第十一話 血翼
朝だけは変わらなかった。
高尾山の山並みが背後にくっきり広がっている。
八王子の山間部は空気が切れるように冷たい。
眠っていないせいか、光がひどく眩しい。
病院の周囲の森では、小鳥が二羽、木から木へと渡っている。
完全な、いつもの朝だった。
ただ人間がいない。
車も動いていない。
しかし、思わず空を仰いだ安寿は、その青みがかった空の一角に赤い血の色を見て背筋を硬くした。
「あれは」
空に赤い染み。
いや浮かんでいる。
「フルーゲ?」
魔国は毎年軍事パレードをやっていて、安寿もまだ若年だったが外交団随行員としてそのパレードを見学したことがある。そのとき、見せつけるような隊列の上空に真っ赤な深紅の巨大な鳥が旋回していたのだ。血翼という竜と鷲をかけたような航空生物兵器だと教えられた。
(……あれも、兵器?)
自然界にあんな巨大な赤鷲はいない。
竜もいない。
遥か上空でそれはゆっくりと翼を広げてどこかへ向かっている。
もし血翼だとしたら。
迎撃するこちらの戦闘竜もいるはずだが、どこにも見えない。
赤い翼はそのまま悠然と滑空して雲の中に消えていった。
安寿はサヤカの手を引きながら歩いた。
以前より固く握って。
「……ズシくん、まずこの世界のこと、少し説明するね」
吐く息が白い。
「召喚したの。わたしがお願いして」
そういうことか。
双子の弟、でもこちらの彼はすでに病で亡くなっている。
しかし、これからのことを考えると、どうしても二人が共振する双子魔法が必要になる。
(魔法? 魔術ではなくて?)
「オメガに召喚してもらったあなたの意識は、こちらにすでに届いてる」
姉はつづけた。
「でも、肉体はまだ届いていない。そういうことなの」
「意識だけなら量子もつれで速く送れるらしいんだけど、生身の体はそうはいかないの。ズレが生じてる。今はそういう状態」
わかりやすく言えば、意識は先に到着して、体は遅配している。
肉体が遅配して届いていない。
そういうことらしい。
「だから、……だからこっちでいろいろ経験してもらって、まず意識だけでも慣れてもらう必要がある。それをローカル記憶の上書き、ってオメガは言ってる。いまその最中。少しはわかってもらえた?」
オメガ。またその名前が出た。
安寿はふっと白い息を吐き、サヤカの歩調に合わせて足を進めた。
血翼のことが気になる。
舗道を抜け、国道に出た。
眼の前に、濃い紫の、お化け屋敷みたいな建物が見える。
『おいしい豚まんはじめました!』
看板の文字はそう書かれているのに、店構えがおかしいとおれは気づいた。
いつものファミマじゃない。
黒い下地に、紫の模様がとぐろを巻いている。
ゴスロリというより、何かが内側から滲み出しているような印象。
安寿は、まるで助けを求めるように、そちらへと足を速めた。




