのような気の抜けた声を出されれば、気を引き締めろと怒りもわいてこようが、こいつの恐ろしさを知らないからだろう。それに気を引き締めたところで状況はかわらない。クラウディは自虐的にもそんな感想を抱いた。
どれだけ倒しても沸いて出るゴブリンは最大数すら不明で、敵のボスともいえるリーダーは未だ健在。こちらは魔力の切れかけた魔術師二人と体力の限界にある自分だけ。既に心は折れかけだった。
「無理だな。ああみえて単騎でもそこらの魔物なら相手にならん。それに一番の問題はあいつの統率能力だ。見てみろ、奴らが徐々に動き出してる」
言われて視点を動かすと、リーダーが低い唸り声をあげると共に、周囲のゴブリン達が共鳴するようにうなり声を上げてジリジリとこちらへ歩み始めていた。未だ魔力によるプレッシャーを放ち続けているのに、だ。
(なるほど。どんだけプレッシャーかけてたところで、怖かろうが嫌だろうがお頭が出てきたら言うことを聞かないといけないのは下っ端の辛いとこだよなぁ)
微妙に間違っているようなあっているような回答を導き出す要。
本当のところはさておき、ゴブリン達が再び進行を始めたのは事実だ。ここでプレッシャーを抑えればすぐにでも襲いかかってくるだろう。
そして、今の状況を考えると時間的に、彼らを逃してからプレッシャーを解除し自分も逃げるという方法がとれなくなってしまった。
ここで対処するしかない。残酷にもそんな結論が頭をよぎる。
「ううむ……こうなりゃ仕方ないか。よし、三人ともこっちにきてください」
この絶望的な状況で妙にしっかりとした口調でボイルの傍を指差す要に、こうなればどうなろうと同じ事だ。何か考えがあるならどんな馬鹿なことでも聞いてやろうと素直に従う。クラウディ以外の二人も同じ考えだったのだろう、素直に従ってボイルの横に立った。
「どうするというの?」
杖に重心をよせて立っているのもやっと、更には青白い顔を要に向けて、それでもしっかりと疑問を口にしたのはシャーネス。
三人とも同じことを聞きたかったのだろう。クラウディとウォラリアも深刻な表情で要を見つめていた。
「まぁそこに座って見てなさいって」
そういってシャーネスの髪をわしわしと撫で、手を貸してボイルの横に座らせた。
「あ…………」
どう見ても少女にしか見えないシャーネスがこれ以上無理をするのを見るのは忍びないと思ってなんとなくとった行動だったが、頬を染めながら要を見つめるシャーネスは、白い肌に赤い色が乗ってなんともいい難い程に可愛い。青白くなっている顔だからこそ朱のさした頬がより目立つ。
元の世界なら初対面の女性に触れるなんて恐ろしいことはしない要だが、小動物のような視線を向けられてなんとなく撫でたい衝動に駆られたが故の行動だった。
「で、結局これからどうするの?」
腹は決まったのだろう。落ち着いた口調でウォラリアが要に尋ねる。質問には答えず、三人に向かって手をかざす。
ぼそぼそと何か囁くような声が聞こえたかと思うと、ボイルを中心として四人を囲むように青白い光が湧き上がり、光の粒を放出しながら地面に魔法陣が描き出された。
「魔法陣!」
ウォラリアが驚愕の声をあげる。
彼女の驚きも仕方がないことだ。魔法陣とは魔術を効率的に運用する為に用いるものであり、普段は使うことのできない魔術も、魔法陣のブーストがあれば使うことができるようになるという代物だ。
しかしそれだけに複雑な様式で書かれているので、使いたい魔術に応じて書き込む模様が微妙に異なる。
そして一番の問題点はとても非効率的で、手描きでしか作ることができないという問題があった。
魔法陣を描くということは、使いたい魔術に適切な様式を書き込み、それに応じた魔力を注ぎ込んで魔術を使用できる状態にするということだ。手順も面倒だが、ひとつの魔法陣を書き上げるのにとても時間がかかる。
一度しか使えないという魔法陣自体の制約もある為、通常のハンターは非常時に備えて陣の書き込まれた紙や布を複数持ち歩いて緊急手段としている。
故に、持ち運びを考えると大きなものは持てないし、大きくなればなるほど書き込むのに多大な時間を必要とする。逆に携帯用に小さくなければならないということは、陣自体に書き込める内容も少なくなるということだ。
そんな事情もあって、ハンターにとって魔法陣とは必要最小限、または余裕があれば描いておく程度のものでしかなかった。
だが今目の前にいる黒衣の青年は魔法陣を魔力で描き上げて魔術を使用したのだ。彼らの常識的に考えればありえない光景だった。
正確には魔術ではなくて魔法なのだが、そんなことを知るはずも無い。
「その魔法陣の中にいれば傷が癒えるはずです。障壁も張ってありますから暫くはそこで安静にしててください」
「傷が、癒える……」
呆けたように口にするウォラリア。
つまりこれは治癒魔術なのだろう。そう言われて考えると、つい先程この青年が現れたときボイルに施していたのは治癒魔術だということに気づいた。あの回復魔術特有の水色の光と、確認したボイルの状態からおそらく治癒魔術を使ったのだろうと推測はしていたが、ウォラリアが知る治癒魔術とは対象に触れて集中しなければ使えないし、かなりの魔力を消費するものだ。
なのに今この青年は、ここにいるだけで傷が治ると言ったのだ。自身の体を見渡すと、服や装備の破けた部分から覗く傷が徐々に塞がっていくのがわかる。
しかも少しずつではあるが体力も回復しているようで、ふらふらだったはずの足はしっかりと地を踏みしめていた。
傷を癒すだけならまだしも、体力まで回復することができる程の高度な魔術など水魔術のエキスパートとして活動してきたウォラリアですら見たことが無かった。
呆然とするウォラリアをよそに、またも緊張感の無い口調で話しかける。
「あ、悪いけどこれ借りますね」
要の右手には、いつの間にやらクラウディが持っていた大剣が握られていた。
「なっ、お前いつの間に!?」
「さすがに素手ってのは抵抗があるので……」
「お前まさか一人でやる気か? 無茶言うな、リーダーもいるんだぞ!」
「でも、そんなふらふらになってる人を戦わせるわけにもいきませんし」
三人の体を見れば、シャーネスだけでなく二人も戦闘ができるような状態でないことはすぐにわかった。一応目算としてはもし全てを倒すことができずとも、三人が回復すれば隙を見て逃げられると思ったのだ。
しかし、改めて戦うと思うと、先ほどのように足は震えずとも剣を握る手は緊張で震えていた。
こういうときは景気づけして緊張をほぐすのが一番だ。
「我はアロウン=アルカード!! 悪を断つ剣なり!」
ゴブリン達に向き直った要は、大きな声をあげて高々と名乗りをあげる。
素で言ったら恥ずかしくてかえって緊張してしまうだろうと思い、自分が握る大剣を見て似たような武器を使っているキャラクターの台詞を真似してみたのだ。
元の世界でこんなことしてればイタい人だが、命がかかってる要からすれば大真面目である。
意外にも自分が落ち着きを取り戻していることに驚くが、この台詞にあまり意味は無く、大声を出したことで緊張がほぐれただけだったのだが。
何言ってんだこいつ、みたいな顔されてたら心に甚大なダメージを受けると思った要は、後ろの三人を振り向かずにゴブリン達に悠然と歩いていった。
「アロウン……アルカード」
呟くようなシャーネスの言葉。
黒衣のコートを翻して大群に歩み行くその姿と名は、クラウディとウォラリアの心にも深く刻まれることとなる。




