第4話「見られている側」
工場の空気は、重い。音はうるさいのに、妙に静かだ。
「…………」
有栖朔は、ラインに立ちながら何も喋らなかった。誰も喋らない。でも、
(見られている)
視線だけがある。
「遅せぇな」
ボソッと誰かが言った。自分に向けられた訳じゃない。でも、
(どうせ、俺に言ってるんだろ)
そんなことを、思ってしまう。ミスはしていない。でも、"遅れている気がする"。周りと比較して、少し、ほんの少しだけ。
その少しがジワジワと刺さる。
後ろにふと、意識が向く。誰かが立っている気がする。でも、振り向かない。
振り向いたらダメだと、体が覚えている。作業以外のの音はしないはずなのに……
"いる気がする"
「……っ」
手元が狂う。部品を落とした。カンッと乾いた音。
一瞬、視線が集まる。すぐに逸れる。でも--
(見られた)
それだけが残る。
「集中しろ」
上司短い一言。それだけなのに、やけに重い。
(……っるせぇな)
心の中で、初めてそう思った。その瞬間、先程から感じていた"後ろの気配"が、濃くなった気がした。
「……は?」
思わず声に出る。明らかに"夜のアレ"に似ている。でも、何かが違う。
(いる)
今度は確信だった。振り向きそうになる。でも--
(違う)
これは"振り向くやつじゃない"。
「やっと気づいた」
横から声がする。横を振り向くと、作業着に身を包んだいろはが立っていた。ずっと居たかと、錯覚するぐらい普通に。
「な……なんでいる」
「見に来ただけ」
軽く言う。
「それ、後追い様じゃないよ」
「あぁ…なんとなくだが分かる」
朔は小さく答える。
「性質が違う」
自分でも驚くぐらい、自然に言葉が出た。
「へぇ」
いろはが少しだけ興味深そうに見る。
「分かるようになってるんだ」
「で、なんなんだよコレ」
朔は小さく聞く。いろはは少し考えて、
「名前はないけど」と、前置きして
「"視線の溜まり"」
聞いた事のない言葉だった。
「見られている意識とか、評価とか、そういうのが溜まったやつ」
背中が、妙に重い理由が分かった気がした。
「じゃあこれ、俺が感じてるやつか」
「だけじゃない」
いろはは周りを見る。
「ここ全体」
工場全体。人間関係、空気。
全部が積み重なっている。
「……最悪だな」
素直にそう思った。
「で、放っておくとどうなるんだ?」
いろはは、少しだけ間を置いて、
「潰れるよ?」
「俺が?」
「うん」
即答だった。笑えない。でも、
(まぁ、そうだろうな)
妙に納得してしまう。
「対処法は?」--朔が聞く。
「あるよ」
後ろから声かして、振り向くと御影識がいた。
「珍しく簡単なやつ」
ポケットに手を突っ込んだまま言う。
「"見られていると思わない事"」
またそれかよ。
「無理だろ」
即答する。
「だよね」
と、識もあっさり肯定する。口元を緩めながら識が続ける。
「だから、もう一個。"見返せ"」
「……は?」
「見られているなら、見ればいい」
意味が分からない。
「対象を反転させる、自分が"観測する側"に回る」
昨日と同じだ。でも違う。
「後ろを気にするなじゃない」
識は続ける。
「周りを見ろ」
その瞬間。朔は初めて、周囲をちゃんと見た。
無表情な同僚。目を合わせない空気。
誰も何も言わないのに、圧だけがある場所。
(……なんだこれ)
怖いのは怪異じゃない。
「人間じゃねぇか」
思わず、口に出た。その瞬間。
背中の"重さ"が、少しだけ軽くなる。
「正解」
識が小さく言う。
「それ"怪異になりきれてない"」
つまり--
「まだ、人間側ってことだ」
完全な怪異じゃない。だから、
「意識で干渉できる」
朔は、ゆっくり息を吐いた。もう一度周囲を見渡す。
「……じゃあ、見てやるよ」
逃げるんじゃない。無視するんでもない。
"見る側"に回る。そう決意した瞬間、
背中の気配が、少しだけ後ろに下がった。




