第五十八話 血筋
「父が愚かだと貧乏になります。母が愚かだと病気になります」
医局の隅で何気に受験勉強していた明日香が、ふと気づいたようにツインテールの女学生顔を上げ、暗記する単語を復唱するみたいにそう呟く。
「王国の政治が悪かったって言うの?」
アンジュが反応した。
「大陸の原住民たちの言葉です。意味なんてありません。ふとそう思っただけです。要するに、親ガチャなんですよね」
また視線を参考書に戻してしまった。
(……ちょ、ちょ、ちょっと待て。こっちにもガチャがあるのか?)
「あるわよ」
簡単に言われてしまった。
ノケゾッた。
あのガチャまで並んでるのかよ、フツーに。
おれは次第に学びはじめた。
違うところと同じところを。
確かに、これほど大規模な侵略を許してしまったのだから、父というか王国統治者たちの責任はあるだろう。国民を守り国境を守るのが統治者の役目なのだから。
でもなんというか、神社っ子の明日香の言葉には「言外の意味」があるように感じるのは気のせいだろうか。
血筋もそうだ。
向こうではほとんどそんなの関係ない。
遺伝病とかそういうことぐらいで、後は金持ちトウさん貧乏トウさんぐらいだろう。
けれどこちらは異なるのだ。
おそらく武家社会がずっとつづいていたせいだろうけど、血のことはずっとついて回るらしい。
そういう明日香は、アンジュの血筋を知っている?
それはないだろう。
だけど、呪いと祝いもそうなのだ。
こいつの口にすることは、なーーんというか思わせぶりで、それでいて否定できないような力みたいなものがある。
おれがかすみさんの変貌ぶりにショックを受けていたとき(あれはもう以前の世界のかすみさんを見そめた自分にとっては呪い以外の何ものでもなかった)、そしてそれでもそういうかすみさんを含めておれは「愛せるか?」とか、それもこれもすべて含めて、まるっと愛せるのが、ほんとの愛だとか、身の丈もかまわず本気で考えはじめたとき、そういう言葉が伝わってきたのだ。
呪いと祝いは同じことなのだと。
いまやかすみさんは、矢の一本一本をつぶさに点検しながら鏃を研いでいる。
「先端に毒を塗っちゃいましょうかぁ?」とか、看護師なのに早くも戦闘態勢に入っている。
あの、かすみさんがだぞ。
(そういえば、岩井は祝い、なんだよなあ)
とか、くだらない語呂合わせまでしたくなるほど、変貌しつつある。
もう何がなんだかわからない。
女たちが逞し過ぎるのだ。
開け放った窓から微かに冷たい風が入ってきた。
死臭が少し薄らぐ。
あのとき投げ入れられた参考書を「もったいない」と言って明日香はわざわざ拾って来ていて、汚くなったからと血をたっぷり吸って赤黒くなったそれを捨てようとしないから、余計医局の中に異様な匂いが立ち籠めている。
メガネをはずしてレンズを繰り返し拭いている明日香に、包帯姿のままアンジュはあらためて礼を言った。
「別に、何もしてませんけど」
拭くことをやめない。
「逃げなかったの」
「ヒマでしたし」
「大事な参考書が汚れちゃったね」
「新しいの、買ってもらえます?」
ん?
参考書じゃない。
『指定教科書』という文字が血まみれの表紙の間に見える。
登用試験指定教科書『悪階梯原論 中等』
(こいつ、教科書放り投げたのかよ!)
*
なんだか感覚が麻痺してきている。
ここは異国なのだ、という感じ。
おれの常識が通用しない。
「父親」の問題もそうだった。
あの時間に眠っていた者たちがすべて亡くなっているということの別の意味。
アンジュにとっては考えたくもない隠された意味のことに、老医師の木村はあえて触れてきているのだということが、微かにおれにも伝わってくる。
忌避しようとしても、考えたくなくても、この王国で、環太平洋王国の中心である日本で、その時刻に睡眠していた皇族も華族も大奥院も、王位継承者のすべてがその死者に含まれるのだということを———。
「信念を貫くいうと、尊いように思われますが、かつての意見をずっと持っているだけだとしたら、それはただ精神が止まっているにすぎません」
木村は諭すように声を落としてアンジュに語りかけてくる。
気持ちはわかるけれども無謀なことは避けてほしい。
好むと好まざるにかかわらず、「大事な体」だということを強調している。
なーんかウザい。
アンジュはそれにも答えなかった。
(信念を貫くって、家を出たことか? それとも職を賭して進言したこと?)
おれも次第に、アンジュの血のことを意識しはじめた。
事情はまだよく知らないけど。
士族棟に行ったとき、こんな王国なら滅んでしまえばいいみたいなこと言ってたような気がする。
アンジュはそのことには触れたくないようで、「弱点だらけなのね?」とAIに語りかけて自分の脆弱性に話を戻してしまった。
しきりに何かを想うように、頬の絆創膏を指先でなぞっている。
脆弱性というのはウイークポイント、弱さということだろう。
自分の弱点を確認してどうするつもりなのだろう。いまから剣の修行をしたって間に合わないことはわかっているのに。
おれも揺れ動いていた。
間接的ではあっても、たとえそれが獣人であっても、おれも初めて殺したのだ。
アンジュを通して。
牧場には鶏もいたけど、自分の手で絞めたことはなかった。絞める前に牧場自体が潰されてしまった。
(もう無条件降伏したほうがよくない?)
いくら経験値がアップしたって多勢に無勢ということは変わらない。
状況からして、王国民を含む軍隊も市民も一夜にして消えてしまったと思ったほうがいい。
頼るべき味方はないのだ。
*
アンジュは重ねて、取るべき武器のことをたずねていた。
(まだ戦う気なのかよ!)
向こうも学習してきているということは、二度と同じ迎撃の仕方は通じないということを意味する。
何か特別なものが必要だった。
「霊刀を探すことをお勧めします」とAIは告げた。
「刀?」
「吸血刀といわれてます。あの黎晶を練り込んでいるという伝説の。危険すぎるということで封印されてはいますが、王家の血筋しか受けつけません」
幻の妖刀というところだろうか。
要するに、古代の刀匠が、自分たちの技術と勘で、当時はただの珍しい鉱物だったそれを刀に練り込んで鍛え上げることを試した。そしてそれを朝廷に献上した。そういう刀剣だったが、使える者がいず、使おうとすると暴れ馬のようになって制御が効かなくなり、あまりにも危険だということで、三刀と短剣だけが鋳造されたまま、魔術封印されてずっと皇統の蔵庫に保管されたままになっている。
それを使え、とAIは言っているのだ。
「いまも有効なの?」とアンジュはたずねた。
「それを持つ人物によります。武士階級がいまだに存続しているにしても、それはもう階級としてですから。率直に申しますと、形骸化しました。それは隠然として残ってはいますが、形を変えています。サラリーマン武士も、軍人の武士もいます」
「それはわかってる」
「政府も貴族院もほぼ全滅です。生体応答がすでに切れて二日以上経っています。残念ながら、ご実家も」
アンジュはそのときだけ強く首を振った。
「実家じゃない。母は追い出されたんだから」
「それはわかっておりますが、家系の話をさせていただいております。血統です」
「血?」
「そうです。あの刀には制御するための血が必要です。暗証番号のようなものです。あなたにはその資格がある」
「この病院にあるの?」
「ありません」
AIが答える。「三刀のうち二刀だけ、魔術省地下に厳重に保管されております」
「地下のあそこ?」
「そうです」
「立入禁止」
「解除できます」
「考えさせて」
「お急ぎください」
「血を吸わせろってことよね、わたしの」
「そうです」
「……わかった。ありがとう」
ここではなんでも血なのだ。血がベース。
ということは、DNA。
誤魔化しがきかない。




