第二十八話 近辺生存者 その1
———そういうところに。
近辺生存者と言っていいのだろうか、
ひとり、
またひとりと、
あのときをなんとか自覚がないままに無事に過ごしたものの、どうしていいかわからない者たちが、夜になって不安になってきたのだろう、病院の明かりを頼りに現れたのだった。
またあの低奏音。
ブーン、ブーン。
あの虫みたいなのは見えないのに、どこからか伝わってくる。
微かに悲鳴が混じっているように聞こえるのは疲れているからだろう。
鹿子明日香という名前だった。
生徒証ではなく、こちらでは生体内IDがその代わりになるようだ。
「鹿の子編みの鹿子です。鹿の子餅でもいいですけど」
この病院の近所に住んでいて、あのときも受験勉強中だったらしい。
中学三年生。まだ十五歳。
髪をツインテールにした小柄なその子が、制服みたいなものを着て、コートも身につけず、気が付くと病院エントランスの、あの王国樹の脇に立っていたのだという。
学校マークの入ったリュックを背負い、大きな青いキャリーカーを手に、ぽつんと。
かすみさんがまずそれに気付いた。
なんかエルフであることを正式に告ったら吹っ切れてしまったようで、それが自分の役割だというように、沈痛な周囲の雰囲気を励まして、ことさら明るく振る舞ってくれている。
「助かる」
「いいんですよぉ、こうなったらもう、ルンルンでいっちゃいます、わたし。昔はみなさん踊ったんですもんね、お葬式のときに、門出だって、あちら側へ送り出したんですから。門出なんですよ、お葬式が」
さすが三百年以上も生きていると言うことが違う。
「踊っちゃうんですよぉ」
ウルウルの眼をしてそう言っている。
それと対照的だったのが、その鹿子明日香だった。
彼女だってショックを受けただろうに、泣きもせず、恐怖に震えもせず、ただ淡々と。
「受験勉強終えてそのまま自分のベッドで寝て、朝起きたんだけど、いつも起こしにくる母親が来ないから、まあいいかーみたいな感じでパジャマのまま階下へ降りていったら誰もいなくて」
とかぽそぽそと、まるで学校に遅刻してしまった言い訳みたいに、かすみさんに語ったらしい。
朝食の用意もなく、家の中はひっそり静まっていたと。
そうして、「あれ? 時間間違えたかな」と思ったけど、柱時計はきちんと七時を指していて、受験中はスマホ禁止を自分に課していたから、居間のテレビを点けた。
なぜか、変なコメントがずーっと流れているだけで、番組やってない。
それでも母親も起きてこないし、父親は都心に勤めてるからもう仕事に行っちゃったのかな、そう思いながら、両親の寝室を覗いてみると、二人共まだ寝ていた。
「なーんだ。寝坊か」
それがその朝の彼女のはじまりだった。
「死んでました」
報告するように、ぽそっと、小さな声で告げた。
「息してなかったんです」
*
「凄かったですね」
両親が死んでしまったのだから相当怖い思いをしたはずなのに、彼女はそれに触れず、どうしようかと窓から外の様子を眺めていたら、ちょうどコンビニ前のあの駐車場での一件を目撃したらしくて、それをなんというか、少しも凄い とは感じてないような、そんな表情で言ってくる。
奇妙な娘だった。
丸い金属フレームの眼鏡を掛けているからだろうか。
童顔。
髪は少女みたいに無造作にお下げしていて、三つ編みにするとか、リボンするとかではなく、ただ邪魔だから2つに分けてゴムバンドで束ねてるって感じで、クラスの隅っこに黙って座っているような、そんな地味な女子だった。
とりあえず、ミーティングルームを居場所に使ってもらうことにした。
「いいんですか?」
淡々とした感じで民宿の中を見回すように室内を眺めている。
「大丈夫、自由に使って」
かすみさんと一緒に応対したアンジュは告げた。
もう病院業務が再開されるときはないだろう。
アンジュは、ホワイトボードとかあって、長いデスクのどこを使ってもいいからと、まだ機能している暖房を入れ、毛布をデスクの端に重ねた。
「大変だったでしょ?」
両親を一夜でなくしてしまったのだから、さぞかし内心ショックだろうと思い、そう声を掛けている。
「別に」
指の先で丸眼鏡を押し上げながら呟く。
「そう」
「Qチャンがいますから」
Qチャン?
「クォンタムのQチャンです」
「AI?」
「いつも悩み事とか、相談してます」
そうなんだ。
そして、大きめの薄いグリーンのダウンを脱ぎ、ダブダブのスエット上下のままもう一度部屋の中をぐるっと見回して、今度は、おそらく親の旅行用なのだろう大きなキャリーバックを床の上で広げた。
着替えとかいろいろ入ってるのだろうと思ったら、分厚い本を何冊も取り出してきてそれをデスクの上に、丁寧に順に重ねている。
受験参考書だった。
アンジュは一瞬、目眩がした。
この子、生じている事態がまるでわかっていない。
「……受験は」
こんな状態でできるわけがない。
そう教えようとしたが、彼女が早速歴史年表を開いてピンクのマーカーし出したから、Qチャンと同じで精神安定剤なのかもと、そっとしておくことにした。
でもおれは「?」と思ったのだ。
彼女がバッグから取り出した分厚い入試参考書の表紙が眼に留まったから。
『入試によく出る小論悪学単語』
(悪学? 単語?)
見間違いだろうか。
英語とか数学と同じように悪を学ぶなんてことはありえないから。
まして小論とか、入試するはずがない。
高校受験だぞ。
飛び級とか言ってるけど。
「あなたも、飛び級なの?」
しかしアンジュは全然驚いていない。
「お姉さんもそうなんですか?」
「アンジュでいいよ」
「わたしはアスカで。かのこでもいいですけど」
妙に気が合っちゃって盛り上がっている。
飛び級ってなんだろ。
高校受験とか言ってたのに、参考書の中に「小論文の書き方」とか混じっていた。こちらでは高校受験でもうすでに小論とかやるわけ?
*
なんだかだんだん避難所っぽくなってくる。
あんなことのあとだっていうのに、アンジュは来る者拒まずで、サヤカに食事をつづけるように優しく言っている。
マスコが白眼を剥いて歩いている。
院内を、むこうでは閉鎖ユニットの中だけだったけど、そうして歩きはじめたら不安を感じているということだ。こちらでもそうなのだろう。
おそらく、見たことがないひとたちが急に現れたからだと思う。
すると普通の子なら、不安を感じて眼を閉じてしまうのだけれど、マスコはそうではない。白眼を剥いて瞳を目蓋の裏に隠してしまうのだ。
「大丈夫、大丈夫だから」
倉田ママがなだめて四階の内科医局から上階の閉鎖ユニットのプレイルームに連れて行く。
子供は、大人の内面というか、そういうことには超敏感だ。
被虐待の子。つまり、虐待されてた子。
(おれはあまりその言葉使いたくなかったから「ネグレクト」って呼んでたけど、実際はそんな生やさしいものじゃないことは彼らを見ればわかる)そういう子たちは、特に雰囲気に敏感だ。
だからアンジュは、サヤカたちを不安にさせないようにと自分を必死に抑えている。
爆発するのを。
こちらのアンジュは、向こうの姉さんと異なって喜怒哀楽がはっきりしている。宇宙人だろうが地底人だろうが絶対闘ってやるという勝ち気さが溢れている。
おれはそのとき、アンジュの感情の揺れをそう受け取っていた。
勝ち気さゆえの怒りなのだと。
「……予知できてたの」
自分に向かって責めるように言っている。「徴候があったのよ。……だからあれだけ侵攻が近いかもと上申したのに、まったく取り合ってくれなかった」
アンジュはふと思いついたように腕の通信核に向かって問いかけた。
「生存確認、できる?」
普段ならプライバシーに触れるからできない。
しかしAIの対応は違った。非常時だから生存者確認は可能だと。
それで家族の安否をたずねるのかと思ったら、そうではなかった。
幾人もの議員とか(その中には副首相も含まれていた)、階級付きだったから軍人とわかる人物とか、大奥院とか。
「天母座様は?」
「残念ながら」
アンジュは歯噛みした。
「マスコミも大丈夫?」
「可能です」
そんなやり取りをして、全員の生存確認ができないことを調べた。
どうして一介の看護師でしかないアンジュが副首相とかの安否を気にするのだろう。
だいたい、この姉さんはなぜここにいるんだ?
魔術省とか、エージェントとか、通信文にあったけど。
わからない。
第一、八王子のこの病院に勤めていたのは弟であるこのおれの方なのだ。姉はもうとっくに疫病で亡くなっている。なのにこちらでは、弟のおれの方が疫病で亡くなっていて、姉貴のアンジュがここにいる。
副首相とか高位の軍人の生存確認ができないことに悔しそうに唇を噛んでいる。
*
そしてまた、避難民といっていいのかどうか、変な奴らがもうひと組現れたのだった。
(……なんともかんとも)
何も知らずに大学の方で徹夜してから爆睡し、午後になって起きてみたら、腹が減ってた。だからそのままコンビニ(たぶんあのファ美魔)に行ったら誰もいず、自動ドアまで開けっ放しになっていて、いくら読んでも店員は姿を現さず、コンビニ前の駐車場には昆虫みたいな小さな機械が散乱している。
なーんか変だということで、とりあえず食うもの物色し、ペイペイは生きてたからそれで勘定済ませ、また大学に戻って食事をしたが、やはり誰の姿もない。
SNSは奇妙に閑散。
スリープデスとか全滅とか、八王子はこんなに静かなのにいつのまにか「世界の終わり」が来てしまったみたいなこと言っている。
これって、なんか変じゃね?
慌ててグループLINEしてもいつまでも既読にならず、電話しても誰も出ない。二人はだんだん怖くなってきて、外はいつしか暗くなってくるし、「かなりヤバい?」「ヤバい」と次第にパニックになり、そしたら病院本棟のほうでポチッと明かりが点った。
で、ひとが動いている気配があるこちらの病院側に様子を見に来たと、二人で早口で捲し立てるから、聞きそこねてる部分もあるかもだけど、どうやらそういうことらしかった。
「……なんか、あったんすか?」
おれよりバカな二人組みだった。
典型的なモブキャラ&チャラ男。
マスコがまた四階に降りて来ていて、白眼を剥いたまま儀式みたいな感じで廊下をそろっと通過していく。




