第五十九話 暗殺ガールズ
地上の喧騒から隔絶された、長い螺旋階段を下りきると、息をのむような広大な円筒形の空間が広がる。
キカとキキの唯一息が抜ける場所。
魔国図書館。
ここには監視カメラはないはず。
自室にさえあるのに、ここにはないはず。
それは、魔国がまだ穏健王国だった頃の名残り。
その頃はまだ自由な雰囲気があったらしい。
でも噂では、書架の間とか照明装置にそれが仕掛けられているという。
どうだかわからない。
この図書館は、垂直に広がる知識の断崖そのものだった。
天井は遥か上空に霞み、視野の限界を超えて闇に溶け込んでいる。壁面はすべて、黒檀の巨大な書架で覆われ、数万冊の魔導書が隙間なく並べられている。
古いものでは、表紙が獣の皮で装丁され、黄金の留め金が魔力の封印を施しているものもある。上層の書物を手にするためには、壁際に備えられた「昇降円盤」を操る必要があるほどに。
「見て、キカ」
「何?」
キキの声に、唇に指を添えながら姉のキカが眉をひそめる。
「大きな声出しちゃ駄目」
「ごめん、でも」
「でも何?」
二人がさっきから漁っているのは魔法の伝説を記した古い書物だった。
「ここに書いてあること、わかる?」
数式。
干渉パターン。
キキが興奮気味に声を上げ、羊皮紙を指差している。
「複写して検索かけてみよっか?」
「ダメ」
首の振り方で呑気なキキにも伝わったようだ。
いちおう官製のスマフォは使える。
魔国にだってスマフォ業者はいるし、そういう民間の会社だってある。エンタメだって、政府批判、思想的に引っかからなければ、いちおう許されている。
けれども、名目は「Worldwide」でも、実際にはそれはワールドでもワイドでもないことは常識だった。魔国連合の外のことは、幾重にも張られたフィルターを通してしか国民のスマフォには届かない。
まして、図書館内に秘蔵されている羊皮紙をネットにさらしたらどんな反応が返ってくるか。秘密警察の、通称「エイリアン」と呼ばれている連中がやってくる。
それだけではない。苦労して戦巫女になったその特権でさえ失いかねない。
円卓の上には、数枚の羊皮紙が広げられていた。
それをこうして「見られる」という特権。幾多の過酷な任務を幼少の頃からなんとかこなしてきたから得られているのだ。
これは絶対に手放してはならない。
「忘れたの? わたしたちがこれまでどんな任務をこなしてきたのか」と姉のキカ。
「……そうだけど」と妹のキキが口籠る。
微かに潮の香りがした。
周囲は本ばかり。海なんてない。
*
彼女たちの初任務は十歳の春だった。
黒氷の修道院での訓練が一段落した頃、キカとキキは初めての実戦任務を与えられた。
任務名:「他国に亡命している反逆者一族粛清」。
ヨーラシア魔国連合の外にはもちろん環太平洋王国でもオルマン帝国にも属さない小国がいっぱいある。その、いわば中立国の領内の辺鄙な小さな村に、魔国に反旗を翻して亡命した貴族の残党が潜伏しているという。
目標は、その家族全員——男3人、女2人、そして子供2人——の抹殺。
見せしめだった。
魔国体制に反旗を翻した者は一名たりとも許してはならない。
キカとキキ、双子だけの単独行動だった。
失敗は許されない。
生きて帰れなければ、死体として処理される。
幼年隊司令のエリザ・クロイツが、修道院の訓練場でキカに任務を告げた。
「お前たちは剣だ。感情は不要。魔国の意志を遂行しろ。躊躇すれば、悪の力が暴走する。お前たち自身を焼く」
その意味はわかっていた。
悪と神は体制の都合によっていくらでも変化する。
*
まだあどけない顔の二人は、黒い戦巫女服に身を包み、短剣と低位悪の刻印を携えて国境を越えた。
二つの国を徒歩で横断する。
この殺人使命も夜中歩行訓練とか同じようなものなのだ。
やり抜かなければ置いていかれるだけ。
村までは、雪の山道を三日かけて、幾つもの山を越え、徒歩で移動した。重力板の使用は許されていない。あくまでも古式な方法で、ほとんど自分たちの肉体だけを使って暗殺任務を遂行する。
できなければ、自らの死。
まだ十歳なのに、その意味を、孤児であった二人は身に染みてわかっていた。
生きるとはそういうことだ。
生き抜くとはそういうことだ。
道中、飢えと寒さに耐えながら、鏡室で鍛えた「闇の瞑想」を二人は繰り返した。
小国のはずれにある村に到着したのは、夜だった。
木造の家屋が数軒、雪に埋もれるように建っている。
目標の家は、村の端にある少し大きな屋敷。
煙突から煙が上がっている。
窓から暖かい灯りが漏れている。
その光景を見た瞬間、キカの胸が焼けた。
(……幸せそうな家)
絵本に出てきそう。
屋敷に近づき、影から内部を覗いた。
家族が八人。
暖炉を囲んで夕食を取っていた。
父親が子供に笑いかけ、母親が優しくその頭を撫でている。
「殺せ……あの幸福を、あの温かさを、壊せ……」
キカとキキは顔を見合わせ、窓を静かに割った。
屋敷内に侵入した。
最初に気づいたのは、父親だった。
「誰だ!?」
男が立ち上がった瞬間、キカの短剣が喉を貫いた。
あっけなかった。
トライする前のイメージと全然違った。
殺すのは簡単だ。
それまでのほうがよほど苦労する。
血が噴き出し、家族の悲鳴が上がった。
母親が子供を抱きしめて逃げようとする。
それは想定内。
殺しもそうだ。
けれどその後に思わぬことが生じた。
突き刺した相手の中から何かが伝わってくるとは思わなかったのだ。
教えられてもいなかった。
(命?)
(命を奪うってこういうこと?)
妹のキキは、キカの行動に刺激されたのか、狂ったように突き進んでいく。
すでに絶命している父親の背中をメッタ突きしている。
もう死んでるのに。
「助けて……!」
子供のひとりが泣き叫ぶ。
その泣き声が、キカの耳に刺さる。
一瞬、足が止まった。
(……私と同じくらいの歳……幸せそうな顔……)
握った短剣がその女の子の胸を突き刺していく。
自動的に突き刺していく。
吹き出した血が顔にかかった。
温かい。
命が伝わってくる。
———このとき二人は、初めて加害者になった。
捨てられた孤児という被害者から加害者に変わった。
残りの家族も、次々と斬り伏せた。
最後の男子——八歳くらいの少年——が、震えながらキカを見上げる。
泣いている。
「お、お願い……殺さないで……」
妹のキキがさすがに躊躇しているのがわかる。
声を聞き、相手のことがわかってくるとそれだけ躊躇いも生じると、訓練のときにくどいほど言われていた。
物として扱え。
送られてきた小荷物の封をカッターで開ける。
それだけのことだ。
「殺さないで」
キカは、あえて無表情に少年の首を突き刺した。
屋敷は静けさに包まれた。
血の海の中に二人は立っていた。
刻印が脈動し、力が満ちる感覚。
任務は完遂。
二人は屋敷に火を放ち、雪の夜に消えた。
帰還後、エリザクロイツがキカの報告を聞いた。
「よくやった。感情の揺らぎはあったようだが、ほぼ完璧だ」
キカは無言でうなずいた。
あの初任務のときから時計は進んだが、初任務で殺した八人の顔は、いまでも覚えている。
特に、あの子たちの泣き声は。
(……あの日から、わたしたちはもう、人間じゃない)
(でも、それでいい。二人して頂点まで這い上がるためなら、どんな血を浴びても)
わたしたちは殺人マシーン。
それ以上でもそれ以下でもない。
悪の手触り。動物の匂い。
孤児修道院でさんざん見聞きして刻印されてきたからすぐにわかる。




