第三十八話 女たち
真夜中のあの大惨事からまだ二日目なのに、すでにあの黒環と呼ばれている大型の輸送飛行船が現れている。
ということは、あのときを合図にしていっせいに侵入してきたということを意味する。
「……どうなっちゃうんですかぁ、わたしたち」
かすみさんまで来ていた。
ピンク色のダウンに白いマフラぐるぐるして、それでも寒そうに震えている。たぶんひとりでいるのは心細いからイヤなのだろう。小刻みに震えているのに階下へ去ろうとはしない。
「わたし、ほんとは山奥で育ったのに、なぜか寒いのが超苦手なんですよぉ」
ウサ耳みたいに髪の間から飛び出ているエルフ独特の耳朶までピンクに染まっていて、そこだけクリスマスが来たみたいになっている。超カワユイ。
しかも、しかもだ。
その格好で、押し入れから取り出してきたという樹木の皮で作ったような矢筒を斜め掛けして、おまけに、ほんとにこぶりな奇妙な形の弓まで持ってるから、もうほんとに、なんかエロ可愛くて、その弓でパチパチしてもらいたくなる。その可愛さに、さらに極上の砂糖をふりかけてロウソク立てたみたいになっている。
「弓探してたら、これ見つけちゃって」
腰に何か緑色の布で包まれた細長い壺のようなものを提げている。
「地酒なんですよぉ、わたし、あんまり呑めないから、以前に里に帰ったときにお土産されたんですけど、奥に押し込んだままになってたんですけどね」
火と森の女王という名らしい。北欧のアールブ由来のヴァイキング酒らしくて、戦闘の前にこれを呑み干して雄叫びを上げるらしい。
「……遠慮しとく」
「わたしも」
「連絡は取れました?」
アンジュが男前になって話を変え、かすみさんに訊いた。
「実家ですか?」
うなずく。
「ついたんですけど」
何かもじもじしている。
「けど?」
「……やっぱ、……いままでが、いままでだったじゃないですかぁ? こう言っちゃなんですけど、いままでずっと都合よく下働きばかりさせられて……、だからけっこう反撥もあって」
古老Jエルフたちの意見らしい。
「それはほんと、代表して謝るしかないんだけど」
「いえ、謝ってもらうとかそういうことじゃなくて」
「わかってるけど」
「こんなときだからって、とにかく助け合わないとって、いちおうわかってもらえたみたいです」
「ありがとう」
いえいえ、わたしじゃなくて母が、とかすみさんは謙遜してる。
あの岩井かすみさんがこちらではJ産ハーフエルフだということだけでも驚きなのに、交渉とかしてくれていることにおれはちょっと感動していた。少なくともあのリス野郎よりは頼りになるかもしれない。
人間の中に(エルフや妖精も人間だとして)用意されている可能性というか。人間関係とか、そういうのって、実はいくらでも変えられる、変われるものなのかもしれない。
あらゆる可能性がおれらにはある。
殺人鬼にもなれるし、天使にもなれる。
そういうことなのか?
かすみさんの変貌ぶりを見てると、
可能性っていうのは、
観測されると現れるんだなって思う。
———おれはそのとき、その変貌というやつの底知れなさをわかっていなかった。
全然、わかっていなかったのだけど
「妖精エルフ連絡網はまだ生きてたのね?」とアンジュ。
ん? 妖精とエルフは違う種族だぞ。
ということは、この世界にはエルフだけじゃなくて、妖精も、いる?
「それは大丈夫です。みんなあのときも寝ずに働いてましたから。インフラとか色々な場所で」
エルフかすみさんはこっくりキリッとした表情で答えている。
「森の仲間は?」
「もちろん健在です」
どうやら栃木と山形と新潟にまで広がったこの世界の森林地帯にJエルフの里みたいなものが点在しているようなのだ。
「もしもよ、もしもわたしたちがそこを頼ったとして、受け入れてくれるかしら?」
「母を通して頼んでみます。エルフの故郷は山中の奥深くで、いまは雪だらけですけど、大丈夫ですよね?」
「身を隠せるなら」
「栃木は県の半分以上が深い森ですからね。山向こうの山形とか新潟までずっと森が広がってますから。それに……」
「それに?」
「ご存じないかもですけど、妖精の里もあるんです。ずっと奥の隠れた場所に」
どんどん状況が進んでいく。
ついていけてないのは、おれだけかもという気がしてきた。
妖精まで?
この日本に?
いる?
「結界的に独立してますけどね」
なんだか事情のあるような言い方だった。
「一時的に退避するでシよ」
それまで黙っていたリス野郎が無塩アーモンドを頬張りながらコンサルらしくまた顔を出す。
「逃げるの?」
「体勢を立て直すでシ」
「占領されてしまうのよ」
「例外はありまシ。なんにでも例外、というものがあるんでシ」
制空権がなく、すでにあらゆる場所をドローン監視され、もしかしたらすでにスマホもマークされているとしたら、もう動きようがないではないか。
「例外って、どういうこと?」
「大陸」
「幾つもあるけど」
「海もありまシ。海は広いな大きい〜なあ、でシからね」
「まあそうだけど」
「ということで、ちょっと偵察に行って来ま」
なんだか余裕こいてる。
そりゃあおまえは、ちっこいからどこにでも逃げられるだろうけど、人間はそうはいかないいだぞ。
わかってる?
「わかってますよ」
いきなりリアルな声で、
それも恐ろしく低音で、
洞窟の底から湧き上がってきたみたいな響きを持って、
リス野郎は答えたのだ。
わかっていると。
そのときあいつの眼がすーっと暗黒に閉じた。
まるでブラックホールに吸い込まれるみたいにして。
ほんとにこいつは、、、悪魔なのか?
「では、行ってまいります」
リスは短く告げて薄闇の中に消えた。
夜の中にジャンプしたと思ったら、すっと消えてしまったのだ。
きっとあいつは自分だけ逃げ出したに決まってる。
偵察なんて口実なのだ。




