第二章 不可解な謎 第十七話 魔国の祝宴
——一方その頃、遠いヨーロッパ大陸では夜が深かった。
ヨーラシア魔国。
その首都にある巨大な宮廷ホール。
大ガラス天井に星が凍りついたように散りばめられていた。
壁もクリスタル。
だが光を反射しない。
ただ、吸い込む。
空間全体が深く静かな闇で満たされている。
静かな宴だった。
ひそかな祝い。
選ばれた者たちだけが、そこにいた。
全員黒か濃灰色の衣服。
布というより、鍛えられた金属と滑らかな皮膚が混じり合ったような質感。動くたびに、ごく微かな金属音が混じる。
調律師たちが好む、軋みに似たあの音。
会話はすべて囁き。
「王国の浄化は、予定通りか」
深いフードの奥から、低い声が落ちる。
浄化、と彼は言った。
「すでに制空権はありません」
「表向きは侵攻ではない」
「御意」
「突然の悲劇だ」
「わかっております」
「致死性の疫病。原因が判明するまで調査団も入れない。我々も深く哀悼している。国際機関の立ち入りを待っている。——よいな?」
「仰せの通りに」
高級武官は直立不動のまま動かない。
大調律師よ呼ばれているその男もほとんど動かない。
白磁のような手がグラスを持ったまま止まっている。深いフードの端から銀に近い白髪が見え隠れしている。百歳とも二百歳ともいわれている。超人。
「残滓は回収されつつあります。ただし——」
武官は直立不動の姿勢のまま言葉を濁す。
「ただし?」
クラスを持つ手が止まった。
「亜種が。分析不能なバグが、東京郊外に」
一瞬の沈黙。
「亜種とな?」
「はい。アーリマンがこだわっています」
「アーリマンにも解析できない?」
「……はい」
大調律師ゼーレンと呼ばれている彼は、興味を動かされたように再び呻いた。
「バグか」
「しかも……」
武官は一礼してから大調律師にさらに近づき、耳打ちした。
「継承者? 一掃したのではなかったのか?」
「バンケルトであったために」
「見逃した?」
「いちおう監視対象ではあったようですが……」
その報告を聞いてゼーレンの手がグラスを握りつぶすのではないかと思えるほど細かく震えた。
我々の理想、完璧なシステム、完璧な計画に、
あろうことかバグがある?
許せない。
大事な調律が乱される。
ゼーレンはそこだけ語調を強めた。
「バグは即時処理。理想を汚すでない!」
「御意」
濃灰色の深いフードで顔を覆い、長いドレープを引きずるようにして、大調律師はパーティホールを滑るように移動する。
歩くというより滑空に近い。
議会議長の老女が近づいてきた。
黒刺繍の手袋に琥珀の液体が微かに揺れている。
「次を実行されるのですね。死の後の作業を」
彼女は囁いた。
千面と呼ばれている大調律師ゼーレンは答えなかった。
誰かが小さく息を吸うような音。
「予言は果たされる?」
老女がたずねる。
「予言ではない。決定だ。Nigredoが、これから始まる」
宴は、歓楽のためではなかった。
ただ、そこに在る《あ》ること。
完璧な衣を纏い、静かに立つこと。
それが、この空間における唯一の声明だった。
更地になった日本列島へ、我々はいずれ降り立つ。
断層ごと。
黎晶ごと。
そのとき世界は知るだろう。
この完璧な静けさが、何を意味していたのかを。




