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第三十二話 士族棟 その2

 銀色のそれらは、髪の流れを完全になぞっていた。

 いや、なぞっているのではない。

 髪という形を、外側から模倣している。

 一本一本が、微かに脈打つ。

 呼吸しているようにも見える。


 男の顔は安らかだった。

 苦悶「くもん》も、恐怖もない。

 ――ただ死んでいる。


 銀の群れは頭皮の隙間に潜り込み、時折ズルっと粘った音を立てて位置を変えていく。

 ズルッ

 ズルッ。


(寄生……? 卵を植え付けている?)


(いや、違うな)


 理解が追いつく前に、死んでいるはずの男の喉《のど》がヒクリと動いた。

 死体が呼吸したのではない。

 中から何かが、呼吸の真似をしたのだ。

 すでにかなり入り込んでいるのだろうか。


 銀の群れは一見《いっけん》、統一された動きをしていないように思えた。

 にもかかわらず、乱れてはいない。

 あるものは、頭皮に沿って密着し 

 あるものは、耳孔へ、

 鼻腔へ、

 また別のものは、こめかみの血管の上で拍動に同期している。


(……分業してるのか)


 それぞれの動きは独立している。

 だが全体としては、ひとつの意思に収束《しゅうそく》している。

 忍蟲。


            *

 

「見て!」

 アンジュが声を潜めて囁く。

 頭頂部の一角――

 そこだけ、銀の密度が異様に高い場所があった。


 細長い銀色の個体が、互いに絡み合い、まるで神経のように束ねられているところに微弱な振動が走っている。

 それが波紋のように、他の銀蠅たちへ伝播していく。


(指令系……)


 これはオルマン魔術だとアンジュは確信した。


 視線を下げる。

 男のこめかみが、わずかに膨《ふく》らむ。

 内側から、押されているのだ。

 銀の一部が、頭皮の下で形を変えている。

 長いものは縮み、短いものは伸びる。 

 この男は、もう主体ではない。

 ただの基盤だ。

 情報基盤。


(おれはまだ全然わかっていなかったのだ)

(この世界が魔術を基礎にして独特な科学を異様なほど発展させていることに……)


「ズシくん、一緒に見てるわよね?」

 いきなり部屋の中央で、アンジュが内話のようにおれに問いかけてきた。

「これが、この世界の現実なの。言葉で説明したってわからないだろうから、実際に見てもらった。少しはわかってきたでしょう? ここがどういう場所かってことが」


 おれは戸惑っていた。


「スリープデスと言われ、世界構造が変わりそうなときに、何をそんなにグズグズしてるのかって思うでしょうけど、問題は転送なの。言ったでしょう。時間がかかるって。反撃するにも反撃できないのよ」

 

 反撃する気なのかよ。


 いままでこちらから伝達できなくて一方的だったのが、なんとなく通じるようになっていて、おれは驚いていた。


 関係が深まっている。


「ビット転送なのよ。召喚って、言うでしょ? 魔術師が象を召喚したとか。霊を召喚したとか。それって、実際にはビット転送なの。どうしても時間がかかるの」


「ほら、あなたのいた世界でも、Wi-Fiがうまく入らないとか、性能がローカルだとかの条件だと、ひとつのきちんとした映像とか送られてくるとき、初めはただの霧みたいな感じで、だんだんぼやけてきて、次第にその像の輪郭が現れてきて、……ようやく送られてきた像がどんな感じか、わかるじゃない? そうなんでしょう? そっちの科学は」

「まあ」

 リス野郎もコンサルらしくうなずいている。


 おれの困惑はMAXになった。

 転送途中。

「ほんとに、そういうことなのか?」


「だから時間がかかるの。充分転送させるのは丸三日間かかる。まだ一日しか経ってない。でもすでに視点や思考は、わたしに憑く形で徐々にバイラルになってる。でも実体はまだ」


 次第に、なんとなくわかってきた。

 ぼんやりした画像状態。


「……でも、それでも、わたしを通して見たでしょう? この世界の有様を。こちらのローカル情報がだんだん積み重なっていってるはず。そうよね?」


(まあ)


「だいぶ違うでしょ?」


(だいぶどころか、かなりね)


「ほんとだったらゆっくりと」


(温泉入りながら?)


「くだらないジョーク」


(すんません)


「とにかくね、こちらのこととか、ゆっくり学んだり経験してもらうのがいちばんいいんだけど、時間がないの」


(……敵は?)


「調律師と呼ばれてる。大魔術師もいる。倫理規定を捨ててしまったアーリマンもいる。しかも三位一体のAI。とんでもない魔術国なのよ。魔術と軍事が国を支えている魔国」


(国? 国家?)


「強大な連合国家」


(それが、ヨーラシア魔国ってわけか)


「そうなの」


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