第六話 出口がない
「お腹すいた」
腕時計みたいなものに眼を落としたら(といっても彼女がそうしたのだけど)マスコの言うように確かに朝の七時を回っていた。
まだあれから四時間弱しか経っていない。
たった四時間だ。
同じ病院、同じスタッフ。
なのにここでは、とんでもないことが起こっている。
(起こっている……)
なのに、リフレインする言葉が出口を求めて渦を巻いているのに、どこにも出口がない。
(いったいどうなったんだ、おれは?)
(姉にそっくりなこの女はいったい誰なのだ)
(安寿?)
(なわけない)
(姉の安寿は四年前に亡くなっているのだ)
(おれは焼き場でそのお骨を拾ったし、両親のお墓に入ったときに拝みもした)
(だから姉のはずはないのだ)
*
「どうしたらいいんですかあ」
可憐な岩井かすみさんそっくりのかすみさんが、廊下に突っ立ったまま、泣き腫らした眼でたずねてくる。
おれにではない。
女に。
「どこからも連絡ないんですよお。……こんなになっちゃってるのに」
そのときだった。
いきなりハウリングだらけの館内放送が院内に響いたのだ。
まるで目覚まし時計が激しく鳴るみたいに。
現実に目覚めよ、という感じで。
「みなさーーーーん、聞いてください。どうか、聞いてください」
それから、
その一般病棟の医師と名乗る声は、館内放送で「死ぬこと」について喋りはじめたのだった。
必死に、まるで自分自身に言い聞かせるようにレクチャーしはじめた。
「死ぬことにも順序があります」と。
ハウリングだらけの館内放送で、切羽詰まったように枯れた声で告げまくった
医師が死亡確認の際に、呼吸の有無と脈拍、瞳孔の対光反射を確認する。
それは、死の順序が、肺、心臓、脳の順に機能停止していくためだ。
「……けれども、……ですね」
その医師が、脳神経外科で脳波も合わせて取っていた患者さんの死の過程を調べてみると、この順序が逆になっていたという。
いきなり即死している。
身体的な侵襲、外部から脳に強い衝撃を受けたとか、クモ膜下出血したとか、そういう要因なしに、脳が唐突に活動するのを停止してしまっている。
信じられないものでも見たように力説している。
「なぜ全員の脳がいきなりフリーズしてしまったのか」
それはまったく不明だと彼は震える声で告げた。
「不明なんです」
「全然わからない」
医師の立場を捨ててそんなことまで口にしはじめた。
「……ただですね、……ただひとついえることは」
それが例外なく、就眠中に起こっているということだと彼は震える声で言った。
眠りの中でそれは起こったのだ。
就眠中に。
そういうことらしい。
そしてさらに彼は恐るべきことを口にしたのだった。
「……ですから」
苦しそうな声で館内放送をしめくくるように彼はこう告げた。
「眠ってはいけません」
「絶対に眠ってはいけません。わかってます。……夜勤なのに、こんなことが起こってしまって、みなさん疲れてるでしょうけど、……どうか聞いてください」
「眠ってはいけません。居眠りしてもいけません」
眠っては、いけない?
「覚醒薬のリタリンを配りますから医局に取りに来てください。強力なやつです。医事法に違反しますがそんなことは言ってられません。ダブルで飲んでください。とにかく詳細が判明するまでは、決して眠ってはいけません。何か……、何か……」
言葉に詰まるように声が咳き込んだ。
「これは、……何か、……眠りの中にあります」
「眠りの中に何かがいます」
ですから、
ですから……、
眠っていけません。
「絶対に、絶対に、眠らないでください」




