第5話「見ている側の代償」
「見てやるよ」
そういった瞬間。背中に張り付いていた"重さ"が、少しだけ離れた。
(……いける)
有栖朔は、はっきりとそう感じた。逃げるでもなく、無視するでもなく。"見る側"に回る。
それだけで、状況が変わる。
「どう?」
隣で、月城いろはが聞く。
「……軽くなった、気がする」
と、正直に答える。
「でしょ」
いろはは小さく頷く。
「それ、万能じゃないけどよく聞くからねぇ」
後ろから、御影識の声。
「……いたのかよ」
「いたよ」
相変わらずの調子だった。識は、工場の中を見回す。
機械、ライン、ヒト。
その全部を、"対象"として見ている目だった。
「これ、"なりかけ"だね」
ぽつりと言う。
「"なりかけ"?」
「完全な怪異じゃない、でも人間でもない」
どこかで聞いた様な話だった。
「じゃあ、まだ戻せるのか?」
と、思わず聞く。一瞬だけ、識の視線がこっちに向く。
「戻す?」
その言い方が、少しだけ引っかかった。
「違うのかよ」
識は少しだけ考え「違わないけど、優先度が低いかなぁ」なんて、あっさりと言った。
「……は?」意味が分からず素っ頓狂な声が出る。
識は周囲を見回しながら
「これ一個消したところで、またすぐ溜まる」
工場全体を指すみたいに。
「根本が変わって無いからねぇ」
正論だった。でも……
「じゃあ、放置かよ、なにか解決策とか……」
「場合による」
曖昧な答えが返ってくる。
「今回は、どうなんだ?」
少しの沈黙。
「観察優先」
即答だった。
「お前さ……助ける気、あんのかよ」
言葉が詰まりながらも、言葉を絞り出す。
「あるよ」
識は普通に答える。
「必要ならね」
その"必要"が問題だった。
「判断基準が違うだけ」
そう言って、視線を外す。
「俺は"全体"を見るから」
個人ではない。(やっぱコイツ、信用出来ねぇな)
その間にも、背中の"重さ"がまた少しだけ増える気がする。
「……戻ってきてる?」
「うん」
いろはが短く答える。
「ずっと見続けるの、しんどいでしょ」
図星だった。"見る側"で居続けるのは、集中力がいる。少しでも気を抜けば、すぐに"見られる側"に戻る。
「……めんどくせぇな」
「そういうもの」
いろはは、あっさりと答える。と、その時。
「なぁ」
隣の作業員が、声をかけてきた。
「さっきから、何見てんの?」
一瞬、固まる。
「っ……気にしないでください」
(見られている)
反射的に答えつつその意識が、入り込んだ瞬間。ドン、と。背中に"何か"が乗った。
「……っ!」
重い。さっきまでとは比べ物にならないくらいに。
「ほらね、そっちに戻ったよ」
小馬鹿にしたような、識の声が聞こえる。
「わかってるよ……!」
歯を食いしばる。"見る側"へ戻る。周囲を見る。人を見る。でも---
「気になるよね」
識が続ける。
「評価とか、視線とか」
わざとだ。集中を崩しに来ている。
「お前っ…!」
「何?」
悪びれもしない。
「これも、お前の言う"観察"か?」
「うん」
即答だった。
「どう崩れるか、見たい」
最悪だ。でも…
(……使える)
ふと、そう思った。識の言葉。視線。圧。それも全部、"対象"として見ればいい。
「……そういうことかよ」
小さく呟く。
「なにが?」
いろはが聞く。
「ヒトだけじゃねぇんだな」
ゆっくりと、識の方を見る。
「お前もだろ」
識がほんの少しだけ目を細めた。
「へぇ」
識から、工場全体へと意識を向ける。
「俺が見ている限り…全部"対象"だ」
その瞬間。背中の重さが、一気に軽くなった。
「面白い…そっちに行くだ」
識が小さく呟く。
「悪ぃかよ」
「いや」
少しだけ笑う。
「その方が、生き残れる」
初めて、"評価された"気がした。でも同時に、
(やっぱコイツ)
完全な味方じゃない。味方になる条件があるだけだ。
「じゃあ」
いろはが軽く手を叩く。
「今日はここまでだね」
「放置かよ」
「うん」
軽い。いろはは、少しだけ真面目な顔で
「でも、それまた溜まるから」
工場を見渡す。
「次は、もっと厄介になるよ」
この時の言葉の真意を、まだ朔は理解できなかった。




