第六十二話 箱舟の中 その3
混乱はそれだけではなかったのだ。
新たな事態が、予想もしなかったところから湧き出てきた。
残った命をどれだけ助けるか、という難問が。
盲点だった。
向こうの世界でおれは独身寮。こちらでもアンジュは独身寮。かすみさんもそうだ。
だからというか、自分のことだけ考えて、異なる生活パターンがあることを失念していた。
ペットと呼ばれる動物たちのことだった。
*
脱出手段を探ろうというこのときに、
コンビニ野郎の山夜ソジュンが言い出したことは、いままで考えてもいないことだったのだ。
「……いいですか? ぼくは幸い生き延びた。だから家に戻れたんですよ。そしたら両親はあんなことになっていた。そりゃショックでしたよ。でも、ハウスの中でキャッキャッ小躍りしてジャンプしている声が聞こえてきたんです」
ソジュンはそこで少し沈黙した。
「家でキュルルンをひそかに飼っていたんですよ」
キュルルンというのはソジュンが肩に乗せている「キュル子」と呼んでいる青いモンキーみたいな子のことだった。
「……変成動物を飼うのは違法なのはわかってます。おふくろは山菜採りが好きで、奥の方は山が多いからよく行くんですけど、
あるとき、もう半年以上前なんすけど、藪をかき分けて茸を探しているうちに、小さな鳴き声を耳にして、おそるおそる近づいてみたら青いけどまだ毛の生え揃わない子が深い草の中でモニョモニョしていて、なんだこれ? 猫でもない、鳥でもない、熊でもない。なんだかわからないけど動物らしきやつが、おそるおそる指を伸ばして触れようとしたおふくろの指先に、逃げるどころかしがみつくようにしてきて、指先をちゅうちゅう吸おうとしてくる。
ああ。これは赤ちゃんだなと思って周囲を見回してもそれらしき親の姿はない。
初めはこれも運命だとそのまま放置しようと思ったらしいんですが、おふくろはもともと動物好きだったから、どうしてもほっとけない。さんざん逡巡して、とりあえず持っているペットボトルのキャップに水を注いだら、しがみつくようにしてそれを飲んでいて、もう見過ごせなくなってしまって、山菜採りの籠に入れて家にひそかに持ち帰ったわけです」
一気呵成に喋りまくった。
「……話が長くなっちゃって、すいません。
オヤジは怒りましたよ。密告されたらどうするんだって。
でもおふくろは、もう情が移ってしまって、頑として耳を貸さない。それで仕方なくオヤジも折れて、家の中だけで飼う。外には出さないという条件で飼いはじめたんです。
ぼくも最初は、なんだかなあって感じで、これは私悪だよなとか、高校の昇級試験間近のときでしたから、バレたらこっちまで危なくなるとか色々考えちゃったんですけど、仕方なく飼育の世話を手伝ってるうちに……」
「二代目じゃなかったの?」
「すいません、ほんとのこと言ったら、山に捨ててこいとか言われるかと思って……、ほんとはまだ飼いはじめたばかりなんです」
キュルル〜ンと肩に乗ったキュル子が小さく声を上げた。
いまや生存者のサロンみたいになっている医局の片隅で、新たなメンバーであるケバいホステス女性の「ミーちゃん」相手にそう力説していた山夜ソジュンは、アンジュの方を見た。
「……すいません。だからあのとき、キュルルンが現れたとき、親がキュル子を探しに来たのかと思ったんですよ。でもなんか蝿みたいなドローンに絡まれていて、いきなりあの戦闘になっちゃったじゃないですか」
「もしかして、その親を探せっていうわけ?」
「そうじゃなくて、さっきもこの女のひとに言ったんですけど」
「あたし、ミーちゃん」
女が声を上げる。
「ん?」
「あたし、ミーちゃん。よろしくね」
「……言ってたんですよ。キュル子はこうして檻から出してあげられたからよかった。でも考えてみれば、あれ以来そのまま閉じ込められている子たちがどれくらい、いるか」
アンジュは顔色を変えた。
血の気がすーっと引いていくのがおれにもわかった。
獣人兵と対峙したときにも見せなかった動揺を隠し切れない。
そうか、
人間は自力で脱出できても、家や部屋の中にいる子たちは……。




