第二十七話 弓と刀の対話
生存者たち。
かすみさんがようやく泣きやみ、子供たちの居住空間にしたプレイルームのカーペットの床に並んで腰を落としたまま、アンジュはこれからのことを考えている。
おれにはそう思えた。
(どうしたらいいのか?)
「……すいません、あのときだってわたしが寝ずの番をしてれば」
「あなたのせいじゃないから」
「わかってます。でも」
いっとき水路が決壊したみたいに大泣きしたかすみさんが涙を幾度も拭き、ようやく落ち着いた感じになって、プレイルームのカーペットの端にぺたんと座って放心したようにアンジュにそう言ってくる。
肌が白くて眼がくっきり二重の、小顔で彫りの深い顔立ちをしているけど、鼻をかんだり咳き込んだりして、もうメロメロだ。
「……なんか、わたし、壊れちゃいそうです」
そのときおれは、かすみさんが思わず呟いた言葉のほんとうの意味をわかっていなかった。
「ほんとは寝ないんですよね」と彼女はぽつんと呟く。
「何が?」
「エルフ」
「だよね」
そうして次第に、なんだかこっちでも意味不なことになってきた。
霧が消えてくるにつれて、かえってわからないことが増えてくる。
エルフ?
「わたし、栃木なんですよぉ」
かすみさんは下を向いたまま言っている。「母が森のエルフだったんですけど、父と結ばれちゃって、いまは那須高原の片隅で小さなペンションやってるんですけどね。天領を借地して」
「そうなんだ」
「エルフって、本来は寝ないんですよね。寝てる感じでも瞑想してて、寝なくていいらしいんですけど、わたしハーフじゃないですか? だからつい、瞑想してる感じでも寝ちゃったりするんですよね」
ぼそぼそ、言いわけするように呟いている。
まるで、自分の義務を怠ったみたいに。
「……だから夜勤、まかせられてたのに」
「ずっとそうだったの?」
「昔は、夜番とか寝ずの番とか言ったんですけどね」
「昔って、焚き火の時代?」
かすみさんはうなずいている。
「わたしたちの先祖って、異人というか外来種だったわけじゃないですか? 大昔にヨーロッパにいられなくなった小神族が……」
「小神族って」
「妖精じゃないんですよ、わたしたち。混同されてますけど、違うんです。アールブの系統なんです」
よくわからないというようにアンジュは首を傾げている。
「まあいいです。とにかく北欧の祖先たちがこの島に辿り着いたわけで、山奥で隠れ里みたいに暮らしていたんですからね。だからまあ風習っていうんですか? そういうのも違ってて、特殊扱いをずっとされてたから、もうなんていうんですか、慣れちゃってて、差別されても、ああまたかみたいな、そんな感じだったんですけど、やっぱり古老たちとか、人間に反感を持ってるエルフは多くて……」
まったく意味がわからない会話を交わしている。
「わたしの耳、ちょっと尖ってるから、昔はそれがコンプだったっていうか、隠してたんですけどね。差別っていうんですか、けっこうありましたから」
アンジュは否定も肯定もしなかった。
「でも、なんか最近は、もういいかあって思って、ボーイッシュにして耳を出しちゃったら、なんかすっきりしちゃって」
「歳、訊いてもいい?」
「いいですよぉ、三百二十一歳です」
三百?
二十一歳!
三百って、あの三百?
「混じり気なしのエルフだと千年ぐらい生きるらしいんですけどね、やっぱり人間の血が混じるとそれほどではないみたいですけど」
「ずいぶん色々なこと、見てきたんだ」
「……まあ、そうなんですけどね」
あんまり言いたくないみたいな感じで黙ってしまった。
おれはもう二人の会話についていけなくて、口はないのに口ぱっくりで、ただ唖然としているしかなかった。
こっちのかすみさん、ハーフエルフなの?
「ご実家とは連絡取った?」
「母とは、話せました。純粋エルフなんで寝てなかったので大丈夫だったみたいですけど、義父は……」
「そうだったのね」アンジュはかすみさんの手を取った。「帰らなくていいの?」
「迷ってます」
「こっちはいいの。なんとかなるから」
「でも……」
「労働契約?」
「はい」
エルフが労働契約に縛られてる!
なんだか夢のないことになってきた。
「もうそんなの気にしなくていいのよ。古い日本は崩壊しちゃったんだから」
どうやらこの世界では、エルフは底辺というか、寝なくても大丈夫だし、純粋エルフは千年近く生きるので、3K仕事というのだろうか、夜勤だけでなく現場の汚れ仕事とか、水魔術が使えるから清掃のお仕事とか、そういうのを多くやらされているらしいことが、おれにも次第にわかってきた。
水魔術使って便器洗うとか、ありえんだろう。
「何かできること、ありませんか?」
かすみさんは訊いている。
彼女なりに院内のいまの実情がわかっているのだ。
少し考えたあと、アンジュはサヤカをあやしながらたずねた。
「エルフって、弓使いって言われてるけど、どうなの?」
アンジュの日本刀はプレイルームの隅のマスコが手の届かないところにに立てかけてある。
「……うーん、どうなんですかねえ」
かすみさんは微かに首を傾げる。「いちおう、家を出るときに母から授けられてはいるんですけど。もうあんまりエルフの弓とか、必要されなくなっちゃったじゃないですか? ずっと平和だったし、癒やし?っていうんですか、そういう係が必要なときは駆り出されますけど」
「そうよね」
「だからまあ、そんな役割の職業させていただいてたんですけど、平和な世の中だと、弓なんかいらないですからね、独身寮の押し入れの奥に押し込んじゃってますけど。埃かぶってます」
「それ、出してこれる?」
「必要なら」
そこだけ語気が強まった。
あのかすみさんまで、闘う気でいる。
マジで?
「お願い」
わかりました、というようにかすみさんは重く腰を上げた。
確かにそう言われてみれば、短くボブにしてふわっと緩くカールした髪の間から、遠慮がちに、幾分尖った桜色の耳が可愛くのぞいている。
(エルフって、確か妖精みたいな……)
おれは、あまりのことに、さらなる完全思考停止状態になっていた。
こっちの森には、いまも日本産のエルフが住んでるわけ?
かすみさんが、あの岩井かすみさんが、ハーフエルフ?




