第六十六話 実行 その1
大学で王国政治学を専攻しようと勉強している高校生のソジュンには、別の考えがあった。
「マイクロチップですよ!」
すべての飼育動物にマイクロチップが義務化され、一元管理された中央データベースが存在するらしい。
この世界では人間にも体内IDとかやってるわけだから、その動物管理データベースをハッキングすることによって「どの部屋に、どの家に、どのマンションやアパートに、どんな動物がいるか」という、ほぼ完璧なレスキュー候補リストを構築することが可能なのだという。
「ですよね?」
貝矢一尉もうなずいている。
こいつコンビニのときは頼りない感じだったけど結構優秀。
そうなんだ、とおれも感心したが、他のことも気づかずにはいられなかった。
体内IDのことだ。
ペットだってマイクロチップを入れられている。医療用にだ。
でも、体内IDを入れられていない階層もこの世界では存在する。
医療ケア外の下層民。
部屋の端っこで、めずらしく黙ってしまったかすみさんの表情が一瞬曇ったのを、アンジュは眼にしていた。
看護師だからスマフォの携帯は許されている。
でも実は、ハーフエルフであるかすみさんは、特権でもある体内IDを入れることが許可されていないらしい。その方が監視されなくていいじゃないかとも思うのだが、ここではどうも常識が違うようなのだ。
でもかすみさん自身は、もうそんなことどうでもいいみたい。
あのときのヒャッハァで吹っ切れたみたいになっていて、たぶん独身寮に戻って自分で染めちゃったんだろう、ボブの髪を輝くようなパープルゴールド? プラチナ紫というかそういう髪染めしていて、それが少しまだらになってるのが、彼女らしくて可愛かった。
「もう、なんでもありですから」
そう言っている。
なんでもあり。
確かにそうだった。
もう警察も裁判所も、法律さえ無効になっている。
だって、執行者がいないのだから。
「なので」
そんなことは知らない高校生のソジュンが自分の計画をぼそぼそと話しはじめる。
「なので、そのデータベースからですね、抽出した住所を地図アプリに流し込めば、生存ペットマップみたいなものが出来上がるわけですよ」
「なるほど」貝矢がうなずく。
「ハッキングしたリストには、生年月日とかの他に病歴や持病も記載されてるはずですから、そういう子たちとか子供ですね、まだ体力の弱い子を優先して助けるということも可能になります」
「それは駄目ね」と、爪のマニュキュアを気にしながらミーちゃん。
「なぜですか?」
「うちの子、未登録だったもん」
「だった?」
「亡くなっちゃったんだけどね」
「そうなんですかぁ」
確かに、未登録だったらマップからはずれる。
けれどそればかりはどうしようもないのではないか。
「セキュリティの壁もあるぞ」
迷彩服姿のままの貝矢一尉がサジェスチョンする。
「そこなんですよ。さっき、すいません、軍人さんの姿を見かけたときに、階級章を見て、もしかしたらって思ったんですよ。国家規模のデータベースでも軍務ということであればアクセス可能じゃないだろうかって」
「いやいや、軍人だからってそんな特権はないよ。軍の高官ならまだしも……」
「だろう? 無理無理。いまはそのタイミングじゃないの」
「タイミング?」
貝矢一尉はその言葉に磯部をギロッと見下ろす。
「いつだったらいいんですか? 二日後? ひと月後? そのとき彼らはどうなってます?」
*
スマートウォッチを手首に巻く。それだけで心拍数や睡眠、運動量を驚くほど正確に言い当てられるのは、精密なセンサー技術と高度なデータ解析、アルゴリズムが、小さな筐体の中で完璧に連携しているからだ。
向こうの世界ではそうだった。
だから、おれが死ぬ少し前だったか、それを入院してくる患者さんひとりひとりに巻いてもらうようにすれば、生体管理も大幅に簡易化できるはずと、それが試験的に導入されるかもしれないという噂が流れていた。
なぜ、腕時計が生体管理できるのか。
スマートウォッチの裏側の肌に触れる部分を見ると、緑や赤の光がチカチカ光っている。これが体内の情報を読み取る主役だからだ。
(……血か)
おれが気がついたのか、アンジュが考えたのかいまとなってはわからないが、アンジュは医局の口論の輪から離れて、そっと自分のスマートウオッチにたずねた。
「聞いてた?」
「オンになってましたから」
「だったら話が早いわね。できる?」
「できます。アンジュさんの血がパスワードになりますので」
「よろしく。マップアプリ、どれくらいかかる?」
「十秒ほどお時間をいただければ」
躊躇している余裕はなかった。
それでまず、トンカチとか斧とかバールを持って、それぞれチームを作り、周辺の住宅やマンションの扉に殴り込みをかけるのかと思ったら、そうではなかったのだ。
情報部諜報局軍人の貝矢と、ハッキングできるぐらいネット知識があるコンビニバイトのソジュン、それにAIのクオンタムが協力して、短時間で作り上げた救出計画は思いもかけないものだった。
『神を創造する』
動物たちにとっては、お腹が空いて死にそうな自分たちのところに親切な神様というか天使さんが降臨してきたみたいに思えるはず。
「充分に発達した科学は魔術と変わりなくなるんですよ」
ソジュンが言っている。
それは向こうでも聞いたことあるけどな。
(自分たちが救われたければ、まず力のない者たちを救え)
というわけだ。
「ムダムダムダムダムダムダ」
磯部が舌打ちしている「調子に乗りやがって」
*
住宅事情が旧世界(おれがいた世界)とはかなり異なるというのはすでに話した。
防犯システムの手強さは、電子錠のシステムをハックして「解錠」の信号を送ったとしても、物理的な壁が残ることは、住んでいた者なら誰にでもわかる。
内鍵の存在だ。
ドアチェーンや、あのU字ロック。
こちらでも同じように物理的なかんぬきがかかっている可能性が高いのだ。
施錠が解けただけで、ドア自体は閉まったまま。
犬猫の力では重いドアは開けられない。
ところが、ここではその住宅の造り自体が異なっているのだった。
周辺属国からの資源や資材が豊富に流れ込んでいたのだ。
そのために独身寮とかでもオートロック、冷暖房バッチリ、地震対策とかも完備している「オートハウス」と呼ばれているロボテックな住宅システムが、一軒家とかマンションも、国の補助もあってほぼ例外なく普及している。したがって内鍵などというものはない。U字ロックも。
「マンションは一元管理されたネットワークに繋がっている」
規模にかかわらずマンションには、棟全体の管理サーバー、MDF室などがある。ここをハックすれば、その棟の『全室一斉解錠 + 24時間換気ファンの逆流暴走、その気圧でドアを押し開ける』が同時に実行できるはずだという。
「換気ファンの逆流暴走?」
「通常はそんなことは無理だがな、いまは例外状態だ」
「なんでもあり」とかすみさんは言っている。
逆流暴走。
つまり家や部屋の内部にミニ台風みたいなのを作ってその風力で、解錠されたドアを押し開けてしまう。
そんなことが可能なのか?
オートハウスでは可能らしいのだ。
内側からドアを全開できる。
再び小会議室のホワイトボードが使われた。
メンバーは有志のみ。
鹿子明日香はそんなの関係ないというように参考書を開いてこちらに背を向けているし、牢籠人の元山老人は個室から出てこない。
しかし、新たにメンバーになったミーちゃんだけでなく、一緒に来たケンというホストまで「何か助けられることがあるなら」と計画に加わってきたのだった。
すでに病院スタッフはほとんどいなくなっている。
咲坂も救急医の中町も他の看護師や守衛たちも、医療ロボを残して去っている。
いったいこんなとこで何をやっているんだという疑問は湧くけれど、できることをやっていくしかなかった。未来が全然見えないのだから、自分たちで創り出すしかない。
*
「すべての家を同時に、完璧に救うのは不可能です」
まず貝矢はそう説明した。
「軍は壊滅しているし、政府も消失しました。まずそれを頭の隅にしっかり刻みつけてください」
丁寧な敬語で説明してくる。
アンジュやかすみさんだけでなく、ソジュンやミーちゃん、ケンさんまでがこっくりとうなずく。
「我軍は全滅したわけね」
ケバいミーちゃんがあの独特のアニメ声でそう言うと、なんだか全然現実感がない。
合わせてマッシュヘアーに肌を綺麗に見せるベースメイク、眉をきちんと整えてゴールドのラッパーみたいなゴツいネックレスをしているケンさんは、おそらくあれから仰天してパニックになり八王子繁華街のホストであることを忘れてしまったのだろう、なんだか細身の黒いパンツスーツがやさぐれてしまって顔色も悪い。
ミーちゃんのとこに酔ったまま沈没してしまって寮に戻ったら早番の連中は全員死亡、おっかなくなってまたミーちゃんのとこに命からがら舞い戻ったから、私服にもまだ着替えていないらしい。
「侵入したら泥棒になっちゃいますかね? パンツとか替えたいんですよねえ」
なんだか黄昏れてしまってボーッとしている。
「ほんとにいったい、どうなっちゃったんすかぁ?」
それからが大変だった。




