第五十五話 お嬢様と呼ばれること
「はっきり言って!」
とうとうアンジュとAIの口喧嘩みたいなのまではじまっていた。
女性AIだというクオンタムの、遠回しな言い方というか忖度に、アンジュはいらついている。
「いいのですか?」とクォンタムは遠慮がちに告げていた。
アンジュはうなずいたが答えない。
「敵に同情してしまうのがあなたの弱さです。想像力、といってもいいかもしれません。刺されたらどんなに痛いだろう。皮膚を切り裂かれたらどんな気がするだろう。そんなことを考えていたら真剣での立ち会いなどできません。まして、デッドマンスイッチ」
「そのことは聞きたくない」
遮るように手を振った。
「しかし」
「聞きたくない」
「ですが」
「……わかってる」
不機嫌に頭を抱えたままアンジュは首を振る。
デッドマン? スイッチ?
わかってる!
わかってる!
わかってる!
「では、立ち会いに戻ります」
AIもなぜか譲歩した。「立ち会う際、それが切っ先に出てしまうんです。勝負が決する瞬間、たがいのこれまでの生が露出します。そしてどちらかの生が散る。花はなぜ咲いて散るのか」
それもアルゴリズムなのか?
(ようやくわかってきた)
(それが、この世界での侵略のあり方なのだ)
「彼らがなぜ獣人兵になったのか、そんなの無視して殺せっていうの?」
アンジュは反論する。
「彼らはね、人間であることさえ許されなかったのよ」
「慈悲は禁物です」
「……わかってる。けど」
「ゲロ吐きそうですぅ」
かすみさんみたいな反応がフツーなのだ。
屋上には獣人兵たちの血まみれの死体。
その下の病室には患者さんたちの遺体がそこら中に横たわっていて、その間をどこから来たのか黒い蝿がせっせと行き来している。窓を全開にしているのにそれでも臭いはじめている。
「わたしね、ずーっと、一度はクラブで踊り倒して飲み倒して、もうベロベロ、いい男に口説かれまくってシーシャ吸ってハシゴして、ゲロ酔いして、もうメチャクチャになりたいって、ずっと思ってたんですよぉ」
後片付けと称して屋上の惨殺現場をおそるおそる見に行ってから、岩井かすみさんは、もうかつてのかすみさんを脱皮して、全部脱ぎ放って、そう言っている。
メチャクチャになっちゃいたい、と。
弓でバシバシ床を叩いて呟いている。
「戦闘したかったですぅ、あの緊張感、たまらない」
振れ幅がすごい。
静かなのは、サヤカの周囲だけだった。
アンジュも混乱している。おれも混乱している。あの髭ジィも混乱している。病院にまだ残っているスタッフ全員がカオスになっている。
血と腐敗。
蠅だけがどんどん多くなる。
真冬なのに。
オルマン蠅?
黒蠅だけど。
(もう何がなんだかわからない)
「神に好かれると蝶が多くなります。神に嫌われると蠅が多くなります」
鹿子明日香が小柄な体をウロウロさせながらわけのわからないことを呟いている。
まるでお祓いでもするようにして。
そしておまけに、
「この状態が、あなた様にとって、結果的に、どのようなことを意味するか、もうおわかりになってますよね?」
結果的に、ということを強調しながら、爺さん医者の木村まで髭をかしこまらせながら訊いてくるのだ。
こうなったらお覚悟をと。
「好むと好まざるにかかわらず、嬢様には王位が」
「やめて! そういう言い方」
「でも」
「やめて、お願い。その話はしたくない。わたしは家を出たんだから」
「しかし……」




