第六十八話 別れ その1
どんな超人でも眠らずにはいられない。
———恐怖と不安。
「……迷ったんですけどね」
最後まで残っていてくれて、共にあのときを過ごした当直勤務だった医師や看護師たちも、実家が心配だと言って、遠慮がちに小さく手を振って、自分の車で去って行く。
もうこの病院を維持するのは無理だというように。
「……いままで残っていてくれただけでも、ありがたいと思わないと」
アンジュは自分に言い聞かせるように呟いている。
この災厄をなんとかしのいだこともあったのか、それまで知らなかったはずの、医師と看護師さんとの仲が急に近づいたのは傍目にもわかっていたから、祝福したかったけど、逆に気分は冷たい雨にさらされたみたいに落ち込んでいった。
みんな去って行く。
なんか背景モブ化していた看護師さんと若手の医師。
「これから末永く二人で頑張るから」とか、日本がなくなりそうなのに、「恋っていいなあ。絶滅だって乗り越えちゃうもんな」
なのにおれは、、、。
カップルはこちらに小さく手を振りながら、大惨事が起こっているというのに、なんだかウエディングロードにこれから歩き出そうとするみたいに手を組んだりして、去って行った。
(大惨事が出会い系アプリかよ)
*
おれたちは取り残された。
いったい何を待っているのだろう。
もうここにとどまる要因はほとんどない。
(おれにはそう思えた)
三日目満期まで待つ必要があるのだろうか。
場所を移動すると受信できなくなる可能性があるとか。おれはもうそんなことどうでもよくなった。生き返るわけじゃないだろう。
霊であることに慣れつつあったのだ。
(もう、このままでよくね?)
そういう感じ。
肩幅MAX野獣将校みたいな彼氏が迎えに来たのだから、さっさと子供たちを連れて基地なり、どこなり避難すればいいのに、アンジュはおれの実体化はマスト!みたいに待ちつづけている。
むろん、基地の兵士だってあのとき寝ていたわけだからほとんど誰もいない状態だろう。
けど、変成生物とかいう遺伝子組み換え失敗して野生化したやつに襲われるよりはいい。
敵だって、まず作業部隊と予想しているけど、まもなく来るだろうし……。
おれも次第に黄昏れてきた。
異世界に迷い込んだ。
それもおそらく自分自身の死と引き換えに。
あのリス野郎が橋渡し。
あいつだってキュルルンみたいなものだろうに、ヤケに物知りだし悠然としている。
あのリス野郎がいないとどうも調子が出ないのだ。
何者なんだ、あいつは。
ついアンジュのポッケを気にしてしまう。
悪魔と自称しているあいつはいったいどこへ行ったんだ?
*
大学生の二人ともアドレス交換していちおう別れることになった。
「まあ、スマホも後何日使えるか、わかんないすけどね」
「そしたら原始生活」
「間違いないですよぉ」
「奴隷化されたりして」
「魔国に?」
「あり得るあり得る」
あくまで明るい。
共に解剖をあのように行ったせいかミニ戦友みたいな感じがしているみたいで、二人はことさら明るくしようとして、かえって萎れてしまっている。
「おれたち敗戦国民ってやつですかね?」
「こんなときにおれたちだけ去るのは気が引けるんすけど……」
「いいのよ」
考えてみれば三人は同じ年頃であるはずなのに、アンジュがなんか全然年上っぽい。
この世界ではそういうものなのだろうか。
内田の車でとりあえず実家の様子を見てくるという。
ツーブロック佐山は田舎から出てきてアパート住まいだから戻ってもしょうがないのだけど、一応、とうつむき加減に呟いている。
「おふくろがゾンビになってるのなんか見たくないっすけどね」と内田。
「寝てるように亡くなってるだけのはずだから」
アンジュは、ジョークを言いながら泣きそうな顔になっている二人を慰める。
「……そうだといいんすけど」
金持ちだとかいう内田の吉祥寺の実家にはダックスが二匹いるけど、自動給餌器があるからまだ大丈夫のはずとか、途中でホームセンター襲って車いっぱいにペットフードを積み、そいつに穴開けて道路に撒き散らしながら進むつもりだという。
「車はもう全然走ってないわけだし、あの子たちだって解放されても餌がないと困るでしょ?」
「国道とかを餌場にするんですよ」
「そしたらあの子たちみんなで使えるでしょ?」
以前、インスタかなんかで見たことがあるのだという。森の中に人工で穴を穿ち、そこに水を貯めて開放したら、少しずつ森の動物が現れ、いつしかそこが新しい水場になったらしい。
だからこの際、出来るだけペットフードを撒き散らしてみるつもりだという。
「強奪するわけですね?」と、かすみさん。
「まあ、そうなっちゃいますよね」
「頑張ってくださいね」
「ウッス」
———ずっと後のことになるけど、そういう彼らの前に、あんなことが起こるなんてそのときはわからなかった。
とにかく。
「王国内全域ってわけにはいかないすけどねー」
「サンタの格好するとか」
二人は言い合っている。
「雪が降ってきたらヤバいじゃん。餌濡れちゃうよ」
「まあな」
雪か。
また雪になりそうな雲行きだっだ。
アンジュは暗くどんよりした空を仰ぐ。
上空には時折ドローンが旋回しているが、屋上であんなことがあったのにその数がさらに増える気配はない。ドローン攻撃もない。
なぜだろう。
そしてもうひとつ新たな発見というか気づいたことが、おれにはあったのだ。
車自体のこと。
駐車場から車を拾って来た学生二人が病院のエントランス前までわざわざ寄って、サヤカにも別れを告げたとき、それを一緒にアンジュが見送って、おれはふと気づいたのだ。
車にマフラーがない。
ということは電気自動車?
その疑問は、貝矢とアンジュが相談して脱出の手順を考えはじめたとき、まず車の確保だと病院所有の救急車と往診のための小型車の様子を確認しに行ったときに氷解した。救急車まで電気だったのだ。
この世界にガソリンはない?
あらためてアンジュ視線で周囲に駐車したままになっている車のマフラーを確かめるとやはりそうだった。
電気の供給が止まったら車も動かなくなる。




