第三話 おれはどこにいる
静けさがこれほど怖いものとは思わなかった。
それと、シーツの白さも。
白だけが反射して眩しい。
いつの間にか朝になっていた。
おれと岩井かすみさんは、疲れ切った体を支え合うようにして、最後の病室に入った。いつもの「おはようございま〜す」も出ない。黙礼だけして、病室に足を踏み入れる。
すでに朝の光が山の稜線を照らしていた。
「……日の出になっちゃった」
かすみさんが掠れた声で呟き涙でウルウルになる。
「伝染病でしょうか? そんな徴候、全然なかったですよ」
ひとりでぶつぶつ喋っている。
あれからまだ二時間しか経っていない。
なのに、世界が終わったみたいに感じる。
念のため医療用のニトリル手袋のまま機械的に脈を取って回った。
冷たい手首。
動いていない。
その冷たさが石より硬く感じる。
(マジかよ、ほんとに死んでる)
顔は見ないようにして、
なんかギクシャクしてしまって、
おれがおれでないような、
そんな感じで首をそむけた拍子に、、、
髪がばさりと首筋に落ちてきた。
長い。
毛先に刺激される。
頭頂から肩を越えて繋がっている。
おれの髪ではない。
誰の髪だろう。
背中がざわざわする。
感触がおかしい。
(なんだよ、これ?)
かすみさんが耐え切れずに、しがみつくようにすがってくる。
おれの胸に小顔を埋めて泣いている。
なのに、その感触もどこか違う。
(クソっ、自分の体が自分のように感じられない)
……頭が回らなかった。
完徹と疲労で、思考がどこか遠くにある。
ブーンという耳の奥の音。
自分の声が自分のもののように聞こえない。
おれはそのとき、
対面しているかすみさんの潤んだ瞳の中に映っているものを見たような気がした。
「ゴメン!」
いきなり胃の奥から込み上げてきてトイレに駆け込む。
吐いた。
苦い胃液まで出て、咳き込む。
激しく咳き込む。
声を上げて泣いていた。
ん?
誰が?
おれか?
自分の声が、妙に高く響く。
切り裂かれたみたいな呻き声。
完徹で吐くものなんて何もないのに嘔吐だけは胃の奥から突き上げてくる。
苦しい。
苦しい、はずなのに……。
長い髪がだらっと下に落ちてくる。
誰の髪?
吐き終わって顔を上げ、ドアを開けたとき、ようやく気づいた。
あの小便器がなかった。
女子トイレに入ってしまっていたのだった。
(何かおかしい)
洗面台の照明が切れかかっている。
チカ、チカ、チカ。
混乱した頭でとりあえず顔を洗おうと蛇口をひねった。
冷たい水が手に触れる。
チカ、チカ。
流れる水の感触は、確かに自分の手に伝わるはずだった。
なのにそこにも違和感があった。
なぜか指の長さが違うのだ。
手のひらの小ささが違う。
(これって、、、おれの手?)
(誰の手?)
ふと顔を上げた。
鏡の中にひとりの女性が立っていた。
「エっ!!」
おれではなかった。
チカッ、チカッ。
その女性はこちらを見詰めたまま、ふと微笑んだ。
まさか、、、。
亡くなったはずの姉にそっくりな女が、そこに立っていたのだ。
鏡の向こうからおれを見ていた。
「……ズシくん、来たのね」
それは静かに告げてきた。




