第六十三話 魔国図書館
古びた羊皮紙には複雑な数式がびっしりと書き込まれていた。
といってもおそらくこれはオリジナルではなくコピーだろう。
キカにとってはそれでもよかった。
自分たちに足りないもの。
なぜ、殺しても殺しても上位存在になれないのか、その手がかりがそこにあるかもしれないのだから。
———言われるままに暗殺を繰り返していても這い上がれない。
(では、戦巫女隊長のずっと上にいる調律局の連中はどうだ?)
(現場で泥をかぶりもせず、ただこちらにAIの指示を伝えてきているだけに思える「あいつら」はどうだ?)
なぜその位置にいられるのか?
魔術だ。使える魔術がある。
それは先天的なものだと言われている。生まれのようなものだ。自分がなぜこのように貧乏な家庭で、あいつはなぜ裕福な屋敷なのか。
その答えは簡単。
そういう「生まれ」だからだ。
では、その生まれをひっくり返すためには?
学ぶしかない。
学び尽くして、生まれよりも強力なものを手に入れる。
それしかない。
悪意の限りを尽くしても、どんなに嫌われても、這いつくばってのし上がったものが勝つのだ。
*
魔術波動の干渉を示す幾何学的な図形。
渦巻き状の曲線を描き、魔力の流れを視覚化している。
この干渉波が強ければ強いほど、その者は魔力があるということになる。
魔術波。
干渉波。
電子化されているから、キキの指が触れるとインクが黄金色の光を帯びて浮かび上がる。
そしてここには、この羊皮紙の中には、最高の魔術。
魔法というものがどういうものなのかが記されている。
魔術と魔法は違う。天と地ほどの開きがある。
それはキカにもわかるのだが、魔術さえ自由に操れない自分には遥か遠い銀河の輝きのようなものとしか理解できない。
『魔法とは、法を変えてしまうこと」
『人間の法ではない。宇宙の法。その法則を根底から変えてしまうことに他ならない』
そう記されている。
キカは解読眼鏡を押し上げ、冷静にうなずく。
「このようなものではなかったか? という想像ね」
宇宙の法を変えるなんて、そんなことできるはずがない。万有引力を一部分変えてみせるのが重力板だけど、それはごく一部だ。もしそれを宇宙に適用したら、重力で均衡を保っている宇宙のすべてが狂ってしまって大混乱になる。それどころではない。滅亡だ。
そんなこと、いくら魔法使いだってできるはずがない。
だから魔術師はいても魔法師はいないのだ。
*
二人がさっきから話題にしているそれは、伝説中の魔法。
宇宙の法自体を変えてしまうような魔法。
双子、それもキカとキキのように一卵性双生児でなければできないという最高の魔法。
そんなの単なる伝説だと言っても妹のキキは耳を貸さない。
この図書館の静寂は、ただの無音ではない。
数千年の知識が発する、眼に見えない知性の圧力が、空間を満たしている。
「待ってて! 上の棚から魔法歴秘典取ってくる」
その鍵は、二人で一つになることだと言われている。
簡単なようで困難。
なぜなら双子といっても肉体は二つだから。
それがひとつに、一体になって重ね合わされなければ、その準備さえできない。
そこから修業がはじまるのだから。
いくら双子でも、その前段階にも到達できない。
「双子でも、それぞれなのよ」
わたしたちに出来るはずがない、とキカは思っている。
けれどキキはそうではない。
無邪気に、「最強最高」の夢を追っている。アイドルに憧れるようなものだ。
静かな館内に微かな音が伝わってきた。
「エコー?」
キキが呟く。
キカは曖昧にうなずき返す。
「たぶん、そう」
734がまた悲しくて泣いているのだ。
「……どうして死なせてあげないのかしら?」と、囁くようにキキが表情を曇らせる。
悲しみのエコー。
みんなはひそかに734検体のことをそう呼んでいる。
変性生物の失敗作なのに、なぜか生かされているのだ。早く自分を殺してくれと泣いているのに、地下深くで檻の中に生かされている。キカも一度見たことがある。とても動物とは思えない形相だった。
そうして怪物が次々に産み出されてくる。
生体工学魔術によって。
キカの通信核が鳴った。
瞳のVRスクリーンをオンにするよう指令される。
キキにもそれを伝える。
王国内日本のどこからしい。
スクリーンに、駐車場を上空から写したような映像が浮かんだ。
中央に長い黒髪の女が立っている。東洋人は幼く見える。体も細い。まだ少女なのかもしれない。
手に、バット?
握ったままが腰を落としている。
一方には二人も知っている生物模倣型モジュールが立ちはだかっている。
モジュールは強い。
練習台としていつも闘っているが、あれだけ大きいと二人でも相当手こずってしまう。
なのに———。
その映像の中で、彼女は一撃でそれを倒したのだ。
しかも、武器ではない金属バットで。
指令が、その映像をスローにするよう言ってくる。
ふわっと長い黒髪が宙に浮かんで彼女は飛行魔術を使っていた。
超スローにすると、その周辺だけがわずかに重力が歪んでいることがわかる。
なるほど、魔術剣士か。
映像をもっと拡大して見てみるように告げられた。
「彼女の姿だ。微妙に揺らいでいるだろう。何かに憑かれているみたいに」
確かに、その姿が時折揺らぐ。
何か背後にいるみたいにそこだけぼんやりしている。
「あれは何ですか?」
解析不能なのだと言われた。
不能? 魔国AIが?
そしてもうひとつ。
いま入った情報だというものがつづいた。
やはり同じ戦闘場面だが、こちらは三体。
いや、獣人兵だから三匹といえばいいのだろうか。
屈強な、キカたち戦巫女でもたじろぐような狼、猪、熊が次々に打ち倒されているのだ。
あの屈強な熊型が、
殺られた?
強敵。
キカとキキは顔を見合わせた。
ゾクゾクしてくる。
わたしたちの出番だ。
*
「亜種である」と指令は言っていた。「人間のようでいて人間ではないものが合体して彼女に憑いている」
「霊ですか?」
「それも、わからん」
だから分析不能なのだと。
キカはなぜかそこにも匂いを感じた。
学びの匂い。
強ければ強いほど得られるものは大きくなる。
収穫加速の法則だ。
「標的はいま、どこにいるのですか?」とキキが訊いている。
日本、という答えが返ってきた。
壊滅したと王宮で耳にしたけれど。
官製ニュースではまったく触れられていない。
もうすぐ出動命令があるはずだから待機しておくようにもと付け加えられる。
新たな任務。
古い写本を書架に戻し、二人は立ち上がろうとした。
そのとき、書架の間からリスが現れたのだ。
尾っぽの形からリスに違いなかった。
なんでこんなところに?
リスは尾を立てたままいっとき二人をクリクリした眼で眺め、ひょいとテーブルの下にジャンプしてそのままどこかにいなくなってしまった。




