第4話「オカリナの音」
その村を出てから、少し時間が経っていた。
橋のことは、何度か話題に出た。
だがミロは、あの出来事をうまく言葉にできなかった。
「助けた」と言えばいいのか。
「流れでそうなった」と言うべきなのか。
ジンはいつも通り、何も説明しなかった。
ただ歩いている。
それが、この旅の形だった。
その日の午後、二匹は小さな市場のある村に立ち寄った。
道の脇には布を広げた店が並び、果物や道具、よく分からないものまで売られている。
ミロは少し落ち着かなかった。
「なんか……ちゃんとした町だね」
「そうか」
「じいさん、こういうところでも何か直すの?」
「壊れていればな」
「全部そういう前提なの?」
ジンは笑うだけだった。
その時だった。
広場の片隅から音が聞こえた。
――ヒュゥ……。
かすれた、頼りない音。
風のようでいて、風ではない。
ミロは耳を立てた。
「何これ?」
音の方へ行くと、小さな屋台があった。
その上には、丸く穴の空いた土の道具が並んでいる。
オカリナだった。
その横で、年老いたタヌキが困った顔をしている。
「売れないねぇ……」
誰に言うでもなく呟いていた。
ミロは近づいた。
「これ、何?」
タヌキは顔を上げる。
「吹いて音を出す楽器だよ」
「吹く?」
ミロはひとつ手に取った。
軽い。
穴がいくつか空いているだけの、不思議な形だった。
「音、出るの?」
「出るよ。うまく吹ければね」
ミロは息を吹き込んだ。
ヒュゥ……ッ。
風が抜けただけのような音がした。
タヌキが苦笑する。
「まあ、最初はそんなものだよ」
ミロはむっとする。
「簡単そうに見えたのに」
もう一度吹く。
ヒュッ、ピィィ……ッ。
さっきよりひどい音になった。
ミロは固まる。
「……なんで?」
後ろでジンが見ていた。
「音は思い通りにはならない」
ミロは振り返る。
「じいさんもやってみてよ」
ジンは少し考えてから首を振る。
「わしはいい」
「逃げた」
「違う」
「絶対できないだけでしょ」
ジンは笑った。
ミロは悔しくなり、もう一度吹く。
ヒュッ……ポフッ。
完全に失敗だった。
だがその音に、タヌキは少しだけ目を細めた。
「変な音だね」
「うるさいってこと?」
「いや、面白い音だよ」
ミロは固まる。
「面白い?」
タヌキはゆっくり言う。
「音っていうのは、上手いだけがいいわけじゃないんだよ」
ミロは納得できない顔をした。
そのときジンが言った。
「持っていくか」
「え?」
ミロは驚く。
「これ」
「買うの?」
「必要になるかもしれん」
ミロは慌てる。
「いやいや、これ使えないよ!」
ジンは袋から少し金を取り出した。
タヌキは驚いた。
「いいのかい?」
「音は悪くない」
ミロは理解できなかった。
だが止めることもできなかった。
こうしてオカリナはミロのものになった。
その夜。
森の外れ。
焚き火の前で、ミロはオカリナを見つめていた。
「これ、本当に意味あるの?」
ジンは火を見ている。
「意味はまだないな」
「じゃあなんで持たせたの?」
ジンは少し間を置いた。
「音が出たからだ」
ミロは眉をひそめる。
「意味が分からない」
息を吸って吹く。
ヒュゥ……。
さっきより少しだけましな音が出た。
それでもまだ下手だ。
ジンは何も言わない。
ただ、火が揺れている。
ミロはもう一度吹いた。
今度は少し違う音がした。
誰にも届かないような、小さな音。
だが消えなかった。
ミロはそれを不思議に思った。
風が少し強くなる。
オカリナの音は森に溶けていく。
まだ「音楽」とは呼べない。
それでも確かに、“音”だった。
ミロは小さく言う。
「……難しいな」
ジンは答える。
「難しいものは、だいたい面白い」
ミロは少しだけ笑った。
そしてまた吹いた。




